カルチャーマップから考える日本語教育 その6 信頼

投稿者: | 2020年7月1日

本日考えていきたいのはこれです。

信頼
タスクベース~関係ベース

「信頼」というキーワードは我々日本語教育従事者にも大切なキーワードかと思います。教壇に立つことだけを考えても「あの先生は信頼できる」という評価を学習者にもらっていることに越したことはありませんし、同僚や上司との関係においてもそれはいわずもがなです。

「信頼」のあり方には二種類あるそうです。それが、

認知的信頼(頭からくる信頼)
感情的信頼(心から来る信頼)

です。ビジネスや公的な場面では「認知的な信頼」に重きをおき、家族関係とか友人関係であれば、「あいつは絶対裏切らない」という感情的信頼に重きをおくと考えがちですよね。でも文化によっては感情的信頼がビジネスや公的場面にも影響を及ぼすということもよくあります。例示として、本書ではアメリカと中国について述べられています。

アメリカでは、実務と感情をごっちゃにしてしまうとプロフェッショナルではないという評価を与えられることが多いそうです。一方の中国ではビジネスシーンでの結びつきであっても、感情的な交流を同時育もうとすることが多いそうです。それで、両者が交流をおこなうと…

中国人のマネージャーがアメリカ人と仕事をすると、認知的信頼と感情的信頼を分けたがる文化を持つアメリカ人は誠実さや忠実さが足りないと感じてしまうことがある。 (p164)

のだそうです。うーんなかなか難しそうですね。まずはカルチャーマップを見てみましょう。日本はやはり感情的信頼に重きをおくだろうな、という予測は立ちます。

関係ベースの隆盛

p166

やはり、日本は感情的信頼に重きをおく「関係ベース」寄りの文化ですね。ただ、最極端な位置にはありません。サウジアラビア、インド、ナイジェリア、中国が最も関係ベースで、アメリカ、オランダ、デンマークが最も「タスクベース」。ざっくり言うと、関係べ-スなのはアジア、中東、アフリカ、そしてラテン。アングロサクソンやスカンジナビア系はタスクベースのようです。

おもしろい記述があります。

以前までは、グローバルに仕事を行うマネージャー達はアメリカ流のやり方に追随しようと心がけていた。アメリカが世界のほとんどの市場を支配していたからだ。そのためタスクベースのやり方で信頼を築くことが国際的に成功を収める一つの鍵だった。(p166)

それがアジアやその他の地域の隆盛に伴い、関係ベースでの信頼の構築方法を考える必要性が高まっているというのですね。これは世界どこへでも行って日本語教育に携わる人々にとっても同じですし、日本で世界各国から来た日本語学習者と関わる人々にとっても同じです。

「タスクベース」の人の冷たさ

私は関係ベースの国である日本の出身ですが、どちらかというとタスクベース寄りの考えを持っています。日本語教育場面で考えると、「授業は授業」「私生活は私生活」ということですね。

私が以前いた韓国では、学習者と外で食事をしたり酒を飲んだりすることがあります。今はだいぶ変わったと思いますが、ちょっと前までは特に人気のある先生なんかは学生たちに引っ張りだこになっていました。

また、「会食」という名の飲み会も少なくありません。職場でもそうですし、学会などでもそうでした。そういう機会を利用して学内や学会内での位置を上げていくんですね。

私は、どちらかというとそれがあんまり好きじゃないんですよね。お酒もそれほど飲めませんし、あとはここ10年くらいは育児に追われていたということもあります。まあ、そういうキャラになると誘われることもなくなりますけど。

ただ、まあそれはいいんですが、そういう国に長いこといたこともあってか、私はよく「冷たい」という評価をもらっていました。人当たりはそんなに悪くないので、そのギャップもあったと思いますが、割とよくそういうことを言われました。それはつまり本書にある「アメリカ人」と同じで、「誠実さや忠実さが足りない」ということですね。

