みんなが幸せになるオンライン授業を考える

投稿者: | 2020年6月12日

教育の公平性

ということが言われます。例えば日本の学校でも、全員が満足して講義を受けられない環境にあるということからオンライン講義をおこなっていないとするというところも多いようです。

確かにそれは一理あります。公教育の場で「みんなオンラインで講義を受けているのに、うちはPCやスマホがないから受けられない」という状況はあまり見ていて気持ちの良いものでないことは想像できます。

しかし、それは逆に言うと「環境が整っている人」に十分な学習を提供できていないということでもあります。

以前韓国の大学につとめていた頃、明らかに周りの学生よりも日本語能力が高い学生がいました。N4の中にN1がいるというくらいですね。どうにかして一斉授業でN1の学生にもN4の学生にも満足してもらうような授業方式を考えていたことを思い出します。その学生が卒業した後に聞くと、

私はあまりケアしてもらえなかった

という感想を抱いていたようです。いわゆる「浮きこぼれ」問題です。

※それで私は自律学習の方に傾倒していくのですが、それはまた別の話ですね。

オンライン授業でも、公平性を守るために「もっとも環境の整ってない」学習者に合わせてしまうと、やはり問題がいろいろと出てくるような気がします。

できる範囲内で参加する

そこで私が提案したいのはこれです。

できる範囲内で参加する授業

私の提案する授業が世界すべてのあらゆる教育機関で採用可能であるとは思いませんが、考え方の基本方針としては検討する余地があるのではないかと思います。その例を提示します。

今、私が一枚噛んでいる授業があるのですが、昨日の授業は反転授業方式でした。授業の前にビデオを見てきて、その後の本授業ではZOOMを使ってインタラクティブなやり取りをします。反転授業の王道です。もう少し具体的に見ていきましょう。

反転動画

授業ビデオでは以下のようなやり取りができるようになるための講義、つまり語彙の導入や文法の説明などが10分ほどでなされています(A倍さん無断転載すみません)。

このビデオをちゃんと見てきた人は次なるZOOMセッションでこういった「~し~し」を使ったやりとりを人を相手に練習できるわけですね。

ZOOMに参加できない

で、今日の問題は「環境的にZOOMに参加できない人がいる」ということです。じゃあどうするかというと、もうZOOMに参加するのはあきらめるということです。その代わり、そういった人には違うタスクを課します。

例えば反転動画の最後に「→ZOOMに参加できない人」とし、「次の会話を自分で練習してうまくできたビデオなり音声なりをシェアしてください」という文面を入れておきます。

ビデオをシェアする方法としては、Flipgridなどもありますし、そんなのが面倒ならスマホで撮ったのをグループに上げる、というだけでもいいです。

授業で使える!Flipgridを体験してみたよ。

また、音声もスマホなら簡単に撮れますよね。あと、最近私が多用しているのはvocarooですね。

Vocaroo – 高性能ボイスレコーディング サービス

もう参加できないのはしょうがないじゃないですか。これで録音ファイルを送ってもらったりシェアしてもらうことで、その日のCandoが達成できればそれで良しですよね。

また、そもそも動画をシェアできないとかもあるかもしれません。そしたらもうそれはテキストで良くないですか?反転動画の最後に「→ZOOMに参加できず、音声やビデオも送れない人」としておいて、「次の文を完成させて送ってください」のような指示を出しておくんですね。

そしたらテキストで「スマホは~し~しとても便利です」のような文をかいて学生は送ってくるということです。

オプションの複数提示

私が言っていることは、授業に参加するためのオプションを複数提示するということです。

授業にオンラインで参加できない人の理由はさまざまです。家にWifiがないからWifiを探し求めてさまよっている人もいるでしょうし、そもそもスマート端末がない。あるけど、親が仕事に行っている時間がは使えないなどなど。その全てに対応しようと思うのは不可能ですし、対応しようと思うと、環境が整っている人も、最低レベルの人に合わせざるをえないという意味のわからないことになるのです。

だから、以下のようにオプションをいくつか提示するのです。
①リアルタイムセッション
②動画や音声のシェア
③テキストのシェア

その中で、「お、これなら自分の環境でもできそうだ」というのがあればそれで参加してもらえれば良いわけですね。つまり教師の仕事は、

オプションをたくさん用意すること

です。オプションをたくさん提示すれば、学習者が不公平感を感じることは少なくなるはずです。以前、また韓国での話ですけど、クラス内のコミュニケーションとして「カカオトーク」を使おうと思いました。普通韓国の若い人なら99%はやっているLineのようなサービスです。

※使いようによってはLineもカカオトークも十分LMS的に機能します。

カカオトークでクラス管理

しかし、ある授業で「カカオトークやってないし」というレアな学生がいました。そこで私は、面倒だなと思いながらもその学生にだけEメールを使ってカカオトークと同じ情報のシェアをおこないました。

もしそこで「全員が使っていないから」という理由でEメールをクラスの連絡手段としていたらどうなっていたでしょうか。

つまり、私が少し苦労するだけで全体の利益は守られるわけです。

教師の腕は…

とはいえ、私たちの重労働も避けなくてはなりません。オプションを多く用意するために過労で倒れるなんてことはあってはいけません。だからこそ私たちが考えるべきことは、

使い回す

ということ。オプションをたくさん用意するとしても、それぞれに対して違う動画を用意するとかそんなことがあってはいけません。できれば一つのスライドや動画を使い回さなければなりません。

できるだけ労力をかけずに多くのオプションを用意できるか、というのが教師の腕になるんでしょうね。

まとめ

以上、教育の公平性を保ったままみんなが幸せになれるような授業の設計について書いてきました。オプションをたくさん作っておくのが教師の仕事ですよ、ということですね。

ただ、偉そうなことを言いましたが、私の職場ではこれを考える必要がありません。というのは、「ZOOMセッションありき」で学習者を募集しているからです。つまりはじめから要件に合わない環境の人はそもそもいないのです。スカイプ英会話教室に「スカイプが使えません」という人は来ないのと同じです(笑)

だから、困るのは「大学」とか「小中高校」のような公教育よりの教育機関ではないかと思います。もちろんお上の判断とかいろいろな要素が絡み合うので難しいこととは思いますが、「浮きこぼれ」「落ちこぼれ」を作らないための原理として、オプションを複数提示するというのは悪くないと思います(もちろんこれはオンライン授業だけの話ではありません)。

例は例であって、あくまでも考え方の方を見ていただきたいと思います。「スマホしかない学生がいる」とかそういう問題に対処する際にも考えの拠り所となるかもしれません。

最後に、おそらく、こういう反論はあろうかと思います。「オプションを複数提示したら、もっとも楽なものに行ってしまうのでは?」。もっともな話です。しかし、私は「本人がそれを選択するのであればそれで良いのでは?」と言っておきます。その理路については以下の記事でも書きましたのでよろしければご覧ください。

(ミクロな意味で)「教育の受益者は学習者本人である」という話

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