カルチャーマップから考える日本語教育 その3 説得

投稿者: | 2020年6月24日

ここまでの流れがわからない方は↑の「その0」から読んでください!

その3で考えることは、

説得

…説得ってなんですかね。この指標は私たちの界隈ではちょっと違う言葉かもしれませんね。

応用優先VS原理優先

と言った方がわかりやすいですね。そうです。相手に納得してもらう際にどのようなアプローチをとるか、ということを考えていきます。ちょうど本書に我々にとってお誂え向きの例が載っていましたので、これを引用させてください。

■応用優先の語学授業

(アメリカにおけるロシア語の授業で)授業の最初の日にミスター・タラソフの教室に足を踏み入れるなり、彼は私たちにロシア語で質問を浴びせかけた。私たちはひとつも理解できなかった。しかし次第に私たちは理解し始め、そして、何回かの授業の後、とにかく私たちなりに単語を集めて会話をするようになった。それから、ミスター・タラソフの指導で、文法の概念的枠組みを知らないまま文章を話し始めるようになった。(p79)

■原理優先の語学授業

言語構造を支える文法的原理を学ぶことから始まる。一度しっかりと初歩的な文法や語彙を掴んでから、その言葉を使う練習が開始される。これは私の夫がフランスの学校で英語を学んだ方法であり、皮肉なことに、彼の英語文法に関する知識は多くのアメリカ人よりもはるかに豊富である。この方法の不利な点は生徒が実際に言語を使う時間が少ないことであり、話すよりも書く方が得意になる可能性がある。(p79)

この例を読めば、この項目で何を話そうとしているかよくわかりますね。つまり、「説得」となっているのは、人を動かす時に「とりあえずこれでやってみましょう」と言うか、「これこれこうだから、これでやってみましょう」と言うかの違いということです。

「まるごと」と「みんにち」

この対比は、つきつめていくと「まるごと」と「みんなの日本語」の対比なのではないでしょうか。

「まるごと」は行動中心アプローチを土台に構成されています。課ごとに「何ができるようになるか」ということが明確で、その課をクリアできたかどうかはそこで提示された行動が日本語を使って実践可能かどうかという指標で判断します。

「みんなの日本語」は、文型シラバスを元に組み立てられている教科書です。やさしい文型から徐々に難しい文型に移っていきます。各課の目標はそれぞれで提示されている文型を理解し、その文型を使って日本語表現をおこなうことができるようになることです。

もちろん「まるごと」でもいきなり難しい表現が出てくるわけではありません。文型の提出順序としては易→難となるのは「みんにち」と同じですが、その目的が前者では「ある行動ができるか」、後者では「ある文型を使えるか」にあるということです(ざっくり言うとですよ)。

この二つの代表的な日本語教科書は、まさしく「応用優先か、原理優先か」に対応しているのではないでしょうか。

しかし、この問題を考える前に、本書で提示されているカルチャーマップを見てみましょう。

日本が…ない!

p80

まず、最初に気づくのは日本を含めたアジア諸国がこの表に入っていないということです。これについては後述しますので少々お待ちを。他の国を先に見ましょう。

ざっくり言うとアングロサクソン系の国家では応用優先が強く、スカンジナビア系、ラテン系が続きます。一番原理優先が強いのはフランス、イタリア、スペイン、ドイツあたりの西ヨーロッパ系ですね。

アメリカなんかはアップルとかGoogleとかに代表されるように、とりあえず新しいものの先例を作っていくイメージがありますし、逆にドイツとかフランスとかは緻密に論理を組み立てていく感じがします(あくまで私のイメージですよ)。

語学における原理と応用

では、さっき上の方で考えた「まるごと」と「みんにち」の対立に戻ります。応用優先のアメリカで授業するときは「まるごと」で。原理優先のフランスで授業をするときは「みんにち」で、とするのは理が通っているような気がします。

ただ、ここで考えないといけないのが「まるごと」はJFスタンダードという枠組みを元に作られているということです。そしてそのJFスタンダードはそもそもCEFRに基づいているのです。

