カルチャーマップから考える日本語教育 おわりに

投稿者: | 2020年7月17日

やっとこの連載も終わりです。今までお付き合いくださりありがとうございました。最後に私がこの一連の投稿を書きながら思ったことを述べてみます。私は一連の投稿を、ほぼその場の思いつきで書いてきました。全体の構成など意識していません。ですが、カルチャーマップを一つ一つ見ていくと、なんとなくこの「異文化理解」のポイントがわかるような気がします。その「私の理解」を少し書いてみます。

まず自文化をカッコに入れる

いちばん大事なのはこれじゃないでしょうか。私たちは自分の考えが最も合理的で、ニュートラルなものだと思っています。しかし物事にあるのは相対性だけで、絶対的に合理的だとか、正しいとかそういったものはありません

そんなのわかっているよ、と思う人もいるかもしれませんが、海外での実生活の細かい事例を見ていくと、「どうしてこの国の人はそういうことをするのか」「なぜそうするのかわからない」ということはたくさんあります。

私は韓国が長かったのでまた例に出しますが、もっとも文化衝突を感じたのは子育て場面でした。

例えば、韓国の人は「赤ちゃんや幼児の体温保持」に「異様に」執着します。真夏でも長袖を着せたり、暖房を入れたりする人もいます。靴下を履かせないとかは温かい季節でもご法度でした。

でも逆に言うと、「涼しく」育てている日本人を見たら韓国の人は卒倒するかもしれません。「虐待している」とすら思うかもしれません。

つまり相対的なものなのです。

普通相対的なものを考える時は、まず一つの点を決める必要があります。その相対的な点となるのはやはり自分の文化でしょう。で、我々は習慣として自文化を原点に定めてしまいますが、ここで自文化をまずはカッコに入れておく必要があります

本書では言及されませんでしたけど、海外でぶつかる一つに「お金の払い方」というものがあります。日本では割り勘文化が根付いていますが、他の国ではそうではないところのほうが多いでしょう。少なくとも電卓を持ち出して10円単位で割り勘をする国はあまりないのではないかと思います。

で、ここで大事なのは「割り勘をすると後腐れがなくていい、合理的だ、なんでここの国の人は一人が全部払おうとするのか、理解できない」と、自分の割り勘文化を原点としてそこからの距離を測ってはいけないということですね。まずは自分の国のことを「カッコ」に入れてその位置関係だけを見る必要があります。

自分を変えるのは難しい

とは言うものの、自分の文化をカッコに入れてニュートラルな視点で自文化と多文化を眺める、というのはなかなか難しいことです。慣れない海外生活でやり込められているときなどはなかなかそんな遠目からの視点などは持てません

実践しなければならないのは以下です。

郷に入っては郷に従え

まずこれ。自分が割り勘文化に慣れていたとしても、「いいからいいから」と3度言われれば引くしかありません。奢ってもらいましょう。

この「郷に入っては…」の格言は、あまりにも手垢のついた格言ですが、意外に実践できていない人が多い印象をうけます

「変更がある時は前もって言ってください!」
「昨日は~って言ってましたよね?」
「私聞いてないですよ」

っていう人をどれだけ見てきたことか。そんなのこの国で言ってもしょうがないじゃん!と傍で見ていて思うんですがね。私もやはり若い頃はそういうことを言っていた気がします。

実は「郷に入っては郷に従え」ってかなり難しいことなんですよ。というのは、特に私たちの世代(アラフォーです)とかって「自分らしく」とか「あるがままに」とかそういう教育(洗脳?)を受けてきたので、相手によって自分を変えるというようなカメレオン戦術にある種の罪悪感があるのです(今は克服しましたけど)。

例えば、もう20年くらい前ですが、ある歌手が大物タレントにため口で話していることがありました。ある層にはもちろん非難を受けていましたが、また別のある層には誰に対しても同じような言葉遣いをしていてよろしいというように評価されていたような気がします。

よく「嫌なやつ」の例として、「相手によって態度を変える人」というのがありますが、「相手によって態度や言葉遣いを変える」のは対人関係における当然の生存戦略です。お母さんは電話をとるとき声が高くなる、とか笑いの対象になりますが、高くなって当然で、それでいいんです。

だから、「郷に入っては郷に従え」を今一度噛みしめてみる必要があります。

もう一つの格言は

もう一つ重要な格言があります。それは、

慣れないことはするな

無理に相手の文化に合わせようとすると痛い目を見る、ということがあります。私も慣れないやり方で失敗した経験は何度もあります。

運転とかもそうですね。大抵どこの国に行っても、どの国のドライバーも日本よりはラフな運転をすることが多いと思います。で、その中で運転しようと思う時、日本式でやっていてはなかなか合流できないとか、左折できないとか、そういうのはあります。

で、にわか仕込でその国の運転スタイルに合わせようとすると大変なことになってしまいます。特に、相手を巻き込んでしまう恐れのあるものは、まずは自分のやり方で丁寧に誠意を込めてやってみる。そして慣れてきたら少しずつ相手のやり方にシフトしていくということが必要かと思います。

車の運転はわかりやすい例ですが、ほんと気をつけないとだめですね。かっこつけようとすると地元の人にすら「乱暴な運転だね」と言われかねません(笑)

まとめ

最後に本書で提示されているカルチャーマップの主要国を比較したものを転載しておきます。

p253

こんなに文化に差が出るんですね。個人差だってあるのに、これを埋めていくのはなかなか大変でしょうね。そのギャップをよく理解して、より良い人間関係を紡ぎあげていきたいものです。

以上、異文化理解におけるカルチャーマップについて考えてきました。最後もまとめになっていたかどうかはわかりませんが、この辺で終わりにしたいと思います。

今回を含めて、ブログでの連載は全9回となりました。書いているうちにいろいろ思うところがありまして、ブログ記事に加筆修正を加えた上でキンドルで出版してみようかと思ったりしました。タイトルは、

課題:海外で働く前に、日本語教師が読む本

にしようかと思っています。ブログでの連載はターゲットが定まっておらず中途半端になった感じがしたので。その過程もそのうちご報告できたらいいなあと思います。

自分に発破をかける意味でも、夏の終りから秋口までにまとめられたらいいなと思っています(カンボジアはずっと暑いですが)。では、皆さん、長々とお付き合いありがとうございました。

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