レビュー『異文化理解力』

投稿者: | 2020年1月12日

エリン・メイヤー(2015)『異文化理解力』英知出版

一昨年くらいに国際就職?を扱うエージェントの人に勧められた本です。とりあえず読んどけって言われていたんですが、やっと読むことができました。一読後の感想としては「まだ読んでいない人は、とりあえず読んどけ!」ですかね。

「異文化理解」というのは昨今よく聞く言葉ではありますが、その指すところって実際はよくわかりませんよね。でも、この本を読めばよ〜くわかります。また海外経験がある人や、外国人と協働したことのある人なら、「なるほど、あのときのあれは、あれに起因していたのか」と、よ〜くわかるのではないかと思います。とにかくいろんなことがよ〜くわかる本です。

わかりやすい「カルチャーマップ」

「自分の文化について知らない」ということはよくあります。しかしここでいう文化とは、着物の着つけを知らないとか、日本の近代史を知らないとか、日本の政治構造についてよく知らないとか、そういうこととは違います。

自分のすべてのもの・ことに対する考え方やアプローチは、実は知らずのうちに生まれ育った環境や文化の中で育まれたものです。でも、私達はその環境や文化を無色であり、透明なものだと思っているため、自分の考え方やアプローチが正しくて、普通であると思い込んでいるわけです。要は自分の考え方は無標であるとなんの疑いもなく思い込んでいるんですけど、実はそれはすご〜く有色で、濁っていて、普通じゃなくて、有標なものなんですね(他の国の出身の人から見たら)。

本書では「カルチャーマップ」として、国際的なビジネスシーンで問題を引き起すことになる8つの項目を上げています(というか、本書の原題は「theカルチャーマップ」のようです)。

1.コミュニケーション(ハイコンテクスト〜ローコンテクスト)
2.評価(ネガティブフィードバックが直接的〜間接的)
3.説得(原理優先〜応用優先)
4.リード(平等主義〜階層主義)
5.決断(合意志向〜トップダウン式)
6.信頼(タスクベース〜関係ベース)
7.見解の相違(対立型〜対立回避型)
8.スケジューリング(直接的な時間〜柔軟な時間)

もちろん個人差はありますが、日本人はハイコンテキストであり、ネガティブフィードバックが間接的であり…みたいなおおよその国民性というのは確かに存在しますよね。本書では、おそらくちゃんとしたデータが基礎になっていると思いますが、それぞれの項目を数直線で表し、どの国はどのあたりに位置する、というような「カルチャーマップ」を示してくれます。

これが非常にわかりやすいです。ちょっと面白かった部分を見ていきましょう。

コミュニケーション

アメリカが世界で最もローコンテクストな文化だ。(中略)日本は世界で最もハイコンテクストな文化である。(p59)

日本語がハイコンテクストな言葉であることは知っていましたが世界で最もそうだとは!こりゃ我々が他の国の人とちゃんとコミュニケーションをとるのは難しそうですね。

ハイコンテクストの文化圏では、学があり教養があればあるほど、話す際も聞く際も裏に秘められたメッセージを読み取る能力が高くなる。そして反対に、ローコンテクストの文化圏では、学があり教養のあるビジネスパーソンであればあるほど、明快で曖昧さのないコミュニケーションを取るのである。(p64)

これには納得。「行間を読む」とかって重要な能力ですよね日本の文化では。「みなまで言うな」とかね。

じゃあ、同じハイコンテクストな文化を背景にする国の人同士はコミュニケーションがうまくいくかというとそうでもないようです。ハイコンテクスト文化出身の人が別のハイコンテクスト文化の人とコミュニケーションを取る場合が

最も行き違いが生じやすい。(p78)

これもわかる気がします。例えば日本と韓国はともにハイコンテクストな国と言えますが、そもそもの文化的背景が違うため、お互いわかった風になってしまい、結果として「それは意図していない」というような結果に終わるのです。

私の妻が韓国人ですから、よ〜くわかります。もし私の妻がアメリカのようなローコンテクスト文化出身であったら、おそらく私はもっといろいろなことをあれこれ説明すると思います。でも韓国の人はちょっと類似している点があるから、「言わなくてもわかるだろう」と思い、いろんなことを省略しがちです。それでコミュニケーションに齟齬が生じるのでしょう。よ〜くわかります。

