日本語教師と就職活動いろいろ

投稿者: | 2020年9月25日

※2021年9月15日追記

以前、日本語教員養成課程の学生に対して少しばかり話をしたことがあります。その集まりは「日本語教師のキャリア形成」というタイトルで、私は「海外の教育機関の代表」として話をしてきました。


私はその中で私は、

すべての日本語教師はフリーランスである

という名言を吐きました(笑)どういうことかと言いますと、「日本語教師にもいろいろあるが、新卒から定年まで一つの機関で勤め上げるような人はほとんどいない。組織に所属はしても、気持ちはフリーランスと同じく自分の価値を自分で高める努力をしたり、他とのつながりを持つ努力をしたりしないと生き抜けない」ということです。

まあ、みなさんがそれに同意するかしないかはどっちでもいいですけど、とにかく日本語教師は「就職活動」を割と何回もすると思います。私も今までにいくつもの機関に応募してきましたし、また選ぶ方の立場も経験してきました。今日はその経験から、思うことを脈絡なく書いていきます。

履歴書は手書き?PC書き?

ここで悩む人は結構多いのではないでしょうか。もう21世紀に入って20年も経つというのに、「手書きがいいのか?」という問いは未だに有効な問いであるようです。

でもね、悩んでいる人は、もう悩む必要はありません。私が決めて差し上げます。

まず、第一に「手書きの履歴書を提出のこと」のようなただし書きがあれば、手書きで出すのは当然です。いくらここで、「俺はPCの方がいい」と思っても手書きを提出してください。まあ当たり前ですよね。

問題は、何の指定もない場合です。私は2年前、ある募集に応募するときに3分くらい悩みました。しかし3分しか迷わなかった理由は、応募フォームが指定されていたからです。

指定されていたフォームには2つあり、PDFファイルとワードファイルがありました。それを見て「PC書きで良し」と判断しました。もし手書きを要求するのであれば指定フォームはPDFだけで良いわけですから。わざわざワードファイルを上げているということは「PC書きで良し」というメッセージです

では、問題は「PDFしか上がっていなかったら」もしくは「指定のファイルがなかったら」という場合ですよね。

「PDFしか上がっていない」場合、手書きをすると思います。それがメッセージですから。もちろん今ではPDFの編集なんて手軽にできるわけですけど、やはりPDFは「可変の必要がない」場合に使うファイル形式ですからね。そこではメッセージを素直に読み取る必要があるでしょう。

では最後に、一番多い「指定のファイルがない」場合。私はPCで書くと思います。だって楽ですから。そして21世紀ですから。

しかし、私たちは危惧するわけですよね。「もし手書きの方が評価されるのであれば・・・」と。でも、私だったらですね、「指定していないのに手書きを評価する(PC書きをマイナス評価する)ようなところには行かなくても良し」と判断します。

今はPC書きが無標の方法です。有標の方法を望む場合には、その旨を明記する必要が募集側にはあります。その一般通念を守れないようなところには評価されなくてもいいし、行かなくても良いのです。

というわけで、手書き?PC書き問題をまとめますと、

指定がある場合、それに従う。
指定がない場合、募集要項にヒントがないか考える。
ヒントがない場合には、PC書き。

募集要項に全面的に従う

これは当然のことですけど、募集要項はちゃんと読んでその指示通りに書類を出さなければなりません。

「PDFファイルにして提出」とあれば、PDFじゃないとダメなんです。

以前、いつの職場だったか忘れましたが、「PDFにして提出」としていたのに、「JPGファイル」にして提出してきた人がいました。ワードで作ったものをわざわざ写真に撮って、それを提出してきたのです。しかもワードの1ページが写真1枚に入り切らなかったのか、たった3枚ほどの履歴書を8枚くらいの写真に分けて送ってくれました。最初は意味がわからなかったのですが、ちょっと考えてわかりました。この人は、

PDFファイルを知らなかったのです。

でもワードをそのまま提出してはいけないことはわかったようで、それをどうにか工夫してJPGファイルで送ってくれました。その努力には頭が下がりますが、

それだったらワードで送ってくれたほうが読みやすい

ですよね。

でも、私はこの話を面白エピソードの一つとして取り上げているのではありません。私がこのエピソードを通して言いたいことは、

細かい指定は応募者のPCスキルや理解能力を見ている

ということです。そんなのね、履歴書なんてワードでもJPGでもPDFでも手書き郵送でも何でもいいんですよ。でもやはり募集主体の指定した方法は守らなければなりません。それは、組織の一員としてちゃんと指示した仕事を遂行できるかを見るという面もあるのです(知らんけど)。

最近読んだセンリさんのブログには「シニア層の日本語教師就職」について書いてありまして、シニア層の就職が難しい理由として「PCスキルが低い」という内容がありました。シニア層は相対的にPCスキルが低い人が多いので、特にこのあたりは注意したほうが良いかと思います。

【老後日本語教師】60歳からでも日本語教師は可能なのか
(日本語教師センリのブログ)

あと、逆に言うと、指定されていないことは自由です。だから、提出書類以外でも専攻に有利になりそうなものは作文でも何でも送るべきです。もちろん今まで書いた論文を全部送りつけるなんてのはあれですけど、常識の範囲内で(募集主体の負担にならない程度に)、指定されていない書類を送るのはアリだと思います。

