日本語教師とSNS

投稿者: | 2020年5月3日

日本語教師ブッククラブに今月も参加しました。

日本語教師ブッククラブ

今月の課題図書はこれ。西村博之(2020)『なまけもの時間術管理社会を生き抜く無敵のセオリー23 Kindle版 』学研プラス。

その中でSNSに関する記述がありました。西村氏のSNSとの付き合い方には割と共感するところが多かったです。また、私もSNSとの付き合い方に関してはずっと考えてきたことがあるのでここでまとめておきます。

この本全体のレビューに関しては別記事でそのうち書くと思います。

SNSをやる目的

まず前提として、私はいくつかのSNSを利用していますが、ここでは主に仕事用として利用しているTwitterに関してのみ書きます。Facebookもよく利用しており、特に「Facebookグループ」は仕事でもガンガン使っていますが、それはまた別の話として。

私がTwitterをやる主な理由は2つあります。まず1つ目は日本語教育に関する情報収集です。

おそらく「日本語教師」という看板を出してTwitterをやっている人のほとんどの目的はこれでしょう。私も同じです。日本語教育のトレンドをつかんでおきたいと思ってTwitterに参加しています。

2つ目は職業人としての認知度の向上です。

こういうことを言う人はあまりいないかもしれませんが、私は同じ業界の人に対して顔と仕事ぶりを売っておこう、ということは常に考えています。

以下、この「情報収集」「認知度の向上」という目的を達成するためにどのように考えて行動しているかをメモしておきます。

※SNSとの取り組み方は人によって千差万別です。これから書くことは単に私に合っているやり方であって、それが素晴らしいとか正しい方法であるなどと主張するものではありません。

徒にフォローする人を増やさない

私が現在Twitterでフォローしている人の数は20ほどです。「情報収集を第一の目的として掲げるにしては少ないのではないか」と思われるかもしれませんが、私の情報処理のキャパシティと効率性を考えた際にはこのくらいで十分だと思っています。

フォローしているのが20人でも一日Twitterを見なかったらそれを挽回するためには結構な時間がかかります。私は以前「日本語教育業界の人はすべてフォローしよう」と思い、数百もの人をフォローしていたこともありますが、とにかくタイムライン?を全部みるだけでかなりの時間がかかっていました。

で、フォローする人を少数に絞ってみてわかったんですが、目ぼしい投稿というのはフォローしている誰かを介して目にすることになるのです。もちろん「目に入ってないものに関してどうして 目ぼしいかどうかわかるのか?」と言われればそれはその通りなのですが、私が満足できるくらいの情報は十分手に入れられていると思っています。

ですから大事なことは、フォローする人の数を増やすことではなく、情報をうまく流してくれる人をちゃんとフォローすることだと思います。つまり人的なフィルターをかけるということですね。

それ故に、絶対にやらないでおこうと思っていることは「義理でフォローする」ことです。特に、リアルで知っている人などにフォローされると、「礼儀としてフォロー返ししなければならないのでは?」と思ってしまいがちですが、そこは心を鬼にしてやらないようにしています。

西村氏も以下のように言っています。

僕も、SNSは情報収集のための手段だと思っているので、実は友達のアカウントはほとんどフォローしていません。
いいネタをシェアしてくれることが多い友人はフォローを続けますが、「行った場所、食べたもの、感じたこと」ばかりアップしている人は、ソッコーでフォローを外します。

ただ、私はFacebookもやっており、そこでは「行った場所、食べたもの、感じたこと」をアップする知人などをフォローしています。ただ、情報収集のためのTwitterではやらない、ということです。

情報発信をする人に情報が集まる

私もブログやFBグループなどを通して発信をしている方だと思います。だからわかるのですが、やはり情報を発信する人には情報は集まります

といっても、私が情報発信をしているからと言って、誰かが「あなただけには教えますけど…」というようなトップシークレットの情報を耳打ちしてくれるというわけではありません。得られる情報は発信をしない人と同じです。

ではなぜ発信している人に情報が集まるのか?

発信をするということはある程度の責任がついてきます。例えばブログでなにか書くにしても「ソースをちゃんと確認しておこう」とか、「もう一度あの人のツイートを見ておこう」ということになるんですね。だから「情報が集まる」というか「情報がちゃんと自分に引っかかる」状態になるんですね。

※あと経験として、FACEBOOKグループの管理人とかをすると、特に情報は集まります。

また、書くという行為も重要です。書いたことっていうのはなかなか忘れにくいです。また書いた内容を忘れたとしても、それについて書いたという事実は覚えているので、「●●ってなんだったっけ?」と思ったらすぐに過去の発信情報に戻って確認をすることができます

おそらくみなさんも「Twitterで誰かが紹介していた内容にもう一度アクセスしたい!」と思い、過去の他人の投稿を探しまくった経験というのがあるのではないでしょうか(たいてい見つからなくて人に聞きますが)。それが自分の投稿やブログだと、簡単に見つけられるんですね。

仕事を目に見える形に

「発信する」のは「情報集め」にも役立つということを↑で述べましたが、それは私がTwitterをおこなう2番目の目的「職業人としての認知度の向上」にも合致します。

日本語教師って職場が変わることが多いじゃないですか。「新卒で日本語教師になって65歳まで同じ学校に勤め上げました」って人もいるかとは思いますが、稀でしょう。

で、転職で役に立つのはコネと経歴ですよね。

ただ経歴って「〇〇学校に●●年勤めた」だけでは足りないと思うんですよね。その○○学校で何をしたかというのが重要になってきます。でもそこで「いつも学生からの講義評価は良かった」とか言っても外部の人にはよくわかりません。

