レビュー『外国語学習の実践コミュニティ』

投稿者: | 2018年2月20日

最近色々とお世話になっている荻野雅由氏が著者の一人として参加されているということで手に取りました。読んで終わりだとすぐに忘れてしまうのでここにその内容やその他諸々を記録しておこうと思います。

実践コミュニティとは

本書の内容を簡単に言うと、「実践コミュニティの考え方を取り入れた日本語教育現場での実践を事例とともに紹介するもの」ということができるでしょう。ではこの実践コミュニティとはいかなるものでしょうか。

本書の中でも引用されているウェンガーの実践コミュニティの定義は以下のようなものです。

あるテーマに関する関心や問題、熱意などを共有し、その分野の知識や技能を、持続的な相互交流を通じて深めていく人々の集団である。

この考え方は、学校や教室、社会へのアンチテーゼ という点から主張されているようです。学校教育はカリキュラムが決まっており、それを画一的に教え、一律に学んでいくことを目標にしています。実践コミュニティはそれとは違って、「実際に現場で行われている実践に参加することから学びを深めていこう」というものでしょう。

言葉はコミュニケーションするためにあるものですから、言語教育の実践とはコミュニケーションをすることに他なりません。しかし、特に海外で日本語を学ぶ学習者は、漫然と教室で学んでいるだけでは日本語でコミュニケーションをする機会は極めて限定的です。その解決策として提案されるのが日本語学習の実践コミュニティです。

本書は全16章で構成されているのですが、そのほとんどが、編者が所属するオーストラリアのニューサウスウェールズ大学の日本語コースにおいて日本語学習実践コミュニティをいかにして作ったか、いかにして作ろうとしているかという事例の紹介に当てられています。

これこそ実践報告

いくつもの素晴らしい実践報告がなされているのですが、ここでその全てを紹介することはできません。と言うか、詳細を知りたい方は本を買って読んでください。

私が読みながら思ったのは、これこそ実践報告だなというものです。この本では日本語学習の実践コミュニティを構築するためにどのような試みを行ったかが書かれています。そのどれもが非常に正直に書かれています。最初は読みながら、「レベルの高い大学だから学生の質も高く、このような先進的な試みができるのだろう」と多少捻じ曲がった考えで読んでいましたが、 読み進めていくうちに、様々な障害や問題となるべきことがこの大学にもあり、それは種類は違えど私の所属する現場でも似たようなものだな、というようなことがわかりました。

もちろんうまくいった例も書かれていますが、それと同様にうまくいかなかった例も書かれています。例えば6章では漢字学習の実践コミュニティについて述べられています。この試みは実践コミュニティとしてはうまく機能しなかったようです。そういうことがちゃんと書かれているんですね。

日本語教育関連の授業の実践報告を読むと、だいたいその実践がうまくいったということが書かれることが多いです。そして最後に申し訳程度に反省点やこれからの改善点などが書かれたりします。それはそれでいいんですが、実践報告っていうのは「こうやったけど全然うまくいかなかった」そういう報告もあってしかるべきです。

そもそも実践報告というのは、「私はこんなことをやったんだけどこういう結果になりました。では次にやる人はこれを参考にもっと良い授業ができるように考えてくださいね」 という性格を帯びることに、その存在意義があります。

こんな授業やったけどうまくいかなかったという結論は、この後の授業をする時はこういうことをやってはいけませんということを教える機能があるわけです。「これはやってはダメ」という示唆はその領域における大きな教訓や財産となります。

また失敗した報告だけではなくて、それなりに手応えのあった授業でも、次の学期には登録数が半分以下になったとかそのようなことがちゃんと書かれています。おそらくこの舞台となっているニューサウスウェールズ大学というのはなかなか優秀な学生が集まっている学校です(そんな記述もあったような)。そしてそこでに教育に従事している教師もきっと優秀な人ばかりであるに違いません。そんな恵まれた環境でもうまくいかないことがあったり、問題を抱えているというのはそれ自体が救いとなり希望となるのではないでしょうか。

「いいとこどり」で!

上で書いたように本書の大半はニューサウスウェールズ大学の日本語コースでの実践報告です。

この大学は日本語コースがしっかりと構成されており、コースデザインやカリキュラム作成なども全体を見通した上で かなりシステマチックにおこなわれていると見受けられます。

翻って我々の職場ではどうでしょうか。もし、この本を読んだ人が大学の日本語コースをアレンジメントできるような立場にあるというのであれば、早速この本の実践を取り込むことができます。しかしたいていはそうではありませんよね。私ができることはせいぜい割り当てられたクラスの中で、どれだけ実践コミュニティ的な活動を増やしていくか、くらいでしょう。

でも、どんな立場にあったとしてもこの本での実践報告は非常に有用です。本書の副題が「参加する学びを作るしかけ」となっているように、 随所にちょっとした仕掛けが散りばめられているんですね。もちろん大枠のコースアレンジメントとかにおける大きな仕掛けもあるわけですが、単一のクラスだけでも使えるような小さな仕掛けについての記述も少なくありません。

例えば、8章に書かれているスピーチ対話テストなどでも、評価自体は個人が受けるのですが、そのやり方をグループ方式にすることによって、 他の学生とともに試験を体験し、一緒に試練を乗り越えたような連帯感が生まれるように仕掛けられています。この8章に書かれている全てを実践できないとしても、このようなテスト方式だけを自分の授業に取り込むことは十分可能です。

