カルチャーマップから考える日本語教育 その1 コミュニケーション

投稿者: | 2020年6月19日

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カルチャーマップから考える日本語教育 その0

ローコンテクストVSハイコンテクスト

まず、これを見たほうが早いですね。本書p13からの引用です。

すごいですね~我々日本組は最もハイコンテクストな国に位置づけられています。そして英語圏の国々はことごとく左側、つまりローコンテクストな国に位置づけられています。

これねえ、すごくよくわかるんですよ。英語で話す人って、ほんと一から十まで説明しますよね。もうちょっと省略してもわかるんじゃないって時もちゃんと説明してくれますから。逆に私の英語が通じないときは説明が少ないときですね。

というわけで、私たちはまず、

相当にハイコンテクストな国の出身である

ということを意識しないといけないわけです。ざっくりと言ってアジアはハイコンテクスト、欧米はローコンテクストだが、ラテン系とかロマンス語系はハイコンテクスト寄りであると言えると思います。

文脈に依存しない

では、私たちが日本語教育場面で気をつけないといけないことはどんなことでしょうか。これは想像しやすいですよね。

言わなくてもわかるだろう
汲んでくれるだろう。

っていうのが、ハイコンテクストの国から来た人の甘えになるということです。私たちが相手にする日本語学習者は、程度の差さえあれ、我々よりローコンテクストの国の人々ですから、雰囲気でわかってもらうとか匂わすとか、そんな甘っちょろいこと言っていちゃいけないわけです。特に直接法とかで授業をする場合などはそういった文化的要素に加えて、言葉がわかるわからないという問題もありますからね。

学習者にやってほしいこと、やってもらわないといけないことはちゃんと提示しないといけないわけです。宿題の提出とか、そういうのですかね。相手がどの国の人でも、

明文化する。
はっきりする。

というのは、基本方針として持っておいたほうが良さそうです。本書でも、

多文化のチームではローコンテクストなやり取りを行うことだ。(p32)

とはっきり言われています。

ハイコンテクストほど注意

アジアの国はハイコンテクストの傾向があるみたいですが、それだけに注意しなければなりません。私も経験がありますが、韓国人などを相手にすると、なんとなくわかってくれそうな気がするときがあるんですよね。本書でもそれについて言及されています。

多文化間のチームでは、中国人とブラジル人のような、たがいにまったく違うルーツを持つハイコンテクスト文化出身の者同士のあいだで最も行き違いが生じやすい。(p31~32)

これはあれですね、夫婦間のコミュニケーションエラーのようなものかもしれません。相手はわかってくれてると思っていたが、わかってくれてなかった、みたいなやつですね(それだけにそういう時の誤解は傷が深かったりします)。みなさんもそんな経験があるのではないでしょうか。

私が韓国の大学に勤めていた時のエピソードです。

1学期には15週の授業があります。もし授業の日が祝日などにあたると、15週目に補講をおこない、16週目に期末テストをやって学期が終わります。とにかく15週分の授業をおこなわないと学校に怒られます。

でも、補講とかって面倒なんですよね。だから、その前の週に学生にこう伝えることがあります。

「来週は補講です。でも出席はとりません。みなさんは授業の時間になったら教室に来て、各自自習をしてください。いいですか、来週は出席はとりません。」

これ、わかりますか?これは、

来週は来ないでね

ということを言っています。私は立場的に授業をしなければなりません。「休みにする」とは絶対に言えません。学生も学校に来たいと思ってはいません。だからこのような言い方をします。こう言うと普通の学生は私の言わんがすることを汲み取って学校には来ません。

でも、ある時、変な予感がしたんですね。私も気になってとりあえず授業の時間に教室へ行ってみました。

そしたら案の定一人来ていました。「先生、今日は自習ですよね。なんでみんな来ないんだろう」とその学生。「そうだね~なんで来ないんだろうね」とかなんとか言って、結局その学生にはアイスクリームを買ってあげて帰しましたが(笑)

非日本語母語話者の先生との仕事

教室での学習者とのやり取りは、それほどハイコンテクストか、ローコンテクストかが問題になることはないかもしれません。そもそも授業というもの自体がローコンテクストなやりとりを前提としたものですから。

私が気をつけなければならないと思うのは、海外の教育機関で非ネイティブの先生などと協働するときだと思います。今まさに私がその境遇にいるのですが、

指示や依頼はデジタルにちゃんと出すこと

が重要だと思います。

今私は、どちらかというと現地の講師の先生より強い立場にいるので、何を言っても基本的に「指示」になります。場合によっては「命令」になります。ですので、高圧的にならないようにちょっと控え目に言っておこう、などと思ってしまうことがあるんですね。ソフトに匂わせておこうか、と。

でも、薄々わかってきましたが、それはお互いにとって意味がありません。

結局どのような言い方をしても、指示は指示なんですね。だったら、はっきり「これをやってもらいたいと思っています」と伝えて、「それを◯◯日までにするのは可能ですか」と意思を確認するべきです。

もちろんそれは立ち位置が対等もしくは非ネイティブ先生が上の場合も同じです。仕事で文化的コンテクストを異にする人と共に働くときは、特に気をつけたい部分です。

まとめ

私たちは相当にハイコンテクストな国から来ています。しかし、そんなにハイコンテクストな人はいないのである!ということをよく理解しておく必要があります。

また、最近日本語→クメール語の翻訳作業に勤しんでいるカンボジア人の先生に日本語の質問をされることが多くて思うことなんですが、日本語は対象とか主体とかを省略しがちなんですよね。それで、「これは誰に対して言ってる言葉ですか」とか「主語はなんですか」なんてことをよく聞かれます。私は前後の文を読んだ上で「この対象は◯◯だ」とか「主体は◯◯じゃないかな」ということを言うんですが、テキストだけでは判断できないような文章も結構あったりします。

とは言え、学習者や協働者の先生たちとは誤解のないように、うまく付き合いたいものです。

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カルチャーマップから考える日本語教育その2 評価

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