面接は…

では、次は面接なんですけど、実はわたしはあんまり面接は得意じゃないんですよね。書類で落とされることはほとんどないですが、面接で落とされることはたびたびあります。JICAの青年海外協力隊とか(恨)

ですから、応募者としてはこれから面接をする人にアドバイスはできませんが、面接官として一つアドバイスをするのであれば、

ニコニコと聞かれたことに誠意をもって答える

これにつきるかと思います。とにかく面接は聞かれたことに答える場です。ときどき、特にスペックが高めの人にありがちなんですが、話が長すぎることがあります。とにかく、相手の質問に誠意を以て必要最低限の言葉で答え、その答えに説明が必要な場合にはそれを少し補足する、というのがマナーかなと思います。

それしか言えずスンマセン!

1+αで応答を

あと、面接というのは基本的に面接官の説明に答える場です。一般的にはペラペラと聞かれていないことをしゃべるのはマイナス点になる場合が多いと思います。相当話が面白ければ別ですが。

また逆に話しすぎないというのも問題です。やはり適当な量をしゃべることが求められます。

で、その適当な量って何?というときに指針としたいのが

1+α

という考え方です。

「1」は面接官の質問に対する答えを指します。それは当然ですよね。聞かれたことに答えることができなければコミュニケーションは成立しません。ただ、以下の場合はどうでしょう。

面接官「今の学校で長く働いていますね。」
受験者「はい。」

これは相手の質問に答えているのは確かですけど、もう一言欲しいところです。そこで「+α」をつけます。

面接官「今の学校で長く働いていますね。」
受験者「はい。学校の環境もいいですし、上司や同僚にも恵まれましたので。」

これがあることによって次の質問につながりますよね。

面接官「じゃあ、なんで辞めるんですか?」

そこで、辞める理由を語ればいいだけです。

とにかく面接ってのは緊張しますよね。だからこそ、

シンプルなプリンシパルを以て臨むことが必要

で、それが「1+α」なんですね。

「+α」というのは「ちょっと付け足す」という意味が強いですが、もう一つ意味合いとして「付け足しすぎない」という側面も含まれています

ちなみに1+αについては以下にも書いたことがあります。

観光ガイドの日本語ブラッシュアップ!

結果の考え方

そして結果が届きました。受かっていれば良いですが、落ちることもあります。そんな時にこう思ったことはないでしょうか?

「わたし、なんで落ちたんだろう?」

これは当然誰でも思うことです。でも、今まで面接をたくさんやってきた立場から言わせてもらうと、↑の疑問はあまり意味がありません。それはなぜかと言いますと、

採用は相対的なものだから

です。特殊な場合を除き、募集する人員というのは決まっています(表にでるかどうかはさておき)。欠員募集であればなおのことですし、そうでない場合でも取る人数というのは決まっていることが多いです。

例えばITエンジニアが欲しい、と思ってある機関が募集をかけるとします。そこにビル・ゲイツとマーク・ザッカーバーグが応募してきました。二人とも非常に優秀です。でも今回はWindowsに詳しい人がほしいのです。そうするとその機関はマーク・ザッカーバーグには断りを入れるほかありません。

ビル・ゲイツが応募しなければ、文句なしでマーク・ザッカーバーグを採用していたのです。採用担当者に落ちた理由を聞けば「今回は他の応募者の中にあなたよりWindowsに詳しい人がいたのです」という率直な意見が返ってくるとは思いますが、その答えを聞いて何か意味があるでしょうか。

もちろん、↑の例は比喩ですけど、実際ほとんどの採用は相対的なものです。「あなたが採用されなかったのは、あなたよりウチにフィットしそうな人がいたからです」という答えしかできないのです。

もちろん応募者全員がある基準を満たさなかった場合「採用者なし」となることはあるでしょう。その場合は「なぜ基準を満たしていなかったのか」を問うことに意義はありますが、箸にも棒にもかからなかったわけですからその問いに対する答えを聞いてもしょうがない気がします(教えてくれませんしね)。

なので、落ちた場合は「その理由を考えない」というのが正しい振る舞いなんじゃないかな~と思いますが、とは言え「なぜ落ちたのか」気になるのが人情ではありますよね。

※しかしこの「その理由を考えない」というのは面接まで行った時のことです。書類で落とされる場合は、何か明確な理由があるはずです。それは単に応募者のスペック不足かもしれませんし、募集側が募集要項には書けないような内部の条件を持っているためかも知れません(例えば今回は女性がほしいとか)。つきたい仕事やポジションがあって、書類で(特に続けて)落とされた場合はその理由を調べること・考えることにも意味があると思います。

まとめ

以上、就職活動についてつらつらと考えてきました。

ここで書いたことはあくまでも私の主観ですので、他の考え方があることを否定しません。むしろこれらの事項について他の考え方があったら教えてほしいくらいです。

私も、公務員時代の短い間を除き、正職員とか正社員になったことはありませんのでこれからも面接人生は続きます。みなさん一緒に「フリーランス」日本語教師を楽しもうではありませんか!

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