レビュー『外国語学習に成功する人、しない人-第二言語習得理論への招待ー』

投稿者: | 2018年3月20日

Kindle版を読みましたが、 元版は2004年の新書のようです。

構成は以下のようになっています。

第1章:日本人はなぜ英語が下手なのか:その1 動機づけ
第2章:日本人はなぜ英語が下手なのか:その2 母語の影響
第3章:外国語学習に成功する人、しない人
第4章:外国語が身につくとはどういうことか
第5章:どんな学習法なら効果があがるのか
付録:知っておきたい外国語学習のコツ
おわりに

これまでの第二言語習得研究で得られた知見を、実際にどのように外国語学習の場面で生かすことができるかについて論じられています。第二言語習得の分野ではまだまだわかっていないことも多いのですが、とりあえず分かっていることを足がかりにして、効率的に外国語を学習するためにはどのようにすべきかがクールに述べられています。

専門書ではなく一般書です。これから第二言語習得であるとか外国語教育について学ぼうとする人にとっては非常に役立つ内容になっていると思います。一応、私はこの分野を学んだ経験がありますが、確かに「これは初めて聞いた」というような内容はありませんでした。しかし「学んだ」ということと「知っていて、実践している」ということは別物です。専門的に学んだことのある人でもふと読み返すことによって何らかの気づきが得られる 本です。

これはKindleで読みました。以下、自分がハイライトした部分を引用して、少し解説しておきます。

動機づけについて

簡単にいえば、学習対象言語の話者に好意をもっている学習者が外国語学習に成功する、ということです。(Kindle の位置No.185-186)

ガードナーの論点で重要なのは、道具的動機づけは外国語学習の成功と結びつくが、その成功は短期的なもので、長期的には統合的動機づけのほうが重要になり、また統合的動機づけはほとんどの研究で外国語学習の成功と結びついている、ということです。(Kindleの位置No.206-209)

ここは非常に重要な部分です。道具的動機付けというのは実利的な利益を求めて学習する動機づけのことです。例えば英語ができたら就職できるとか、試験に合格したらボーナスが出るとかそういったもののことです。結局そういうものではなくて外国語学習を成功させるのは統合的動機づけなんですね。つまり目標言語の話者に好意を持っているとか、目標言語が話されている国の文化に興味を持っているとか、そういういわゆる「純粋な動機」というのが外国語学習においては非常に重要になってくるということです。

ま、外国語学習だけではないかもしれませんが、とすると教師としては、どのように動機を高めることができるかということを考えつつ授業を考える必要性があるということです。

インプットの重要性

学習者の外国語能力がまだ一定のレベルに達しないうちに、無理に話させると、結局学習者は母語に頼って、その母語の文法に適当に第二言語の語彙をくっつけて、なんだか変な外国語をしゃべる、という状況になります。(Kindleの位置No.331-333)

インプットを理解することが言語習得の重要なメカニズムである(Kindleの位置No.760)

インプットとアウトプットについても詳しく述べられています。総合すると特に初級ではインプット重視で学習を進める必要があるようです。初級は無理に喋らす必要はないんですね。

ただ授業をしていて思うんですが、面白いのは圧倒的にインプットじゃなくてアウトプットです。そしてインプットは家でもどこでもできますが、アウトプットはなかなか一人ではできなかったりします。そうすると授業がアウトプットの場となるのも致し方ないと思うんですね。特に自律的な学習者であればあるほど、インプットなどは一人でやる、一人ではできない(難しい)アウトプットを授業でやりたいという希望も出てくることと思います。その辺にどう折り合いをつけていくかですね。

アウトプットの必要性

言語習得がおこるために必要な最低条件は、インプット+「アウトプットの必要性」ということになります。アウトプットの必要性さえあれば、実際に話さなくとも、頭の中でリハーサルをすることによって、話せるようになる、という仮説が立てられます。(Kindleの位置No.787-790)

実際に英語を話す時間はなくとも、英語でアウトプットする必要性があるだけで、リハーサルの効果により、言語習得のスピードが上がると考えられます。(Kindleの位置No.802-804)

ここが本書の中でもっともビビっときたところです。言語学習にはインプットもアウトプットも重要な要素なのですが、必ずしもアウトプットをしなくてもその必要性があるというだけでアウトプットができるようになることもあるんです。どういうことかと言うと、例として急に話し出す子供のことが出されていますが、頭の中でアウトプットの練習やイメージトレーニングをしているだけでも話せるようになるということなんです。

もちろんアウトプットが十分にできる場があるのにそれをしないでイメージトレーニングばかりをしている方がいいということではないでしょう。しかしなかなか面白い示唆です。ということは「何も話さない会話の授業」というのもありえるのではないでしょうか。大人数のクラスでは会話のクラスは難しいと言いますが、やりようによっては十分な学びの機会を提供することができるということです。

そういえばこんな授業をやったことがあります。ロールプレイの授業なんですけれども、まずお題を与えておきます。そして十分考える時間や練習する時間を与えておきます。時間の関係上、クラスの他の学生の前でそのロールプレイを見せるのは一人か二人です。でもその一人か二人はあらかじめ決めておかずに、やる直前にくじを引いて決めることにしていました。つまりお題が与えられて練習している間は自分が人前でそのをロールプレイを披露しなければならないかもしれないと考えながら練習するわけです。これは十分にアウトプットの必要性を提供していたと言えるでしょう。

思考力の低下

外国語を話しているときは、多少なりとも思考力が低下する、ということです。このことから、重要な議論をする場合は、可能ならば通訳を使うほうがよい、ということがいえます。また、外国人が日本語を話しているのを聞いて、その人の知的レベルを判断することには、注意が必要です。さらに、外国語で仕事をするためには、思考の低下の度合いを下げるため、なるべく外国語の能力を高めておく必要があるでしょう。(Kindleの位置No.882-886)

これは最近Twitterなんかでも話題になっていました。語学教師はその言葉を勉強する学習者の知的能力を低く見積もってしまうことが往々にしてあります。でも自分の母語ではない言語で話しているということはそれだけ知的なリソースを言語の方に注がなくてはならないのです。私も外国語で話すことがよくありますが、言いたいことをうまく話せなくて、自己嫌悪に陥ることもあります。少なくとも語学教師は学習者の知的能力を低く査定することだけは避けなければなりません。

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