レビュー『バイリンガルの世界へようこそ』下

投稿者: | 2020年1月3日

レビュー『バイリンガルの世界へようこそ』上

↑からの続きです。

なんだかんだ言って環境

私の場合は「一人一言語の法則」にのっとって、子どもに日本語で話しかけましたが、前のエントリーでも述べたようにその試みはうまくいきませんでした。長男は私の話しかける日本語は理解できるのですが、答えは全部韓国語で返ってくるようになったのです。そのことについても著者は述べています。

親がx語で話しかけるのに、子どもがy語で答えてしまうという親の不満を何度聞いたことでしょうか。(p101)

親によっては、怒った態度をとりますが、それは対立の空気を作り出すだけで、その状況を改善するものではありません。子どもは、家族のメンバーや保育士などの他の大人たちと、あるいは二言語のうちの一つしかできない遊び仲間と、当該言語でときどきはモノリンガル・モードに身を置いたり、普通ならば一言語だけが使われる外部の文脈に身を置けるようにした方が良いでしょう。(p101-p102)

なかなかそれが難しいんですよね。ただ、私の次男の場合ですが、次男は長男と同じように育てていたにも関わらず、ほとんど日本語で話すということを生まれた当初からしませんでした(まあ、生まれた当初は何も話せませんが)。

次男は韓国で6年ほど過ごして今年カンボジアに来たのですが、次男が入った幼稚園は多国籍のインターナショナルな幼稚園でした。そこでは英語が公用語ですが、当然英語なんて話せません。ただ、中には日本人の子がいるんですね。私とはほとんど日本語で話さないのに、そこにいる子たちとは日本語でコミュニケーションをとっているのです。

英語はできない。韓国語を話す人もいない。かろうじてコミュニケーションが取れるのが日本語だった。それでそれまで使ってこなかった日本語を話すようになったんですね。おそらく同じ年の日本人に比べれば日本語の実力はまだまだですが、同年代の友達と遊ぶに不自由のないくらいの日本語は話せるようです。また、それに伴って家庭での日本語使用も増えてきました(ちなみに英語力も驚くべきスピードで伸びていますが、それはまた別の話)。

子どもが二言語あるいはそれ以上の言語を使う必要を本当に感じたならば、バイリンガルかマルチリンガルになるでしょう。そして、必要がなくなれば、モノリンガルに移行するでしょう。(p110)

これが全てです。だとしたらバイリンガルを育てるためにはどうやってその「必要性」のある環境を作るか、ということになるでしょう。

というわけで必死に環境を作る親がいる一方で、社会や学校は必ずしもバイリンガルに好意的だというわけではありません。

p112~p118では「バイリンガリズムを励まさない学校」という節もあります。あるフランスの学校では入学前に「学校ではフランス語のみを使う」と規定して、それに反した場合の罰則まであるそうです。これは昔の話ではありません。現在もそういった学校があるのだということです。

そういった意味では私の長男が通うプノンペンの日本人学校はナイス対応でした。小学四年生に編入した長男ですが、初めの頃は緊張してあまり日本語が話すことができません。でも、担任の先生が「名前を韓国語で書いてみて」と言って息子に黒板に文字を書かせたそうです。

担任の先生は息子が書いたハングルを指して、「すごいね。韓国語、みんなわからないね。でも●●くんは韓国語もできるんだね」とみんなの前で言ってくれたそうなのです。

日本人学校は日本語で授業を行う学校です。でも先生の発言は複言語主義を認めています。そして、他の言語ができることの価値を認めているのです。しかし、世の中のすべての学校がそうであるとは思えません。親としては、あまりにもバイリンガルを否定するような教育をおこなうような学校には子供を通わせない方がいいでしょう(とは言いつつも、学校を移ることもそう簡単にはいきませんね)。

バイリンガルの側面

前にも述べましたが、バイリンガルというのはなまりもなく、どっからどう見てもネイティブである、というような話し方をするような人を想像しますが、

実際にはこのような人はほとんどいません。(p136)

「なまり」というのは発音上の母語の干渉のことです。私などもわりと流ちょうに韓国語話す方だと思いますが、ちょっと話すと日本人だとばれることが多いです。でもそれが普通なんですね。

うちの長男は生まれた時からのバイリンガルですからだいぶ発音上はだいぶネイティブチックですが、言い回しは韓国語っぽくなることがあります。でもそれは普通だということですね。

バイリンガル教育を否定する人の中には、「言葉の成長が遅れる」という人もいますが、

バイリンガルの子どもが持つ総語彙数はモノリンガルの子どもと同じであるか、むしろバイリンガルの子どもの方が多いこともわかりました。しかしその一方で、個々の言語の語彙数はバイリンガルの子どもの方がモノリンガルの子どもよりも多少は少ないと考えられます。(p152)

