漢字教育とスマホ入力

投稿者: | 2019年10月30日

前回は「書くことについて」というセミナーの講師をつとめたという記事をあげました。

「書くことについて」のセミナー資料

このセミナーは「スマホを使って日本語を入力し、コミュニケーションのできる書く活動を授業に取り入れよう」というのが一つのメッセージでした。

その中で参加者の方から「スマホとかPCもいいけど、そればかりやっていたら書けなくなるのでは(特に漢字)?」という意見や質問が出ました。今日はそれについて考えます。

手で書かないと漢字が書けなくなるのは事実

結局上の質問は「漢字の読み書き」に関する話ですよね。確かにその通りです。

自身の恥ずかしい話をしますと、最近手で漢字を書く機会があったのですが「契約書」という文字を連続して間違えて書いてしまいました。「契」の下の部分を「糸」と書いてしまっていたんですね。

自分でも書きながら違和感を感じていたのですが、間違ったまま人に見せてしまいました。その後、スマホで変換させてみて一人赤面していました。

パソコンやスマホばかりで入力していると漢字を手で書く力は落ちるでしょう。

ただ、そういった事実を以て「だからスマホ入力はいかんのだ」「日本語教育の現場でも手書きを中心におこなうべき」という結論を出すのは早計ではないかと思います。

漢字の読み書きの段階

漢字の読み書きにはいくつかの段階があると思います。ざっくりいうとこの3段階ではないでしょうか。

①漢字が読める
②適切な漢字を選べる
③漢字を手で書くことができる

難易度は、当然①のほうが低く、③のほうが高いです。②ができる人は①もできるでしょうし、③ができる人は①②もできますが、①②ができたからと言って③ができるとは限りません。

私は「契約書」という漢字は間違って書いてしまいましたが、①②は楽々クリアーできたでしょう。

費用対効果という考え

まず、はっきり言いますが、そりゃ③まで全部できたらいいのは当然です。そこには疑問を挟む余地がありません。日本語母語話者だって、日本語学習者だって手書きできれいにすべての漢字を書けるというのであれば、それに越したことはないでしょう。

でもね、③までやろうと思ったらどれだけ多くの時間がかかるでしょうか。日本語母語話者は外国語として日本語を習った人よりも多くの漢字を書けるでしょうが、それは小学校の国語の時間からの積み重ねがあってのものです。

日本語教育の現場では「費用対効果」を考えるべきです

例えば、ある日本語学習者が技能実習生として6か月の自国での訓練を経て日本へ旅立つことになりました。時間は有限です。その中で何にプライオリティを置くか。

①100字だけは完璧に読み書きができるようになった
②1字も手書きはできないが300字読めるようになった

どちらがいいでしょうか。もちろんここでいう100字とか300字はイメージの問題です。

つまり私が言いたいのは、手書きで多くの漢字を書けるというのはそれはそれで素晴らしいことですが、限られた時間の中で最大限のパフォーマンスを引き出すことを考えると、読める漢字を増やしたり漢字を選択する力を伸ばしたほうが割に合いやすい、ということです。

もちろんその人の学習目的にもよりますよね。そもそも学習の目的が「漢字をたくさん書けるようになりたい」とかだったら書き練習をたくさん取り入れる必要があります。

でも、一般的にはやはり読みが優先されるでしょう。

書いて覚えるのはまた別

とはいっても手で書く練習をするべきではない、というのはまた違います。「書いて覚える」という記憶法は昔から存在しますし、その有効性を私は否定しません。

例えば私はいまカンボジアにいますのでクメール語を勉強していますが、結構クメール文字を書いています。しかし、それは「書けるようになる」ためではなく、「読めるようになる」ためなんです。

もちろんすらすらと書ければそれはそれで素晴らしいと思いますが、片手間の勉強ですらすらと書けるようになるとは思えませんし、それは早い段階であきらめました。でも読めるようになりたいと思うから手で書く活動もおこなっています

つまり、「読むために書く」というのはあり得ると思うということです。この辺りはその人それぞれの学習スタイルによるところです。

まとめ

以上、私の「漢字の読み書き」に対する考えについて書いてきました。別に賛同しなくてもいいですが、「スマホとかpcばかりで書いていると手で書けなくなるのでは?」という質問に対する答えを連ねてみました。

要は、何を優先させるか、ということですね。

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