あと、よく妻にたしなめられるんですが、私は「あの人の最後の一言ってどういう意味なんだろうか」とか、「なぜあの人は私にだけ電話をしてきたのだろうか」とか、そういういわゆるフカヨミをしてしまいます。結果としては「特に意味はなかった」ということが多いです。こういうのはハイコンテクストな国の人だけなんでしょうかね。

ネガティブフィードバック

ハイコンテクストとかローコンテクストとかは考えたことありましたが、フィードバックのやり方にも文化的背景が関係してくるとはあまり考えたことがありませんでした。

私はですね、ネガティブなフィードバックとかは言うのも聞くのも嫌です。常にどうすればネガティブ言葉が出なくてすむか、ということを考えていて↓のようなことまでやりました。

「自分のため」に焦点をおいた授業見学

でも世の中には辛辣でネガティブなフィードバックでも「ちゃんと言ってくれたおかげで良かった」とか「ためになった」とか言う人がいますよね。

以前、カンボジア人の同僚とレストランに入って食事をしているとき、西洋人が支配人っぽい人にあーだこーだネガティブなフィードバックをしていました。私はそれを見て「ごちゃごちゃ言わず食べて帰って、次から来なきゃいいだけなのにね」と言ったら、カンボジア人の同僚は「でも、店にとってはいいことですよ」「ありがたいことです」と言っていました。

それがなんとなく世界共通として「正しい」社会人のあり方のような気がしていたので、自分は異端なのだと思っていました。でも違うんですね。日本人は世界で最も「間接的なネガティブフィードバック」をおこなう国民なんですね。私結構普通でした(笑)

ただ、相手がネガティブなフィードバックを望まない国の出身であったとしても、どうしてもネガティブなフィードバックをおこなわないと行けないときもあります。その時の方策が書いてありました。

「好ましくないメッセージをぼかすために食べ物や飲み物を使う」(p114)

だそうです。つまり、オフィスとかに呼び出すとその内容に集中してしまうためダメージが大きい。でもレストランとかカフェとかで何気に言えばうまくいく、ということです。

あと、もう一つ、私が大好きなのが以下の方策。

「良いことを言い、悪いことは言うな」(p115)

もうそれでいいんじゃないかと思いますけどね。コテコテの日本出身としては。

リード

例えば韓国にいるとき、日本人の同僚にこんな話を聞いたことがあります。

中古車を買いに行って、軽の車ばかり見ていた。どうせ乗るのは一人だし、燃費がよくて小回りのきく車の方が良いと思ったから。でも、ディーラーと話をする中で、自分が「大学の教授である」と話したら、「教授が軽など乗ってはいけません」と言われて、高級な車を見せられた。

ということなんです。「なんだろうね、その体面文化。教授だろうが社長だろうが、車なんて何でもいいよね。ははは」と二人で笑いながら話したことを覚えています。

でも、この本を読んでわかりましたが、ある程度上に立つ人はそれなりの車に乗って、それなりの服を着て、ペーペーの職員とは談笑してはいけない、みたいな行動規範を持つ国もあるみたいです。というか、日本はその階層主義の最たる国に位置づけられています(ということはまたしても私が異端?)。

大学教授が「ある程度上に立つ人」かどうかについては議論の余地がありますが、少なくとも社会的地位は高いと思います。私も前は大学に勤務していましたけど、正規雇用の教授で公共交通機関を使って通勤するような人はあまりいなかったような気がします。私などはシェア自転車を使って通勤していましたが、韓国のコテコテの教授が自転車で通勤する姿は想像できません。

そういえば、よくビジネス関連の記事に「部長クラスの着るスーツ特集」とかいうのを見ますが、私は鼻で笑っていました。「スーツで仕事をするものでもあるまいし」と。でも日本ではそういうことって重要なんですね。

タスクベースか関係ベースか

以前までは、グローバルに仕事を行うマネージャーたちはアメリカ流のやり方に追随しようと心がけていた。(中略)そのためタスクベースのやり方で信頼を築くことが国際的に成功を収めるひとつの鍵だった。(p212)

しかし、現在では多くの関係ベース的考えを持った新興国がビジネスシーンでの存在感を示すようになり、その考え方も変わりつつあるというのです。以前はタスクベースがスマートなやり方だったが、関係ベースもあり得るという風潮になったということですね。

