第二言語習得理論から考える効率の良い授業 ①動機づけ

投稿者: | 2020年8月12日

私はこの日本語教育業界で16年ほどお世話になっています。誰でもそうだと思いますが、年月が過ぎるにつれて教育観とか職業観が知らず知らずのうちに涵養されてきますよね。教師のビリーフっていうのでしょうか。よくわかりませんが、とにかく職業人として軸になる考え方が形成されてきます。私の場合は割とシンプルで、

どうすれば目の前の学習者の日本語力が伸びるか

ということを考えて仕事に臨んでいます。「そんなの当たり前じゃない?」という声も聞こえて来そうですが、いやいやそんなことありませんよ。「教師として一番大事なのは愛です」という人、「日本語の授業を通して生きる力を身につけてもらいたいと思っている」という人にもお目にかかったこともあります。

私は職業人としては「愛」にも「生きる力」にもあまり興味がありません。自分の受け持った学生が授業後に他人の自転車のサドルを盗もうが、配偶者のある人と不倫をしようが、それは私が関与するところではありません。自分が授業をやって、少しでも日本語が上手になってもらえればいいと思っています。そしてそれを少しでも実現するのが私に与えられた仕事であると思っています(自転車のサドルも盗まないほうがいいと思いますし、不倫もしないほうがいいとはもちろん思います)。

第二言語習得理論を整理

で、十数年の間、どうすれば効率的に日本語能力を伸ばすことができるだろうかと考えてきたのですが、ここで原点に立ち戻ってみることにします。第二言語習得理論というのをもう一度復習し、それを授業や学生に対するインストラクションにどのように結びつけることができるかをもう一度整理しておこうと考えました。

とは言いましても、学問的に厳密にその「学習の効率性・妥当性」を精査していこうというのではありません。ごくごく一般に言われている第二言語習得理論の要諦をちょこっと整理しておくという程度です。これをしておくことによって、今後自分が授業の組み立てに困った時には読み返してみようという魂胆があります。

私がここで拠り所とするのは白井恭弘(2008)『外国語学習の科学-第二言語習得理論とは何か』岩波新書です。なぜこの本を参考にするかといいますと、手元にあったからです。他にもいろいろな本があるとは思いますが、面倒なのでこの一冊だけをもとに考えていきます。

3つのカテゴリー

私の理解では、第二言語習得理論を教室活動や個人の学習に適用しようと思うとそれらはざっくり3つのカテゴリーに分けられます

動機づけ
②インプット
③アウトプット

つまり第二言語習得理論的には、「高い動機づけがある上で、適切なインプット練習と適切なアウトプット練習をおこなうと高い学習効果が現れる」ものだと言っておきます。もちろん具体的な教室活動などとしては「インプット」と「アウトプット」が瞬間的に入れ替わる「やりとり」というものもありますが、ここではあくまでもイメージとして「インプット」と「アウトプット」の二つにわけています。

ですので全部で3回シリーズです。第一回目の今回は①動機づけについて考えていこうと思います。

動機づけの意義

言語学習に限らず、コトの成否の大半は動機づけの強弱によって決まるのではないでしょうか。まあ「プロ野球選手になる」とか「東大に入る」といったようなコトは、どれだけ頑張っても他人との競争&相対的なものになるので、動機づけが強いからといって実現できるとは限りません。一方「マラソンを完走する」とか「5キロダイエットする」などのようなコトは動機づけが強ければ誰でも実現可能なことだと思います。

語学学習だって同じです。白井先生は日本人の英語力が低い理由をいくつか上げていますが、やはり「動機づけが弱い」という点を第一に上げています。

最近私が見た動画の中で、20ヶ国語以上の言語を話せるというスティーブカウフマン氏も似たようなことを言っていました(私が最近見ただけで、ビデオ自体は10年以上前のもの)。