CEFRというのは今はご存じない方はいないと思いますが、そもそもヨーロッパで作られたものです。ヨーロッパの国々では外国語教育はCEFRに基づいておこなっているところが多いと聞きますから、それはヨーロッパの国々で受け入れられているということですね。


上のカルチャーマップで言うと、英国は応用寄りですが、フランスやドイツなどは原理寄りです。その国々でもCEFRは受け入れられているわけですから、かならずしも「まるごと」に代表される行動中心アプローチ的応用寄りの教授方法が歓迎されない、というわけではないようです。

それはヨーロッパにおける外国語の意味を考えることでわかるような気がします。そもそもCEFRのようなものが作られたのは、人々の移動が活発になり、相互にコミュニケーションをとる必要性が増えたためでしょう。とりあえずは、相手の言っていることを理解しなければならないし、相手に自分の考えを伝えなければいけない。それはある人々にとっては死活問題かもしれません。

そうすると、原理だ、文型だ云々ではなくて、まずは相手の意図を理解し、自分の意図を伝えることが必要になります。そういった背景からCEFRのようなものが生まれ、行動中心アプローチ的な授業がヨーロッパの国々でも行われているのではないでしょうか(すみません、欧州についてはあまり良く知らないので推測が多いです)。

つまり、外国語に関しては、他の分野とはちょっと違うかもしれないということです。原理優先の文化圏でも、外国語を学ぶ目的がはっきりしていれば「まるごと」のようなやり方が受け入れられるということです。

で、アジア諸国は?

それを忘れていました。アジア諸国は本書によりますと、また違うカテゴリーに属するのだそうです。

アジアの人々はいわゆる「包括的な」思考パターンを持っていて、西洋の人々はいわゆる「特定的な」アプローチをとっている。(p89,90)

これだけじゃわかりませんから少し説明を加えます。

今私は日本やアジア諸国が応用優先か、原理優先か、という話をしています。みなさんもこれを読みながら私たちはどちらに属するのだろうか、と考えたことかと思います。しかし、翻って考えてみると、そもそもこの項目を単純な二分法で考えられるのでしょうか?「どっちだろうか?」と考えるということは思考の方法のみを取り出して、それがどちらに入るかを考えるということですが、そもそも私たち(アジア諸国)ではそのような発想はしないんですね。

つまり、私たちは物事を考える時に個別のことを考えると同時に全体のことを包括的に考えているということです。この辺の理路については長くなりますので、本書を御覧ください。

ですからこの応用か原理かでいうと、場合によっては応用を優先させるし、場合によっては原理を優先させるということになるということです。その指標の中ではニュートラルな立場をとるということになります。

確かにある意味納得できます。例えばこれまで見てきた「ハイコンテクスト」や「負のフィードバックは間接的」というのはすぐにイメージすることができましたが、こと自分が応用優先か原理優先かに関しては皆目検討がつきませんでしたからね。

もしかしたら、「まるごと」が応用優先的なイメージがありつつも「かつどう」「りかい」という2バージョンがあるのも、そういった「日本の包括性」に依るのかもしれません。かなり全体でのバランスを意識していますよね。確かにこのような2バージョン作る、というのはどちらかの指標に偏った国ではなかなか出てこない発想かもしれません。

まとめ

結論としてはこれです。

学習目的に沿って教授法を考える。

まあ、当たり前といえば当たり前ですね。しかしその上で

文化圏の特性を考慮に入れる。

ということも必要になってきます。例えば、私の今いるカンボジアでは、こと外国語学習に関しては原理優先のような気がします。つまり「文法にこだわる」学習者が多いように思います。

もちろんそれは伝統的に「みんなの日本語」で学ぶ人が多かったということもあるとは思いますが、とにかく私のように「まあわけわからなくてもそのうちわかるから」というような考えで授業を行っていたら痛い目にあいます(笑)。

そういった経験もありまして、私の今いる機関では、「まるごと」を使ってはいるのですが「かつどう」と「りかい」を併用しています。そして、「まるごと」使用においては禁じ手とされる「りかい」の先行学習というのも、今学期部分的に取り入れてみました。

いいかどうかは別として、文化圏の特性を考えるというのはこういうことではないかと思います。

続きはこちら↓

カルチャーマップから考える日本語教育 その4 リード

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