信頼はあるに越したことはない

さて、ここからちょっと突っ込んで考えていきましょう。まず、大前提として、どんな文化圏であろうとも「信頼」というものはあって困るものではない、ということです。タスクベースの人たちと働くには認知的信頼を得る必要があるわけですが、そこに感情的信頼があったとしてもそれはそれでさらに良いわけです。

働く相手が誰であっても、感情的信頼を築くために時間を割くのは良いことである。(p174)

ただ、問題は関係ベースの人々から感情的信頼を得るためにはタスクベースの人間にとっては考えられないような努力をする必要があるのが問題になるわけです。

例えば、私は今カンボジアにいますが、周りには結構「駐在員」という人がいます。遠目から話を聞いていると、私と同年代(アラフォーです)あたりの人はゴルフをするんですね。ゴルフって世界中で行われているスポーツですから、やったらおもしろいのでしょうけど、私はゴルフの棒さえ持ったことがありません。

休日におじさんたちと車に乗ってでかけて半日とか一日費やすとか、まあ普通は小さい子どもがいたらできないとは思うんですが、おそらくおじさんたちがそれを粛々とやっているのは 「関係を作る」という仕事の一部だからなのではないでしょうか。

※ゴルフにつきましては単なる個人的見解で、特にゴルフを好んでやっている人を蔑むとか、そういう感情はまったくありませんのでその辺りはご理解ください。

ゴルフはともかく、日本語教師として良い仕事をしようと思ったら学習者とはもちろんのこと、同僚や上司や関係者などとは良い関係を作るに越したことはありません。それは関係ベースの国であっても、タスクベースの国であっても同じです。

認知的な信頼はその人の仕事っぷりから生まれるものですから、これに関しては、どうぞちゃんとした仕事をして信頼を得てくださいとしか言いようがありません。また、「飲みニケーション大好き!」「ゴルフ大好き!」「学習者と食事に行ったらいつも新しい発見があって楽しい!」という人はどうぞ関係ベースの国で良い関係を構築し、感情的信頼を得てください。

問題は、私のような「タスクベース」寄りの人間が「関係ベース」の国でどのように感情的信頼を得るかという点ですね。

昼食会食

私が以前いた大学では、割と私がいろいろ決められる立場でしたので昼食会食をずっとおこなってきました。中間テストと期末テスト後に昼食会食をすることを定例にして、普段の昼食では行かないような店にまで足を運び、仕事のこと、仕事以外のことについてのおしゃべりを楽しみました。

昼食ですからタイムリミットもあります。中にはビールを飲む人もいました(成熟した集まりでしたので飲む人は飲む、という感じでした)。送別会、歓迎会なんかも昼におこないました。本格的に飲みたい人もいたとは思いますが、そういう人たちには非公式で集まってもらって、オフィシャルな会食は昼だけにしたんですね。それは良かったと思います。

※あと、余談ですが、会食では同僚の提案で「サイコロトーク」をしばしばおこないました。順にサイコロをふって、その出た目にあわせて決めたトピックについて話すというものです(「うれしかった話」「びっくりした話」など)。職場の集まりですと、会食に行っても仕事の話を延々としてしまうこともありますが、これをやると、仕事とはまったく関係のない個人的な話が聞けるということもあり、人間関係の構築に非常に役立つと思いました。

そうは言っても、他国で働く場合など、その国の人に誘われたら「昼にしましょう」とはなかなか言いにくいですよね。国によったらバカみたいに飲む国もありますからね。同じようにバカみたいに飲むのも一手ですが、飲めない人はそこまで無理する必要はありません。外国人が飲めないといってバカみたいに飲ませてくるような人はあんまりいませんから(笑)

インターネットの利用

最近はほんと、便利になりました。リアルで付きあう学習者や同僚ともインターネットで付き合うとやはり関係は密になります。「お酒に付き合う」よりもハードルは低いと思います。またある特定の人と毎晩のように飲みに行くのは難しいですけど、SNSのようなものですと、毎晩のようにやり取りも可能です。