8分目くらいのところで、「母語と目標言語の間の距離によって目標言語の難易が決まるというのが一般的な話だけど、そんなことより大事なのはなぜその言語を習得したいかという思いの強さだ!」というようなことを言っています。

これは、真実なんじゃないですかね。日本人にとっては韓国語や中国語は比較的学習しやすい言語だと言われていますけど、「なぜ私は韓国語(中国語)を学ぶのか」という点が欠落していたら絶対に習得することはできないと思います。

統合的動機づけと道具的道具づけ

この動機づけの2種類はあまりにも有名ですよね。他にも「内発的動機づけ」「外発的動機づけ」などと言われることもあります。

釈迦に説法の感はありますが、念のため整理しておきますと、統合的動機づけというのは「それ自体に興味があって学ぶ」という動機づけのことで、日本語学習で言えば「日本語が好きだから」などの動機のことを言います。反対に道具的動機づけというのは「外からの刺激」が動機となることです。例えばN2の試験に合格したらお母さんにお小遣いがもらえるとか、就職が有利になるといったものでしょう。

一般に統合的動機づけが高いほうが学習成果は出やすいと言われています。まあ確かにそうでしょう。しかし、よくよく考えると動機付けの多くは「統合的」「道具的」とデジタルに分けられるものなのでしょうか。

例えば「日本のサブカルチャーが大好きだから日本語を勉強する」人がいたとしたら一見すると「統合的動機づけ」により学習しているといえると思いますが、「日本のサブカルチャーが好きなので日本に行ってみたい。次の試験で点数がよければ10日間の研修旅行で日本に行ける」ということで勉強しているすればそれは「道具的動機づけ」ということになります。

つまり、動機は截然と「統合的」「道具的」などと片付けられる問題ではないということです。

それは私が言い出していることでもありません。白井先生の本でも

結論としては、道具的だろうが、統合的だろうが、どちらでもよいので、いかに自分を学習動機が高まるような状況に持続的におけるかが外国語学習成功のカギだということでしょう。(p77)

と言っていますし、最近偶然読んでいた医学生の主体性について考える、岩田健太郎(2012)『主体性は教えられるか』筑摩選書でも、以下のように言われています。

役に立つ動機付けならなんだってよいのであり、ある人のある事物に対してもっともフィットする動機付けが一番よいのである。外発的動機だってよいのである。教条的にならず、よりプラグマティックな対応をとることが現場の教育には大切であろう。(Kindleの位置No.2039-2041)

おそらく、今私達の目の前にいる学習者はこのクラスを受けるにあたって何らかの動機づけ(デフォルトの動機づけ)があるはずなんですよね。それは、「日本語が好きすぎてしょうがない」という強い動機づけの人もいますし、「単位をとらなくてはならないので」「親が習えというので」という弱い動機づけ人もいます。

そのデフォルトの動機づけは私達にはどうすることもできません。が、教師としては、授業やコースを設定する上で、学習者の日本語の勉強に対する動機づけが少しでも強くなるような何らかの仕掛けをところどころに散りばめておく必要があるのではないでしょうか。

どのような動機づけをしていたか

私はカンボジアに来るまでは韓国の私大で教養科目としての日本語(第二外国語ですね)授業を担当していました。ここには9年間在籍したのですが、今考えると「動機づけ」は自然にうまいことやっていたような気がします。いくつか例を上げて説明してみましょう。

●成績

韓国の私大は動機づけという点では比較的楽でした。というのも、学生たちが成績に固執するからです。基本的に大学の第二外国語って普通重要性低いですよね?私はその昔中国語やっていましたけど、とにかく浮けばいいという態度で受けていました(「浮く」というのは私の母校では普通に使われていた用語で、単位がもらえるということです。「落ちる」の反対ですから「浮く」なんでしょうね)。