「タスクベースと関係ベース」の話だけに関わらず、この指摘は大事だと思います。よくビジネス関連のハウツー本や、意識高い系のウェブ記事を読むと、「このやり方が最良で最高」のような書き方が目に付きます。でもそんなのないんですよね。CEOは朝の時間を有効に使うだとかね。ジョギングしてるだとかね。そういうのに飽き飽きしていたので上のような指摘は「我が意を得たり」でした。世界は多極化しているのです。

ちなみに日本は関係ベース寄りの国だそうです。私は「人付き合いが悪い」大魔王(飲み会にはあまり行かない、行っても早々に帰る)なので、この点でも異端になるかもしれません。

日本のことは詳しく書いてありました。出た〜「飲みニケーション」。日本人のマネージャーがこれから日本に赴任するというドイツ人に言う言葉がこれ↓

「飲みの席では社会的なバリアを取り除こうとすればするほど、彼らはあなたを信用していきます」(p233)

これでは私は日本復帰は難しそうです(笑)

実は日本語教師も読むべき

というわけで、とりとめもなく見てきましたが、基本的にこのお話は「ビジネス界」でのお話です。私は今海外にいますし、異国の人々とともに働いていますからおもしろく読んできたわけですが、途中まで読んで、これこそ日本語教師が読むべき本だと思いました。

例えばですね、決断においては中国はトップダウン式なんですね。これを日本語教育シーンに当てはめるとしたら、「中国人の学生にはできるだけ先生が決めたタスクをやらせておいたほうが良い」という結論になるかもしれません。

またドイツはタスクベースの国で、中国は関係ベースの国なわけですけど、両国の学生を相手にするとき教師は考えるべきです。学生同士が初対面同士でも、与えたタスクの内容が明確であれば、ドイツ人学生はうまく関係を築いてグループワークができるかもしれません。一方の中国人の学生にグループワークをやらせようとしたら、まずはお互いが仲良くなるということに時間を割くべきかもしれません。

考えてみたら上記したようなことは当然なわけですが、実は日本語教育の世界ではそれほど配慮されてこなかったのでは?とも思いました。私達は「日本語教育のトレンド」というだけで、無批判にいろいろな新しい概念を取り込んできたのではないかと思います(というか、私が無批判にいろいろなことやってきたような気がします)。

例はいろいろあります。「説得」の項では「原理優先」と「応用優先」が対比的概念として挙げられています。それぞれ演繹的な方法、帰納的な方法と言えると思います。かんたんに言えば、前者は単語を説明して、文法を説明し、練習をするという方法で、後者は「とりあえずわからんけど文を暗記して使ってみて、あとから理屈を考える」という方法です。この本によるとドイツ・イタリア・ロシアなどが前者でアメリカ・カナダ・オーストラリアなどが後者にあたります。

誤解を恐れずに言いますと、ドイツでは文型積み上げ式のほうが、アメリカでは行動中心アプローチの方が受けがよいのではないでしょうか。

また、今いるカンボジアのほうが、前にいた韓国より「ペアワーク」はさせやすいような気もします。そのような学習者の出身国という属性をもっと真剣に考えるべきだと思いました。

追記(200717):そういったことを連載形式でまとめています。ぜひ↓のリンクから入って一連の考察を読んでみてください。


まとめ

しかし、そういうことをいうと「同じ国の出身というだけで十把一絡げに論じてしまうのはいかがなものか?」という批判もあることでしょう。本書の中でもそれに関して、非常にわかりやすい言葉が出てきます。

わたしたちはみんな同じで、みんな違う(p104)

そうなんです。もちろん人には個人差があり、同じ出身国だからといって、同一の考え方をするわけではありません。でも、その個人に考え方の違いがあるのと同じくらい出身国の文化や考え方が個人に影響を与えていることも確かなことなのです。

だからこそ、これから世界で活躍する人には、それが「個人差によるものなの」「文化的背景によるものなのか」を特定する能力が必要になってくるのですね。

自分の現在地を相対的に位置づけるということは非常に大切なことです。自分がどこにいるのかがわからなければ、どれだけ精巧な地図を持っていても役に立ちません。この本は私達が今どこにいるのか、そして世界はどのように広がっているのかを教えてくれる良い教科書ではないかと思います。

レビュー『異文化理解力』」への1件のフィードバック

  1. ピンバック: カルチャーマップから考える日本語教育 その0 | さくまログ

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