私は以前は特に、意図的にこれをおこなって学習者との関係構築をおこなっていました。

具体的にはFacebookですけど、私はFacebookには「あえて」個人的な話を書きます。それによって「私は私生活の一部も見せるオープンな人間なのです」と言っているのです。これによってリアルで会った時に話が弾むこともありますしね。その他には別に自分の私生活を見せる意義ってのはあんまりないですけどね。時々「最近私生活投稿してなかったな」と思うと思い立ったように記事を書くこともあります。

確実にこれで対人距離は縮まります。だってそうですよね。いつも「いいね!」してくれる人には好感を持ちませんか?

ちなみに、私はFacebookとTwitterを主に使っていますが、Facebookは関係ベース、Twitterはタスクベースに対応しています。後者はタスクベースでつながっている人々なので別に私生活の話はしません(相手は望んでもないだろうから)。そして、今はカンボジアの人々との関係構築が最も大事ですので、そのためにFacebookを利用しつつ、時々仕事の話などもしています。

ただ、どうでしょうね。こういうインターネットでの関係構築が誰にとってもベストだとは思いません。特に若い女性などは、私生活の公開の仕方によってはめんどくさいことも起きるでしょうからね。また心を病む人もいるようですので、全員が全員SNSをやるべき、とは思いません。また日本の日本学校なんかは学習者とのSNS交流を禁止しているところもあるみたいですね。

相手の国や文化に対する質問

一緒に仕事をする人や学習者に、急にプライベートな話を持ちかけるというのはなかなか難しいものです。そんな中ハードルが低いのは、相手の国の文化や言葉に対して質問をする、というものです。

相手が自分の出身国のことについて関心を持ってくれているというのを嫌う人はあまりいないのではないでしょうか。本書の中でも、インド人と共に働くアメリカ人が、インドの音楽について質問するようになってから関係がスムーズになったというような話が取り上げられています。

特に私のようにおじさんになりますと、相手のことを根掘り葉掘り聞くのは失礼ではないかと思うようになります。そうすると相手のことを聞くのではなくて、相手の周辺のことを聞いたりするほうがこちらも楽です

今だったら私はクメール語を勉強していますので、機会があれば同僚などにクメール語についての質問をしたりします。「これをクメール語で言いたい時はなんと言えばいい?」「~って聞いたけど、これってどういう意味?」まあ、これは関係構築というか単なる興味が半分ですけど、それでもそこから話も弾みますからね。

学習者に対しても同じじゃないでしょうか。日本の日本語学校の先生がベトナム人の学生をつかまえて、ベトナムのことを聞いたりしたら、喜んで教えてくれるのではないでしょうか。自身がベトナムに興味があるということが学習者にも伝わり、その学習者はその先生を悪くは思わないでしょう。

まとめ

以上、感情的信頼をどのように得るか、について考えてきました。まあ何にせよ、話したりコミュニケーションをとる機会を増やすことが必要になりますね。あの人とはほとんど話したことないけど信頼している、ということはあまりありませんからね。

それを踏まえた上で、今後キーになるのはネット上での交流だと思います。私はさきほどTwitterをタスクベースのつながり、と言いましたが、そこでじっくり付き合っていくとそれが感情的な信頼に発展することもあります。一度も会ったことがないが、絶大な信頼をおいている人というのもいます。

またネット上での交流は居住地が変わっても維持できる、というのが一番の長所ですね。以前は引っ越したら会わなくなりましたから。「リアルでの付き合い」と「ネット上での付き合い」の垣根もだいぶ低くなってきたなと思います。

いずれにせよ、他人とは真摯に向き合い、良い関係を築いていきたいものです。

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■カルチャーマップから考える日本語教育 その7 見解の相違

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