でも韓国の私の職場にいた学生は「B」とか「C」とかつけようもんなら怒鳴り込んできますからね(笑)もちろんこれはこれでストレスなんですが、でも「良い成績が欲しい」→「授業を真面目に受ける」→「テスト勉強もしっかりする」という図式ですからかなり楽でした。初級日本語で覚えてほしいポイントをペーパーテストや会話テストで出せばよいだけです。あとは学生が勝手に勉強してくれます。

●それ自体のおもしろさ&報酬

私はこのクラスではゲーム性のある活動を多用しました。その日の学習事項を盛り込んだゲームやクイズをグループ対抗で行うというのが基本の形でした。何度もいいますが、私がやっていた授業は第二外国語なんです。日本語と中国語、ベトナム語、応用英語の中から必ず一つ履修しないと卒業できないのです。なので基本的に日本語学習自体に対するモチベーションは高くありません(良い成績に対する渇望はある)。

とにかく教室にいる100分間はできるだけ短い方がいい。またちょっと楽しかったらそれはそれでいい、というのが学生側の気持ちじゃないでしょうか。「ゲーム?クイズ?大学生には幼稚なのでは?」という向きの方もいらっしゃるとは思いますが、とんでもありません。大学生がムキになるんですよ。詳しくは以下を。


で、その活動がおもしろいこと自体が動機づけになりますが、ゲームやクイズはグループ対抗形式なので、勝ったチームの構成員には報酬を上げるということにしていました。まあ報酬と言っても「ちょっとした日本のお菓子」とかですけどね。最終的には毎回毎回おかしを用意するのが面倒になったので、「各回勝ったチームの人にポイントを与え、一学期間で最も多くのポイントを得た数人にお菓子の詰め合わせセットをあげる」ということにしました。まあ駄菓子のようなものですから、こちらの金銭的負担はわずかです。

この「報酬」の核心は「お菓子の商品的価値」ではなくて「報酬があるそのこと自体」です。授業でのゲームの目的はあくまでも「日本語力をアップさせる」ことにあります。そのためにゲームやクイズをおこないます。で、そうするためには本気でゲームやクイズに取り組むということが前提になります。でも斜に構えた大学生が一見幼稚とも思えるゲームやクイズに一生懸命になるでしょうか?なりたい人もいるかもしれませんが、「ちょっと恥ずかしい」という面もあるはずです。そこで出てくるのが「報酬」なんです。報酬があることによって「おれは報酬のために一生懸命やっているんだぜ」という周囲に対するエクスキューズが生じる。で、勝った暁には「うまい棒」もらって「やったぜ~」みたいなパフォーマンスもできるんですね(&自身のSNSに上げるというおまけ付き)。

このようなやり方は賛否両論あろうかと思います。Twitter上でも私へ向けたものではありませんが「あの同僚の先生はお菓子を学生に上げて人気をとっている。嫌なやりかた」というようなツイートを見たことがあります。そんなツイート見ても全くへこたれませんよ私は。だって、

それで授業うまくいってたもん

岩田先生もいうように、「役に立つ動機づけなら何でも良い」のです。

●早く帰れる

だいたいその授業の最後は以下のようなタスクを課しました。

「p●●の会話を隣の人もしくは自分一人で練習してください。うまくできるようになったら私のところに来てください。そして私の質問にうまく答えることができたら帰ってもいいです」

すんごいムキになって練習します。私のOKが出ない場合はまた自分の席に戻って練習して出直します。まあ今風?にいうと、その日のCANDOができたら帰ってもいいということですよね。

学生にとっては「早くこの教室から出ることができる」という動機づけです。しかしそれを実現するためには練習が必要。これって最強の動機づけじゃないでしょうか。

また余談ですが、思わぬ効果もあります。できない学生ほど残ることになりますよね。最後になればなるほどできない学生が残る。できる学生はもう帰っていますので教室はガランとしています。そうすると、できない学生とコミュニケーションする時間が増えるんですね。ここでいうできない学生というのは、別に頭が悪いとかそういうことではありません。おそらく日本語学習に別に興味がない学生です。そういう学生とガランとした教室で日本語とは関係ないことを話したりします。そういう時間を持つことによって当然ですけど個人同士の関係は深まるんですね。優等生ではない学生に発破をかけるのも我々のしごとですから、そういう時間をとれることはいいことです。