もっと知りたいところ

本書で構築を目指す日本語学習の実践コミュニティは、決してその授業を受けている学生だけで構成されているわけではありません。むしろ、その教師という垣根を取り払って、普段は会うことのない人々との交流を促進させようという意図がありありと見えます。 学年を超えた交流、学校を超えた交流など様々なパターンが紹介されています。

実際にこのような垣根を越えた交流をやってみようと思うと、その企画だけでもかなりのエネルギーを消耗することが想像できます。もし授業がその担当教員一人だけで完結するのであれば それほど難しくないことでも、考え方の違う他の教師と足並みを揃えて、計画を立て、共に実践に移すということは並大抵の労力ではありません。

もしかしたら中にはそのようなことをしたくないと思う教師がいても不思議ではありません。このような 垣根を越えた交流が学習者たちの大きな学びを喚起すると分かっていても、実務上の 面倒くささを考えたらやりたくないと思う教師もいるはずです。

ここで実践報告をしている日本語学習実践コミュニティの構築に尽力した人々(教師)の モチベーションというのはどこから来ているのでしょうか。 そういった観点からはあまり言及がありませんでした。この辺は非常に気になるところではあります。

またもう一点気になるところは、学習者側の受け止め方です。ニューサウスウェールズ大学には様々な学生がいることでしょう。留学生を含めて、母語を英語としない学生が多数いることも述べられています。そうなると、学習者側の価値観も多様であるわけです。実践コミュニティという様々な人々が交流しながら日本語を学んでいくやり方に賛同する 学生もいれば、 反対に 一人でコツコツ勉強したい、他の人と関わりながら勉強するのは苦手だ、という学生も少なくないはずです。そのような学生にとっては様々な人々との交流自体が苦痛になる可能性も潜んでいます。おそらく、そういう学生をも 上手に巻き込むような 仕掛けやノウハウもあるはずです。 その辺についてはどうなんだろうかという疑問を持ちました。

ダンスビデオプロジェクト

最後に、荻野氏の 書かれた部分について書いておきます。

これはオーストラリアではなくニュージーランドでの実践報告なのですが、高校生を対象としたダンスビデオプロジェクトについて詳しく書かれています。以前からこれについては気になっていましたが、その背景や 様々な周辺のことがわかって面白かったです。

ダンスビデオ・プロジェクト

日本語を勉強している人達に急にダンスを踊ろうというのですから反発が 起こってもおかしくありません。いや当初はきっと起こっていたはずです。この辺をどのように丸く収めて素晴らしいプロジェクトにして行ったのかが気になるところですが、それについてはあまり書かれていませんでした。いつかご本人に聞いてみようかと思います。

この章では「大人の事情」的なこともいろいろ書かれていて、それが他の章とは違うなと思いました。例えば高校生が大学に来てイベントに参加するわけですが、施設の利用にお金がかからないとか、大学サイドにはマーケティング的なメリットがあるとかそのようなことが書かれていました。他のニューサウスウェールズ大学の報告にはそのような「大人の事情」的なことはあまり書かれていませんでしたが、実際コースを運営したり授業をする上ではそのようなこともあるはずです。

最後に

編者はトムソン木下千尋氏ですが、そういえばちょっと前にも同氏が編集された本を読みました。そこでも色々と有意義な実践やそのための仕掛けが紹介されていたのを覚えています。

レビュー『人とつながり、世界とつながる日本語教育』
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ニューサウスウェールズ大学に1ヶ月ほど行って実地見学させてもらいたいくらいです。実際そういう人たちもいるんでしょうかね。

同じく外国で日本語教育に携わる者として勇気を与えられる本です。

レビュー『外国語学習の実践コミュニティ』」への2件のフィードバック

  1. トムソン木下千尋

    トムソンです。レビューが載っている旨、ココ出版さんより、連絡を受けました。
    レビュー、ありがとうございました。
    ご指摘の件ですが、簡単にコメントします。
    (1)先生方のモチベーション。
    おっしゃる通り優秀な先生方の集まりです。私を25年前に雇ってくれた日本経済の教授に先見の明があり、当時の風潮だった日本の文学や歴史の先生を雇って日本語を教えさせるのではなく、日本語教育を専門とする若手の先生を集めていました。みなさん当時より一緒です。葛藤がなかったわけではありません。モチベーション、能力だけでなく、25年の歴史が大きいと思います。
    (2)学生の受け止め方。
    最後の章に少し書いているのですが、実践コミュニティの外枠のところにいる学生達のことですね。特に初級日本語を一般教養で履修している学生の中にはコミュニティに入って来られない、入る気がない学生もいます。無理矢理入れるのは「つながりの強要」という別の問題を起こします。これについては今別のところで考察中です。実際には、学期の始めに私たちのコースはこういうコースだから、それを理解して履修してほしいということを明示します。その上で、少人数授業でグループに入って行けない学生は、先輩や教師が後押しをして、入れる手助けをします。それでも難しい学生はいます。
    今後ともよろしくお願いします。

    返信
    1. shirogb250 投稿作成者

      編者の方から直接コメントをいただけるとは光栄です。そして恐縮です。

      なるほど、長い歴史の中で(優秀な)教師たちが積み重ねた結果がこのようなプロジェクトを作り上げているのですね。早急に結果を求めようとする社会の流れの中で、「25年の歴史が大きい」と言い切られているところに心より敬意を表します。

      また、コミュニティの外枠にいる学生のことについては「今別のところで考察中」ということで、これも楽しみにしています。

      愚にもつかない読書感想文に丁寧なコメントを寄せてくださり、ほんとうにありがとうございました。

      返信

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