レビュー『これからのエリック・ホッファーのために 在野研究者の生と心得』

投稿者: | 2020年9月26日

荒木優太(2016)『これからのエリック・ホッファーのために 在野研究者の生と心得』東京書籍

エリック・クラプトンなら知っているんですけど、エリック・ホッファーは知りませんでした。どうやら、ガテン系の労働をしながら優れた著作を生み出した独立系の研究者のようです。

大学や研究室や学会の外にもガクモンはあるじゃないか、本書はこの問題意識に貫かれている。(Kindleの位置No.28)

そうなんですよね。どうしてもわたしたちは研究者、学者というと「大学の先生」をイメージしてしまいますが、学問は大学だけでおこなうものではありません。

直感的にいえば、在野研究とは、アカデミズムに対するカウンター(対抗)ではなく、オルタナティブ(選択肢)として存在している。そもそも、一八世紀のヨーロッパでいう〈アカデミー〉とは、大学と対抗的な関係にある、新たな知を切り拓く専門家集団のことを指していた。アカデミズムは元々、大学に飼い慣らされるものではなかったのだ。(Kindleの位置No.79-83)

力強い言葉ですよね。このような背景を元に、これまでの日本の独立系の学者、すなわち「在野研究者」がどのような人生を送り、どのような考えのもとで「在野研究者であり続けたのか」を紹介してくれるものです。

全部で16人の在野研究者が登場するのですが、適度な紹介の仕方で飽きも来ず、私は非常に面白く読みました。

共通すること

この16人の在野研究家はその活動の舞台が大学じゃないんですね。中には著作を発表して大きな経済的利益を得た人もいるみたいですけど、基本的に「研究をする」ということ自体で誰かに給料をもらっているということではないのです。

つまり、みんな好きでやっているんです。

私も大学院に行っていたことがありますし、大学で働いていたこともあるので研究というものについて、少しは知っているつもりです。そして「研究のおもしろさ」というものも知っています。

私は日本語学を専攻していて、日本語文法を研究?していたんですが、神が作ったルールを発見する喜びや楽しみにぞくぞくすることもありました。まあ、私はどちらかというと先達の発見を読むほうが好きでしたけど。

でもどうして研究?をやっていたかというと、それが結局おまんまに繋がるかもしれないという見通しがあったからです。本質的に、勉強や研究が非常に知的でワクワクする行為であることは知っていますが、その先に(不確実ではあっても)何か利益があるかもしれないから出来ていたという面は否定できません。つまり下心ですよね(まあ、下心というほど将来を保証してくれるものではありませんが)。

でも、ここに出てくる人たちはそんなのないんです。純粋な「知への渇望」が彼らを在野研究に掻き立てていたのだと読み取れます。

以下、その在野研究者の生き方を象徴している部分をいくつか書き出します。

抜き出しいろいろ

食うために働くときは黙って働け。ただし、きちんと時間を決めて。課せられたその苦労のあとに本当の「仕事」、「本当の生活」が始まるのだから。(Kindleの位置No.233-234)

↑「労働」は生活を支えるため。研究が「本当の生活」という人の話。

師匠といえるのは「本」だけだった。「本」は大学の教授のように妨害したり、足を引っ張たりしない(Kindleの位置No.283-284)

↑大学内の政治や人間関係などもいろいろあると聞きますからね。純粋に研究をしたいのであれば在野もありかもしれません。

一人の研究者が業績としての論文を書く。そして論文が多ければ多いほど彼は良き研究者である。そういった研究者観は、制度のために求められる固定観念にすぎない。(Kindleの位置No.2698-2700)

↑今ある価値観をもう一度考え直してもいいですね。大学なんかは論文の点数なんかで査定したりしますしね。

なにかに〈なる〉ために独学者は学習するわけではない。(Kindleの位置No.541)

在野研究者の多くは、学校(学者)が認めてくれるから研究するのではない。やりたい(やるべきだ)から、勝手に勉強し勝手に発表する。(Kindleの位置No.2247-2248)

↑そう。知へ渇望なんですよね。私のように下心があってはダメです。

他人に食わせてもらうこと、ヒモになること、つまりは寄生型の研究生活である。経済的な側面をすべて他人、多くは家族の者に委ねることで研究に集中することができる。(Kindleの位置No.702-704)

↑研究を第一と考えるのであればそれもありでしょうね。支えてくれる人がいればいいですけどね。

決意が強烈だったのは、家族をはじめとした親族に対し、考古学を志すことを宣言し、それ以後、一切働くのをやめてしまった、という点だ。(Kindleの位置No.934-935)

↑ここまでくると、むしろ清々しいですね。

著者について

さて、この本では16名の在野研究者が紹介されているわけですが、私が最も興味を持ったのが、この本の著者荒木優太氏です。

どうやらこの著者も在野研究者で有島武郎を主に研究されているようです。私は文体に対して語る術を持たないので、うまく説明できませんが、とにかくこの著者の書く文章に好感を持ちました。テンポが良く、語彙の選定も渋く、また一見硬そうな流れの中に軟派な表現を入れ込んでくる技術も素晴らしいと思いました。私は書けませんが、このように書けたら書くのも楽しいだろう、と思うくらいに。