何でも動機になり得る

書きながら分かってきました。動機づけってほんと何でもいいし、何でも動機づけになり得るんですね。要は、授業において、

なぜ私はこの練習をすべきなのか

に答えを与えること。それは「成績が良くなるから」かもしれないし、「お菓子がもらえるから」かもしれないし、「早く帰れるから」かもしれません。もちろん「この積み重ねによってあなたの大きな目標(N3をとるとか日本に留学する)へ一歩近づけるんですよ」っていうことを示すことが理想的だとは思うんですが、なかなかそれって難しいですよね。それが難しい場合とか、またはあまり成熟していない学習者への動機づけは上記したような細かい動機の引っ掛かりを作ることは悪くないと思います。

例えば私の小1の息子は英語の個人レッスンを受けていますが、このカナダ人の先生はなかなかの手練で、ときどきプレゼントをくれるんですよね。プレゼントと言っても私から見たらどうでもいいような「100均」的なこどものおもちゃなんですが、息子はとても喜んでいます。しかもそろそろ飽きたな~くらいの微妙な時期にそれがあるんですよ。うまいな、と思います。

成熟した学習者への動機づけ

しかし、成熟した学習者の場合はどうでしょうか。例えば私は自身を成熟した学習者だと思っていますが(笑)、今クメール語のレッスンを受けています。「日本語の授業の時間に学習者同士で話しているクメール語を理解したい」「カンボジア人の同僚同士で雑談している内容を知りたい」というのが最も大きな学習動機です。

私の学習動機がもっとも高まるのは、生のクメール語素材(TVのニュースとかyoutube動画、同僚同士の会話など)を聞いて、なんとなく意味がとれるな、と思った時です。別に先生が、「このテストで100点をとったら次のレッスンフィーは無料にします」とか言われたとしてもあまり動機は高まらないでしょう。

また私は英語の学習としてNHKのゴガクというアプリで「ビジネス英会話」を聞いているのですが、最初ダイヤログを聞いた時は理解できなくても、番組の最後にダイヤログを聞くと全部聞き取れたりします。そんなときは大いなる達成感を感じます。

つまり、デフォルトの学習動機がで確固として存在する成熟した学習者(自分のことを何度も「成熟した」と形容してスンマセン)に対しては「ほら、こんだけ上手になったでしょう?」と提示することが動機づけにつながるのではないでしょうか。

となると、ぱっと考えて日本語の授業でできることは(もちろん学習目的によって変わりますが)、

・ネイティブとの会話機会や生の素材を提供し「通じるでしょ?」「理解できるでしょ?」というように持っていく
・授業やコースの最初と最後で同じ課題や問題に取り組ませ、結果を比較し、その成長度合いを可視化させる

などがあるかな、と思います。まあ二つ目のやつに関してはポートフォリオとかいう考え方もありますね。ただ私は個人的にはメンドクサと思うタイプなので、意図せずともポートフォリオができていくという形でできればいいと思います。デジタルを利用すればそれも簡単にできると思いますが、まあ長くなるのでそれは近い将来書きます。

あとは、授業が楽しいことが第一かなと思います。これは人によって違うかもしれませんが、私は厳しい先生というのがあまり好きじゃありません。成熟した学習者に対しては、「なぜ宿題をやらなかったのか?」とか言ってもしょうがない気がしますね。

まとめ

もっと簡潔にまとめるつもりだったのですが、ここまでお付き合いくださりありがとうございます。結論としては、

意図的に動機づけを高める仕掛けを散りばめましょう

ということになります。そして動機を高めることに一役買いそうなものがあればそれは石ころでも何でも使う。それくらいの心意気が必要なのではないでしょうか。

では次はインプットに関してです。↓


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