■今井新悟(2018)『いちばんやさしい 日本語教育入門』アスク出版
ちょっと前に↓の記事が話題になりました。
■AIの進化と日本語教師の役割-今井新悟先生インタビュー(1/3)
■AIの進化と日本語教師の役割-今井新悟先生インタビュー(2/3)
■AIの進化と日本語教師の役割-今井新悟先生インタビュー(3/3)
(日本語教育いどばた)
計3回に渡るなかなかガッつりとした記事なんですが、この3回目の記事の中で、インタビュイーである今井新悟氏が実践する「教えない教え方」についての話が出てきます。そしてその「教えない教え方」については、氏の近著である『いちばんやさしい 日本語教育入門』でも言及されているそうなのです。
教えない教え方…自律学習のことでしょうか?とにかくこの「いどばた」の記事がおもしろかったので、勢いで『いちばんやさしい 日本語教育入門』も購入しました。
「いちばんやさしい」けど、読んどく価値アリ!
内容としては「音声」、「文字・語彙」、「文法」、「言語と社会」、「教育法」の5章構成で、一般的な日本語教育の入門書とあまり変わるところはないと思います。
あれ?でも「教えない教え方」はどこに書いてあるんだろう。第5章の「教育法」のところかな?と思ったら、申し訳程度に、
エピローグ「教えない教え方」
とのことでした。あれ…これもしかして冷静に考えると失敗したかな…
よく考えると、タイトルは「いちばんやさしい」んですよ。私はだらだら仕事していますけど、この業界に15年ほどいますし、そんなに真面目じゃないけど自分なりに職業知識のアップデートは怠っていないつもりです。年齢的にも「中堅」と言って良いでしょうし、それで今さら「いちばんやさしい」?「入門」?目当てだった「教えない教え方」はおまけ程度だし…
「失敗したかな~」と思いながらもページをくり始めたのですが、
その心配は杞憂に終わりました。
確かに「いちばんやさしい」けど、私が知らなかった内容もありましたし、「なるほど、そういう分け方もあるのか」と膝を打つ部分もありました。そしてエピローグも読み応えがありました。
第1章から第5章まで
エピローグを除いては、普通の日本語教育の入門書なわけですが、いくつかおもしろかった部分をご紹介します。
●「のだ」の分け方(p141)
いつも「のだ」のあたりを授業で扱うのが苦手です。中堅だ、なんだかんだ言っといてあれですけど(汗)。私は「のだ」は「関連付けの表現」ということで説明をおこなってきたのですが、本書では大きく2つに分かれるとしていました。
・聞き手に「説明」する用法
・話し手の「気づき」を表す用法
なるほど。これはすっきりしていいですね。「関連付け」というキーワードでも「のだ」をざっくり説明することは可能ですが、この「説明」と「気づき」の方がもっと突っ込んで解説できるな~という感じがしました。
●「は」と「が」の使われ方の傾向(p165)
韓国語にも「は」や「が」に対応する助詞があるので、韓国語母語話者を相手にしている今は「は」と「が」の使い分けを説明する機会はありません(もちろん使い方が違う場面もあるにはあります)。
ですから(近年韓国にいる私としては)「は」と「が」の違いに関してもあまり深く考えたことがないのですが、この「使われ方の傾向」を表した表には膝を打ちました。なるほど~。
●直近のトレンドや研究のキャッチアップ(p221など)
上の方で私はこの本を生意気にも「普通の日本語教育の入門書」と言いましたが、以前読んだ「入門書」にはあまり出てこないような近年のトレンドや研究成果もしっかりと組み込まれている部分は他と違う印象を受けました。
というのも「入門書」というのは、他の分野もそうだと思いますが、だいたい「ロングセラー」、「定番」になりますので、何十年も前に書かれた本が「入門書」になりがちです。そうなると当然直近の動向などは「入門書」では習えないことになります。
p221に行動中心アプローチの話が出てくるのですが、その中でどこかで見たような図がありました。出展を見ると「むらログ」とあるんですね。あ~そうだ、これブログで見たわ~と思いましたが、このブログ記事は2018年3月14日にアップロードされているんですね。うわ、これ書いている今からみてもまだ半年たってもいない(出版は4月28日です)。。。
■行動中心アプローチでは文型が多すぎて大変?
