レビュー『人生を変える 80対20の法則』①

投稿者: | 2020年8月25日

80対20の法則とかパレートの法則という言葉はみなさんも聞いたことがあるかと思います。私も概略については知っていて、また以前からその考え方に興味がありました。このたびキンドルの日替わりセールで安くなっていたので読んでみることにしました。

リチャード・ コッチ(2018)『人生を変える 80対20の法則』CCCメディアハウス

一般に80対20の法則は、経済やビジネスの法則として知られています。一読後の感想としましては、このエッセンスは広くいろいろな場面で応用可能で、また今後の生き方を考えていく上でも非常に示唆深い内容だと思いました。もちろん私達日本語教育に従事する人にとっても例外ではありません。

以下、いつものようにつらつらとこの本を読んで思ったことを書いていきます。

80対20の法則とは?

まず前提を確認しておきます。80対20の法則の基本はこれです。

結果の八〇%は原因の二〇%から起こる。少数が重要で、大多数は重要でないのだ。(Kindleの位置No.476)

「ほとんどのことがあまり重要でない」ということですね。具体的に見ると、

・商品の売上の8割は、全商品銘柄のうちの2割で生み出している。
・売上の8割は、全従業員のうちの2割で生み出している。
・仕事の成果の8割は、費やした時間全体のうちの2割の時間で生み出している。

といったものでしょう。こういった現象から、

・よく売れる2割の商品銘柄を売ることに注力する。
・その優秀な2割の社員の高待遇で引き止める。
・費用対効果の低い仕事はやらないようにする。

といったような対応や結論を導き出すことができます。

この法則はビジネス・経済シーンでは「費用対効果の高い方面へのみ投資をおこなう」「効率を上げる」「無駄を切り捨てる」という文脈で用いられます。

日本語教育的文脈ではどうなるでしょうか。

・卒業時のN1取得者の8割は、入学後最初のテストの上位2割の学生が占めている。

とかですかね。ちなみに80対20という数字がずっと出てきていますが、仮に出てきた数字が70対30でも、90対10でもそれは重要なことではありません。80対20の法則の本質は

少数が重要で、大多数は重要でないのだ。(Kindleの位置No.476)

ということです。

本当に意味のあることをやっているか

しかし私が興味を持ったのはこういった「事後に出てくるデータや数字」的なことではなくて、仕事をする上での心構えについてもこの法則が適用できるという点です。例えば以下のような法則もあり得るでしょう。

・授業準備の8割は、普通費やす時間の2割で終わる

もちろん残りの2割が完成してなかったら授業は遂行できないわけですが、この8割を「授業準備のクオリティ」という意味で捉えたらどうでしょうか。仮に、普通の授業準備に2時間かかるとします。そのうちの24分で「そこそこ合格ラインの授業準備」はできています。あと96分費やせば「完璧な授業準備」ができるのですが、さてあなたは「そこそこで妥協する」か「完璧を求める」かどちらでしょうか?

私は「そこそこ妥協派」でしたが、この本を読んで、さらに明示的に「妥協派」になろうと思いました

上の例で言いますと、あと96分費やしてもクオリティの2割の補強にしかならないのです。だったらその浮いた96分を他のことに回したほうがよくないですか?

いやいや、教師たるもの学生には全力で当たらなければならない。時間さえかければ更によくできることをしないなんて考えられない、という人もいると思います。しかし、考えてみてください。そもそも「完璧な授業準備」というものは存在しません。授業準備に終わりはありません。良くしようと思うならいくらでもできます。つまり完璧=100%の準備というのは幻想なわけですよね。だったら反対に、8割のクオリティで終わったとしても「それが8割である」とは言えないことになります。本人が気持ち的に妥協しているだけで、「まだ改善の余地が2割ある」といえる人はこの世に存在しません

もちろんここでいう8割というのも観念的なものです。授業準備に完璧もないし、8割もありません。では「8割で納得する」というのはどういうことかと言いますと、具体的に言えば例えばこういうことではないでしょうか。

・録音録画をするときは一発撮りを基本とする。
・スライドは基本パターンをいつも使う。

録音や録画をしていると急に家人の声が入ったり、バイクの爆音がはいったりします。でも、それが聞き取らなければならない音声の邪魔にならない以上、それでいいじゃないですか。

また2つ目のスライドのことですけど、「フォントは教科書体でなければならない」「絵はいらすと屋ばかり使って食傷気味じゃないか」「色のバランスが悪い」「アニメーションをもっと効果的につかうべきでは?」とかの声を無視するとかですかね。

もちろん美的センスの優れた人はスライドにこだわりたくなることもあるでしょうね。私は別に他人がどこを重要視するかについて意見しようとは思いません。ただ、「そこそこの出来で納得するとはどういうことか」ということの一例です。

明確に得たさとり

この本を読んで思ったこと、促進されたことを書きます。

●セミナーとの付き合い方

多くの集まりがオンライン化されて毎週末日本語教育系のセミナーや勉強会があるのが普通になっています。当初は興味のあるものには全部参加してきました。しかしなんか違うような気がしてきたんですね。

そもそも私は「日が暮れてからは仕事をしない」「やすみの日は仕事をしない」を基本方針にしています(主に家族との時間を確保するという意味から)。でもそういう勉強会やセミナーは大抵夜だったり、休みの日だったりするんですよね。

そこで打ち立てた私の方針はライブしかないものは基本切る、ということでした。アーカイブが残るもの(ビデオや資料が公開されるもの)に関してだけキャッチアップしていこうという方針に切り替えたんです。そもそもビデオが公開されるものだけでもかなりの数に上りますからね。自分のキャパを考えてもそれは妥当なんじゃないかと思います。