語彙の総数が多ければその子の語彙力は豊かであると判断されてしかるべきですが、それを判断する人がモノリンガルであると「言葉の発達の遅れ」を感じることは十分あり得ることです。

ちょっと子どもの話からは変わりますが、面白い調査が。

認知症を発症するのはバイリンガルの方が遅いのです。(p156)

平均で、5歳ほど違うらしいです。

バイカルチャー

この本の中で結構おもしろく読んだのが、この「バイカルチャー」についての話です。言語と文化は切っても切り離せません。ここでも最初に、

「本物の」バイカルチャーの人は「本物のバイリンガル」と同じくらい稀な存在であるといえます。(p164)

例えば、うちの息子たちですが、日本語はそこそこできても日本に腰を落ち着けて住んだことがないので、日本の文化的なことはそれほど知らないかもしれません。例えば最近お正月がありましたが、日本のあの年末の雰囲気や、正月の街の空気感などはよくわからないのではないかと思います。

また食文化に関しましても、私の場合妻が韓国人なのでよく「食事は韓国料理なんですか」と聞かれるんですが、うちの妻が作るものはいろいろな要素がミックスしており「何料理である」と言えるようなものがない場合が多いです。もちろんキムチなんかはいつもありますけどね。

また私の今の職場ではカンボジア人ばかりですけど、英語が堪能な人が多いです。ほぼネイティブ並みにしゃべる人もいます。ですが、この人たちがバイリンガルだからと言って、英語圏のどこかの国のカルチャーを有しているか、というとそれはちょっと違うような気がします。文化と言葉はまた別のものだということでしょう。

バイカルチャーの人は二つの文化の側面をさまざまな度合いで組み合わせ、統合している(p166)

言語は言語で複言語主義があり、文化は文化で複文化主義があるということです。

私なんかも日本で生まれ育った日本人ですが、妻が韓国人だし、日本にいない時期が長かったので、ちょっと日本の文化に戸惑うこともあります。むしろ他の国の文化にシンパシーを感じることも少なくありません。文化も言葉と同じく、何歳からでも身につくものなのでしょう。

よく、言語が変わると性格が変わると言いますよね。例えば英語で話す時は自分の権利を主張したり直接的な物言いになり、日本語で話すと要領を得ない遠まわしな言い方になるとか。しかし、そういった「言語が変わると性格も変わる」という見解に著者はちがう解釈を提示しています。

バイリンガルであるバイカルチャーの人は言語とは関係なく、環境や状況、聞き手によって振る舞いや態度を変化させる(p174)

↑この部分が私が本書でもっとも感心した部分です。やっと腑に落ちた、と思いました。そうなんです。言語が変わるということは話相手が変わるということなのです。だから当然話し方や内容も変わるのです。

例えば、「好きな歌手は?」と聞かれたとします。「聞かれた人によって答えを変える」のは普通のことなのではないでしょうか。私は同年代の日本人なら、「うーんミスチルかな」と言うかもしれませんし、もっと年上なら「もちろん中島みゆきです」と言うかもしれません。それがアメリカ人だったら「もちろんボンジョビですよ」と変わることでしょう。

これはわかりやすい例ですけど、何語を話すかということはつまり、誰と話すか、ということなんですね。だから物言いが変わるんです。バイリンガル、バイカルチャーの人間はそれが顕著なのです。もちろんモノリンガル、モノカルチャーの人でも相手によって話し方を変えるのは当然かもしれませんが、バイの方の人の方がそういう相手を意識した、配慮した話し方によりいっそう気を遣う傾向があるというのは言えるかもしれません。だって、まず、この人とは何語で話すか、と常に考えるところからコミュニケーションが始まるわけですから。

まとめ

というわけで、二回に分けて『バイリンガルの世界へようこそ』を見てきました。前に読んだ『バイリンガル教育の方法』は著者が日本人だったので、日本の状況などと合わせて読むことができました。この本は、著者がフランス人ですので、また違った視点からの考えなどが知れてよかったです。

ハイライトした部分の半分くらいしかご紹介できませんでした。非常に面白い本ですので↑の本と合わせてお読みください。

あ、最後に思うことですが、フランス語や英語はどちらかというと読み書き楽な言葉ですよね。日本語の場合は話したり読んだりするときには「漢字」という壁が立ち現れます。おそらくそれなりの環境に身を置けば日本語の習得はそれなりにできると思うのですが、読み書きに関して言うと日本語は他の言葉とは同列に語れないのではないかと思うのです。

それは幻想なのでしょうか?他の言葉の読み書きとはちがうのでしょうか。私は日本語の読み書きは他のヨーロッパ言語に比べるとかなりハードルが高いと思います。なので読み書きまで視野に入れた「バイリンガル教育」を考えると、また違う書籍を読む必要があるんじゃないかな、と思います。

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