(むらログ 日本語教師の仕事術)
もちろん、これも現在だから「最新」と言えるわけであって、書籍は時が経てば絶対に古くなるわけですが、ここでのポイントはこの本が「入門書」であるという点です。
「入門」と名付けた以上、著者は上で私が述べたように、ロングセラーで定番になることを想定、期待しつつ書いたと想定できます。しかしその上でまだ評価が定着していない最新の成果や動向を載せていくのは勇気が要ることだと思います。
著者はAIとかなんとかも研究しているだけあって、先を見通す目があるのでしょう。「日本語教育の世界はこう動いていく」という確信的なビジョンのもとに最新の動向や成果も書籍に反映させたのだと思いますが、その辺には敬意を表したいと思います。
●その他のしかけ
QRコードを随所に入れているのもこの本の特徴の一つでしょう。ある内容に関してもう少し詳しく知りたい人にとっては良いガイドになります。また関連した内容についてのウェブサイトの紹介も積極的におこなわれています。
またもう一つびっくりしたのは、各章の最後にある「考えよう」のところです。これは基本的な理解を問う「確認問題」の次にあります。「確認問題」には巻末に模範解答の提示があるのですが、その発展問題である「考えよう」には模範解答がありません。じゃあ、どうするの?と言うと、こんな記載があるんです。
「考えよう」には解答を載せていません。私にメールをいただければ、コメントを返しますよ!
ここまで読者と距離が近いとは!私はメールを送らないと思いますが、きっと送って「どうでしょうか?」と問う人もいると思います。「本を出したら終わり!」じゃなくて、ちゃんとケアをするというのはすごいですね。
エピローグ「教えない教え方」
さて、私がこの本を購入するきっかけになった「教えない教え方」です。対談形式になっており、エピローグとはいうものの40ページ以上が費やされているので割とガッツリとしていて読み応えがあります。
嬉しいことに重要な言葉はハイライトされています。そのうちいくつかを転載してご紹介します。
・一斉授業ではダメですよ(p241)
・「教えない勇気」を持つことです(p242)
・文法の解説を予習してくることにしているので、わざわざ教師が説明したり、実演して見せたりして、新しい文型を導入する必要はありません(p246)
・(教室は)コミュニケーションの成功体験を積み重ねる場(p247)
・教えるというよりもサポートする感覚です(p248)
・学習者主体の授業の基本は学習者のモニタリング(p252)
・教案を完成させることにはあまり意味がない(p255)
・学習者を主役にして、教師はわき役に徹する(p260)
・機械的な練習は無意味(p261)
・教師の権威を捨てるということ(p282)
非常に現代的な教育方法ですよね~私も自律学習に関してはいろいろ文献を読んだり、自分の授業で実践をしてきましたから著者の考えにはほぼ全面的に賛成できます。
ただ、読み進めながらいろいろと考えさせられました。私はこの夏、中国に行って日本語合宿授業を見学させてもらったのですが、そこでは割と「機械的な」練習がおこなわれていました。また、そこでは教師の個性が全面的に押し出されるように授業がおこなわれていたりもして「教師はわき役に徹する」というのとも違う考え方のようでした。
【追記】「教えない教え方」と中国の笈川式の授業が対極をなすような書き方をしましたが、あくまでこれは「私が観察した授業の範囲内」での話です。笈川氏は「教えない教え方」とは距離が遠いわけではなく、むしろ「教えない教え方」の実践者であるとも言えます。以下の記事を読めばそれはよくわかります。
■笈川幸司さんの日本語指導に見るソーシャル・ネットワーキング・アプロ ーチ
(むらログ 日本語教師の仕事術)
以前はどちらかというと私も著者寄りの考えを持っていたのですが、200人以上の学生が一生懸命朗読練習を重ねるこの合宿授業の見学を通して、その価値観が揺れてきたところがあります。著者寄りの考えに傾倒しかけていた自分の考えを補正する、問い直すという意味で非常に良い経験になったと思っています。
