レビュー『外国人介護職への日本語教育法』

投稿者: | 2019年8月9日

宮崎里司他(2017)『外国人介護職への日本語教育法』日経メディカル開発

こんど私の職場で「介護の日本語」をテーマにセミナーを開くことになりました。私はそこでは何もしないんですけど、一応セミナーの主催者なんで最低限のことは知っておこうと、読んでおくことにしました。

なんていうと消極的な動機だな〜と思われるでしょうが、読んでみた感想としては・・・

すばらしい!

おそらく日本語教師とかが読んだら(読む人のほとんどは日本語教師でしょうけど)、介護の現場の人に日本語教育を施したい!という思いが強くなること間違いなしです。

ワセダバンドスケールとは?

これなんだろう?もしかして腕にまいておくもの?なんてトンチンカンなことを思っていました。「バンド」あたりがそう感じさせますよね?

でもこれは「日本語能力測定基準」(介護版)のことなんですね。

日本語を測定する基準にはいろいろなものがあります。代表的なものは日本語能力検定試験(JLPT)ですけど、これだって完全なものではありません。スピーキングはありませんし、漢字だって書けなくても選べれば点数を取れます。「N3を持っている」と言ったら、ある程度その人の能力は察しが付きますが、日本語を使って具体的にどんなことができるかは「N3を持っている」ということだけはわかりません。

そこで、ワセダバンドスケールなわけですが、これは介護の現場で働く人々の日本語能力を測る基準です。その人が介護の現場で、どの程度必要な日本語を使えるか、を測定するというもんなんですね。測定することによって、その人の日本語能力の現在地が明らかになり、なおかつ今後目指す段階はどこなのか、が明確になるわけです。

例えば、「読む」のレベル1は、「よく使う業務名、施設内の名称、利用者名を読むことができる」なんですね。簡単に言えば、「排泄介助」とか、「浴室」とか、「佐藤さん」とか、そういったことが読めるか?ということです。これは一般の日本語能力の評価基準とは全然違いますよね。おそらく介護の現場では「排泄介助」「浴室」「佐藤さん」といった文字が読めないとまず仕事にならないのでしょう。

で、レベル1に達していない人でしたら、教育の方針は明確です。「排泄介助」「浴室」「佐藤さん」という文字を読めるようにすればいいのです。そして、それが読めるようになれば、レベル2の「身体の部位、骨の部位、職員の呼称などを見て意味がわかる」ことができるように教育を施せば良いというわけです。

例として「読む」を上げましたが、いわゆる4技能でスケールが構成されています。「読む」「書く」「話す」「聞く」ですね。

ワセダバンドスケール(介護版)

なんかわかりやすくて、すご〜く明確で、美しいですよね。

行動中心アプローチ

このワセダバンドスケールは「行動中心アプローチ」に基づいているわけですね。

おそらくこれを作った人は、介護施設に見学に行ったり、介護施設で働く人へのヒアリングを通して、「介護の現場で働くためにはどんな日本語が必要なのか」を徹底的に洗い出したはずです。そして、その重要度の高さと、その難易度を考えて、この評価基準を作り出したんですね。

私が「すばらしい!」と思ったのはその「行動中心アプローチ」が100%ぴったりとはまって均衡の取れたスケールができているからです。私も今、行動中心アプローチの概念を取り入れて教材を作っていますけど、なかなかここまでバランスの取れた教育基準は作り出せません。

「日本語」という専門性を生かして

私の職場でも介護の日本語をテーマにすると言いましたけど、それはいわゆる特定技能のビザが始まったということと無関係ではありません(というか、超関係ありますよね)。

これから、介護をはじめとするさまざまな分野で日本に人がやってきます。そこで問題になるのはその分野で必要な日本語教育ですよね。さすがに「みんなの日本語」で職業的日本語を学ぶわけにはいかないでしょう。

そうなると日本語教師の出番です。私達は「日本語教育」という専門性を足場として、「職業的な日本語をどのように教えるか」をアドバイスできなくてはなりません

え?私介護とか知らないけど?という人が大部分でしょうが、それは当然です。私も知りません。知らない分野でも現場での聞き取りや、見学を通して「どういうことを教える必要があるか」を「日本語教育的な視点」から分析することが求められます。

前聞いた話ですが、わたしの友人が弁護士なんです。その弁護士いわく、「おれがあたる案件は最初は何もしらない分野のことであることが多い」ということでした。最初は何も知らないけど、その案件を処理するためには未知の分野であれ少しずつ知るための努力をしないといけないんですね。そして少しずつその分野に対する知識や見識を深めた上で、法律という専門性をもって案件を処理するというのです。

作家なんかもそうですよね。なにかネタがあれば、図書館にこもったりしてそのことについてひたすら調べる。そして「文を書く」という専門性を以て、おもしろい小説や読み物を書いていきます。

私たち日本語教師も「日本語」「日本語教育」という専門性を研ぎ澄ませつつ、広くいろいろな分野にあたれるようになりたいものです。

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