※フリーライダーじゃないか、という意見もあろうかと思いますが、私は私で依頼があれば発表などもしますし、ビデオで見た勉強会の内容をシェアするということもやっています。ただ、体は一つしかないし、妻子といい関係を築きつつやろうと思ったら限界がある、ということを言っています。

あくまでもそれは基本方針なので気が向けば参加する場合もあります。匂いを嗅ぎ分けて重要そうなものの中でも特に重要そうなものには参加します。

●Twitter

私はTwitterを一生懸命やっているんですけど、フォローしているのは20人くらいなんですね。その数倍の方々にフォローしてもらっていて、いつもその数字を見てい自分は「人でなし」だと思っていたんですけど、やはりその方針は間違ってなかったかも、と思いました。

私の目標はタイムラインを追うことではなく、キャッチアップすべき情報をちゃんとキャッチアップするということです。その目標を達成するためにはフォローする人が100人とかになったら無理なんです。そうするとTwitterをやることが当初の目的とはずれてしまうんですよね。

だから素晴らしいことをシェアしてくれる人でも、仕事とは関係ない情報のシェアが多い人はやはりフォローを外すということをなくなく実行しています。断腸の思いです。

額に汗しなくても良い

で、そうやって浮いた時間、上の授業準備で言うなら96分、は他のことにあてることができます。もし2割質を高めるために120分全部つかってしまったら、その96分はなくなってしまいます。「じゃ他のことって何?」って言われたら、「その他の重要な業務」と答えるのが今の日本では社会的にも政治的にも正しい作法だと思います。けど、この本では「好きなことをやれ」と言うんですね。

額に汗しないことの罪悪感など、さっさと捨てよう。それは、働き過ぎないために必要だし、楽しいことをやるためにも必要でもある。楽しいことをやって何が悪い。楽しくないことをやるのは、何の価値もない。(Kindleの位置No.2575-2577)

私がこの本に惹かれたのはこういうことをはっきりと書いてあるからだと思います。私は長い間これを言いたかったんですが、見えない社会的圧力から、それを言うことをはばかられてきました。

そうそう仕事の8割は全体の2割の時間の仕事で終わるんですよ。一日8時間労働だとして、せいぜい3時間も働いていれば十分仕事はできるんです。私はずっとそれを思ってきたけど、言えませんでした。

※もちろん授業時間は短縮できませんし、一定時間そこにいることに価値があるような仕事もあります(売店の売り子とか、飲食店の店員など)。だからすべての仕事に上のようなことが適用するとは思っていません。

韓国の大学に勤務していた頃、私は毎日16時くらいに退勤していました。しかしですね、本当のことを言うともっと早く帰れたんです。多分昼過ぎには帰れました。でも、昼過ぎに帰宅するという、今思うと意味のない罪悪感に負けたんですね、私は。

ですから私がこの本から得た(歪曲された)メッセージ?は

一日3時間働いて、あとはのんべんだらりんと暮らしなさい

ということなんです。

…「のんべんだらりん」とは書いていないんです。もっと正確に言うと、「自分が必要、重要だと思うことに時間を使え」と言っているんです。私にとっては「のんべんだらりん」が最も重要なのでそう解釈しただけです。

もし、「一山当てて大金持ちになる」のが人生の目標でしたら、その人は浮いた時間を「一山当てて大金持ちになる」のに必要な作業にそれを当てることになるでしょうね。のんべんだらりんとはしないでしょう。

仕事か遊びかの二者択一ではなく、仕事をしているときは高い価値を実現できる仕事、遊んでいるときは心から楽しめる遊びに集中することが大切なのだ。(Kindleの位置No.2603-2605)

仕事は短時間で最高のパフォーマンスを上げる。そしてあまった時間を存分に享受するということですね。


意味のあることに時間を使え

とにかくこの本にはいろいろなことが書いてあり、切り口もいくつもあるんですが、今日の話でいうと大切なのは

・質の高い仕事をできるだけ効率的にやれ

ということで、そのためには

・やっても成果の少ない非効率な仕事を見極め、捨てろ

ということなんですね。これだけ見るとなんかドライな感じがしますけど、結局たどり着く重要なメッセージは、

・意味のあることに時間を使え

という至極当然のことなんです。

もちろん世の中にはそれに反論したくなる人もたくさんいるでしょう。

「非効率の中にも学ぶことがある」

確かにそれはそのとおりです。しかしそれは「結果的に」非効率になってしまった場合のことじゃないでしょうか?はじめから非効率を求めて仕事をする人はいないでしょう。

以前、「ルネッサーンス」で有名なお笑い芸人の山田ルイ53世の本『中年男ルネッサンス』を読んだんですけど、著者は少年時代だいぶ長い期間引きこもっていたそうです。で、対談者が「でも、その経験が今生きているんですね」的なことをいうんです。それに対して山田ルイ53世はその発言を一蹴します。

寄り道も、あとあと意外な形で役に立ったりしますからね。ただ、繰り返しますが僕の場合は完全に無駄だった。貴重な時間をどぶに捨てたと思っています。

無駄なものは無駄だし、非効率なものは非効率なものなんですよね。「結果的に非効率だったことから学ぶ」ことと、「はじめから非効率を良しとして仕事に取り組む」ことはまったく次元の違うことです。

というわけで、80対20の法則について関連することを書いてきましたが、もうちょっとこの本については言及しておきたい部分があります。続きは↓で!


↓の山田ルイ53世の本も結構面白かったですよ。

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