この辺は勇気を出して言いますが、「どちらが正しい」というものでもないと思います。著者の言うことも正しい、合宿授業でのやり方も正しい。
日本語教育の現場ほど多様性にあふれているところはありません。私たち日本語教師は一つの現場に赴くたびに、そのクラスや個人の特性に合った授業の進め方を考えていく必要があります。
その上で、私の受け持つ次の授業には著者寄りの「教えない教え方」の考えを盛り込んだ活動と、合宿授業で学んだ「機械的な練習」の両方を盛り込むことを考えています。
いずれにしても、「教えない教え方」は時代の流れから見ても、今後日本語教育の分野においては主流になっていくのは必至です。さまざまな古の教育者の教育感の紹介などもなされていますし、興味のあるなしにかかわらず一読する価値はあるのではないかと思います(もちろん二読、三読の価値もあります)。
最後に
1章から5章までの内容は辞書的にも長く使えると思います。
そしてエピローグですが、「教えない教え方」と聞いてあまりイメージが浮かんで来ないような方々にはぜひ読んでいただきたいと思います。
■今井新悟(2018)『いちばんやさしい 日本語教育入門』アスク出版
3月に今井先生にさそわれて、7時間討論をしました。やり方、考え方は違うのですが、目的が同じ、または似ているので、不思議ですねという話になりました。実は、わたしの合宿には続きがあります。崔文超さん、汪斉さんには、やはり「教えない」ことを中心に指導をしています。ですので、段階があるのではないかと思っています(*^^*)。
笈川先生コメントありがとうございます。そして失礼しました。確かにこのような書き方では笈川先生の考え方自体に関して読者に対して誤解を招きかねません。よって以下の文章を追加しておきました。
【追記】「教えない教え方」と中国の笈川式の授業が対極をなすような書き方をしましたが、あくまでこれは「私が観察した授業の範囲内」での話です。笈川氏は「教えない教え方」とは距離が遠いわけではなく、むしろ「教えない教え方」の実践者であるとも言えます。以下の記事を読めばそれはよくわかります。 ■笈川幸司さんの日本語指導に見るソーシャル・ネットワーキング・アプロ ーチ(むらログ 日本語教師の仕事術)
これからも軽々しい書き方で誤解を生むこともあるかもしれませんが、その都度ご指導いただければ幸いです。
お気づかいいただき、ありがとうございました。いま、ナイロビに来ているのですが、こちらに、招聘講師として、ベルギーの櫻井先生、スペインの鈴木先生もいらっしゃいました。教師が学生に求めるところ、学生が自分自身で求めるところは違いますが、そのせめぎ合いといいますか、その部分が非常に大事だとおっしゃっていました。今井先生も「せめぎ合い」の点をお考えかと思います。一瞬も目を離せないので、教えない教え方は、けっして楽なものではないように思います。それができるようになるには、大胆さ、繊細さ、両方のクオリティを高めなければ!と思う今日この頃です。
再度のコメントありがとうございます。
>一瞬も目を離せないので、教えない教え方は、けっして楽なものではないように思います。
まさに私もそう思います。一度その「教えない教え方」まがいの授業をやったことがあるのですが、
「楽できるかな」という目論見は簡単に打ち崩されてしまいました。
まずは「ちゃんと教えられる」ことが前提で、その次の段階に「教えない教え方」があるのかもしれません。
などとテキトーに考えてみました(笑)
教えない教え方は、こつがないように思います。一番難しく、一番やりがいがあると思います。達人の域に達した方だと思います。今井先生も細川先生も。
達人という言葉を聞いて、中島敦の「名人伝」を思い出しました。ただ上手に弓を射ることができるだけでは達人とまでは言えず、弓の射方を忘れるくらいになってこそ達人だという示唆深い話ですよね。
教えるのが上手、というくらいではまだまだで、「教えない教え方」をできるようになってこと達人なんでしょうね。
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