だから、目に見える形で自分の経歴を残しておく、というのは重要だと思います。私が研究者であれば、論文や本を書くでしょう。でも私は研究者ではなく、日本語教師ですから日々の仕事を論文とか本とかとは違った形で残し、発信していく必要があると思っています。

それでブログなんかを書くわけですが、私レベルですとひっそりとブログを更新しても誰も見に来てくれません。そこでSNSに投稿しておくのですね。

私自身、以前は好きなブログにブックマークをいれて巡るというのを日課にしていたのですが、もうやっていません。今は日本語教育界の人のブログもSNSでの投稿から飛ぶことしかしません。最近はそういう人が多いのではないでしょうか。

投稿内容のルールを決める

西村氏は、

自分の作品を投稿して、ビジネスにつなげている人などは別として、一般の人は、 SNS なんて見ない方がいいと僕は思っているのです。

と言っていますが、これも同感です。逆に私は「ビジネスにつなげている人」=「日本語教育につなげている人」を相手にTwitterをやっていますので、投稿内容にも自分なりにルールを設けています。

1つ目。「日本語教育的な内容のツイートをおこなう」。

「食べたもの、行ったところ、感じたこと」などは基本的に書きません。時事的なニュースなどに一言なにか言いたくなることもありますが、書きません(返信やコメントなどはその限りではないですが)。

2つ目。「肯定的な内容だけ書く」。

他人のツイートなどを見ていると「それは違うだろう」とか「その考えはおかしい」と思うことも少なくありませんが、そのようなことは一切書かないことにしています。日本語教育関連の内容であってもです。

人に求められる役割というのはいろいろあると思いますが、少なくとも私には「否定的な内容を他人に問う」役割は与えられていないと思うからです。また逆の立場になったとき、否定的な発言が多い人や口の悪い人は「嫌だな」と思います。だから私もやらないようにしています。

しかし、それでもどうしても反論したいときがあるし、否定的な内容を書きたいときがあります。その時はとりあえず書きます。で、書いたあとでデリートします。結構これだけですっきりします(変な方法ですけどね)。

3つ目。「良い人である」。

私などは目が覚めている間は常に人に言えないようなあくどいことを考えている極悪人なんですが、そんなことをTwitter上で言う必要はありません。良い人を気取っていればよいのです。

具体的に言うと、

・「です・ます」調で話す。
・コメントやメッセージには丁寧に対応する。

まあ、特筆すべきことはないですね。皆さん大体やっていることです。あとそれに加えて、

・徒に議論に参加しない。

といったところでしょうか。最近Twitter日本語教育界隈は静かですが、時々騒ぎが勃発することもあります。もしその議論に参加しなければ生命が脅かされるというほどの危機がない限り、意見の分かれる議論には参加しないようにしようと思っています。そもそも議論はそんなに好きじゃないのです。

自分でコントロールする

SNSを見ることで、じつは多くの人がメンタルにダメージを追っているんじゃないか

つながっている人たちがみんな、自分とは違うキラキラした腸ろう人生を送っているように錯覚して落ち込みやすくなります。

と西村氏は言っています。これはある程度わかります。私は食べ物にも旅行にもあんまり興味はないのでその辺でダメージを受けることはありません。

しかし、時としてTwitter上のみなさんはあまりにも輝いて見えるのです。仕事がうまく行っていないときなどは、みなさんが良い仕事をすればするほどダメージを受けるのです。

でも、最近わかったんですが、そういう時は見なければいいのです。自分がノリノリのときだけ見て、沈んでいる時はガン無視します。もちろんそれで得られなくなる情報もあるでしょうが、そもそもTwitterで世の中のすべての情報にアクセスできるわけではありませんからね。

やっぱり費用対効果

おそらくここまで読んできた人の中には、もの足りなさを感じている人もいるでしょう。もっと真剣に日本語教育に役立てるのであれば、

・英語圏をはじめとしたグローバルな情報を得ること
・他業種の情報を得ること

などは必要かと思いますし、そういった情報が得られると踏んでここまで読んでくださった皆さまには大変申し訳ありません。ただ、それだと私の場合コスパに見合わないんですね。

外国語学習系のメソッドや教育ツールなどは圧倒的に英語圏から入ってくることが多いです。それに精通していることも必要かと思いますが、英語人までフォローするとTwitterチェックがかなりの重労働になります。

ただ、良いものや抑えておくべきものはタイムラグがあっても、私のフォローしている日本の人から翻訳なりなんなりが入ってきますので、それで良しとしています。

また、視野を広げるためには他業種にも目を配ったりする必要があるとは思いますが、やっぱりそこまで追いつきません。そもそも他業種といったら、世の中すべてということですから、「ここだけ抑えておけば大丈夫」ってところもないですしね。

とにかく、あまり好きな言い方ではないですが、最低の投資でそこそこのリターンを得るというのが私のSNS、Twitter利用の方針です。

まとめ

以上、私のSNSというかTwitterとの付き合い方について書いてきました。使い方はともかくとして、日本語教育関連のトレンドを追っていこうと思ったら、今はTwitterしかないんじゃないんかなと思います。

諸先輩方の努力のおかげで日本語教育界隈はだいぶ落ち着いているように見受けられます。数年前はもうちょっと殺伐としていたように思います。

今後ともTwitter経由で良質な情報を得つつ、私もなにか貢献できたらいいなあと思っています。

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