テコンドー道場で得たCo-teachingのヒント

投稿者: | 2018年8月27日

韓国の大学で日本語を教えています。私は前学期にCo-teachingというものをおこないました。教師が二人、同時に同じ授業に入って授業をおこなうものです。今日はA先生が、明日はB先生が、というようなTeam-teachingとは異なります。

Co-teachingはじめました。
Co-teachingの明らかな長所

一学期授業を続けて、割と学生からは好評価をもらいました。でもね。。。なんか納得できないんですよね。「二人教師がいる」特性を十分に活かせたかと言われると。。。

と、学期が終わっても、どうも煮え切らない感じで、終わった授業のことを考えたりもしていたんですが、ちょっとヒント的なものを見つけたのでここに記録しておきます。

質の高いテコンドー授業

先週末、私の次男(5歳・年中組)が「どうしてもテコンドーを習いたい」というので、近所の道場に行って、練習風景を見学してきました。

韓国では「テコンドーを習う」っていうのは非常にありふれたことです。日本で柔道や剣道を習うというのとはちょっと違います。男の子の半分くらいは一度は私費でテコンドー道場に通うのではないかと思います。

そうなると道場間の競争も熾烈になります。運営者側からすると受講生(子供)の獲得が死活問題になるので、当然授業の質を高く保つ努力をしているようです。指導におけるノウハウもテコンドー業界内ではかなり蓄積されていると考えられます。

「正」先生と「補助」先生

私が見学しにいった授業は未就学の幼稚園児を集めたクラスで、テコンドー自体を教えると言うよりは、身体を使う活動を楽しくおこなうというような内容でした。

子供が10人強で、指導者は二人いました。一人が年長者で、もう一人はアルバイトの学生という雰囲気でした。年長の人が責任者で、明らかに「正」。アルバイト学生が明らかに「補助」。

活動の説明をするのも、前でお手本を見せるのも、全部「正」の先生。補助の学生はほとんど一言も発しなかったように思います。黙って「正」先生の「補助」をしていました。

じゃあ、この「補助」がいなくても授業が進むか?といえば、いやいやそういうことではないようです。気になってよ~く観察していたんですが、この「補助」先生がいないと質の高い授業は展開できないんじゃないかと思いました。

「補助」先生の役割

この「補助」先生の役割は大きく分けて2つです。

1)「正」先生の授業進行がつつがなく進むようにアシストする。
2)活動にうまく参加できていない子供の手助けをする。

1)はイメージがしやすいですよね。例えばレクリエーションの時は、「正」先生が子どもたちに活動の説明をしている間に、活動で使う三角コーンなどの道具をセッティングしておいたりするようなことです。

これを日本語に授業にあてはめると、一人が出席をとっている間に、PCのスライドをスクリーンに写しておいたりとか、一人がゲーム的な活動の説明をしている間にもう一人がゲームで使うカード等を学習者に配布しておくなどといったことですね。

2)がとっても重要だと思いました。

「正」先生は全体を見ています。全体の授業の流れをコントロールしています。しかし中にはそれについて来られない子供もいます。その理由はモチベーション的なものもあるし、能力的なものもあります。その辺を「補助」先生がケアしているんですね。

例えば、あるレクリエーション活動をしたときです。「正」先生が「猫」になり、子供たちが「ねずみ」になります。「ねずみ」は「猫」が守っているお菓子を「猫」に気付かれないように盗んでくるという活動です。「ねずみ」は「猫」にタッチされると負けです。

積極的な子供は「猫」があちらを向いている間に果敢に飛び出しお菓子を狙います。でも気の弱い子供とかはタッチされるのが怖くてなかなか前線へ飛び出していけません。そういった子供をケアするのが「補助」先生です。

ある時は子供の手を引いて、ある時はタイミングを子供に指示したりして、全ての子供の活動への参加を促すのです。「補助」先生がついていれば、「猫」も怖くはありません。その手助けがきっかけとなって、独り立ちできる子供もいました。

結局、「補助」先生がいることによって「モチベーションや能力が低い子どもたちも参加できる」わけで、それによって全体の授業への満足度も高くなるのではないかと考えられます。

「補助」は一つの役割

翻って、日本語授業でのCo-teachingです。これが難しいのは、二人の教師が「一方が主体で、一方が補助ではない」とか、「授業に対して同等の責任を持つ」という点だと思います。

前学期にもそのへんが心に引っかかっていました。でも、このテコンドーの授業を見て思いましたが、「補助」は「正」に対する「補助」ではなくて、一つの役割なんですね。

便宜上「正」と「補助」という言葉を使ってきましたが、これは「全体ケア係」「個別ケア係」といった表現を使っても良いと思います。この二つの役割ががっちり噛み合った時に最強のCo-Teachingができるのではないかと思いました。

私は、その辺りがうまく消化できず、「ツートップ体制」で授業を進めていたような気がします。二人とも「全体をケア」するように務めていたような気がします。でも、授業自体は「一人でもできる」わけですから、「一人でもできること」=「全体のケア」の強化をしても、あまり意味はないわけですね。

当然のことですが、やっと「役割の違い」の重要性に気づきました。

異業種から学ぶ

また、それとはちょっと話が変わりますが、今回見学したテコンドーの授業では、幼児対象ということもあるでしょうが、「ひたすら褒める」ということをやっていました。「よくできたところを褒める」のはもちろん、「努力している姿をほめる」、「他人と比較してではなくて、前の自分と比較して良くなった部分をほめる」というなことを徹底的にやっていた気がします。

そういった細かい点もテコンドー業界のノウハウの集積の一つでしょう。今回の見学を通して「ここなら月謝を払って息子を預けても良い」と思いました。異業種に学ぶ部分は多々あります。

テコンドー道場で得たCo-teachingのヒント」への2件のフィードバック

  1. ピンバック: Co-Teaching はじめました。 | さくまログ

  2. ピンバック: Co-teachingの明らかな長所 | さくまログ

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