もちろん文体だけではなく、内容も良かったです。本人は「個々の在野研究家の研究内容については評価するほどの知識がない」と謙遜するのですが、読む側にとって必要な情報はちゃんと提供されていますし、かと言って研究内容に深入りしすぎることもせず、うまいこと前後のバランスを取りつつ一冊の本に仕上げています。

相当な手練だな、と思って著者プロフィールを見たら

1987年生まれ

ってどういうこと!こんな書き手がいるのであれば日本の将来も安心ですね。

研究と教育

最後の章で、著者の「執筆動機」が書かれていました。その中に著者が修士課程に所属している時のこんなくだりがありました。

院生時代、私はことあるごとに大学教授から、研究者になりたいのなら教師になるしかない、と言われていた。研究職とは同時に教職でもある。至って普通の指導である。(Kindleの位置No.2859-2860

まあそうですね。大学の先生なら100人中100人同じことを言うでしょうね。しかし著者はそれが嫌だったと言います。

なにが嫌だったのか。色々あるのだろうが、おそらく一番大きかったのが、研究者イコール教師であるという自明の認識を押しつける、その無自覚な鈍感さに私は耐えられなかったのだ。(Kindleの位置No.2862-2864)

これ、私はちょっとわかります。

研究活動を続けたいと考えている修士課程の学生の多くが夢見るのは大学教員になることでしょう。任期なしの大学教員は魅力です。そして「研究をしている」と言えば周りもそのようなポジションに収まることが成功だと考えるでしょう。

でも大学は研究機関でもあり、教育機関でもあります。大学の先生は学生指導もするんですよね。それは現代社会では当然のことと考えられているかも知れませんが、研究だけをしたい人にとって見れば、

なんで学生指導せにゃならんの?

という人がいてもおかしくありません。また大学の教員は事務仕事が非常に多いと聞きます。書類書きや会議に追われて研究なんてする時間はない、と言うのもたくさん聞きました。

それでもそういうことも考慮した上で、多くの人は大学教員になりたいわけですよね。だって、そのほかにお給料もらいながら研究できる場所なんてないんですから。つまりその環境に甘んじるわけですよ。

だからこそ、だったら在野で…という著者のような人がいるのも理解できます。

また、私は反対のことを考えたことがあるんですよね。

私の職業的アイデンティティは「日本語教師」にあります。だったら教育の場数を踏み、「どうしたら良い授業ができるだろうか」毎日考えていれば教授能力は上がっていくはずです。

でもですね、みなさんも御存知の通り、ある程度良い条件で働こうと思ったら大学院に行かなければならないのですよ。修士、博士という学位が求められるわけです。で、大学院に行って、私は日本語学を専攻しました。

程度副詞とか研究して「かなりおいしい」「とてもおいしい」が2つとも言えるのに、「かなり食べた」「とても食べた」の後者が言えないのは何故だろうか?みたいなことを必死になって考えていたわけです。

それで修士とか博士とか認められて、就職がしやすくなるわけですけど、その程度副詞の研究は私の日本語教育スキルに1ミリも影響を与えていないことをここで宣言します(いや1ミリくらいはあるかな)。

つまりですね、この著者は

なんで学生指導せにゃならんの?

と言ったわけですが(実際にはこのような言い回しはしてませんが)、私から言わせれば

なんで論文書かにゃならんの?

なんです。つまり言っていることは違うことですが本質は同じことなんです。

やりたいことが明確にあるのに、それを阻害する活動を余儀なくされる場に、なぜ敢えて身を置かなければならないのか?

ってことなんです(と断定しましたが著者が言いたいこととはちょっと違うかも、っていう考えが頭をよぎりました)。

※お前は日本語学を専攻したからだろう、日本語教育学を専攻していればそんな無駄な努力はしなくてよかったのだ、というのも一理あるとは思います。でも長くなるのでその辺はちょっとスルーします。

それで私なんかはヘタレなんで、世間に合わせて論文書いたりして、常套コースに進みました。でも著者はその世間の波に乗らずに違う道(在野)に進んだということなんですね。

そうやって研究を続けて、このような著書をしっかり出している著者はもう立派な在野研究者ですね。

まとめ

というわけで最近読んだ本のご紹介をさせていただきました。

著者は有島武郎の研究者ということなんですが、私は実は有島武郎は読んだことがないんです(笑)これを期に、こちらも読んでみたいなと思いました。

研究とは何か、学問とは何かを根本的な部分から考えさせてくれる良書です。

ちなみに↓で私が過去に大学院について書いたものや、現世的な利益を追求するためのプロセスに思いを馳せた文章を読むことができます。


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