日本語教師、向き不向き?

投稿者: | 2020年10月3日

職業適性診断

みたいなのがあるじゃないですか。「人と話すのが好きだ」「一人でいても大丈夫だ」とかに答えて、「あなたにぴったりの職業はこれです!」みたいなやつです。

さて、今日は日本語教師の適性について考えていきたいと思います。

日本語教師と一口で言ってもいろいろな働き方があるんですよね。日本か、海外かだけでも大きく変わってきますし、高等教育機関か中等教育機関かでも違いますし、民間なのか公教育なのか、グループレッスンなのか個人レッスンなのかなどによってその働き方は大きく違ってきます。

例えば、私は自分のことを日本語教師だと思っていますが、今週やったことと言いますと…

新人講師の研修
報告書の作成
学校訪問・意見交換
授業のサポート
研修の見学

オンラインコミュニティの管理

日本語教師と言いながらも授業をやっていません(笑)こんな私と「日本語学校で非常勤講師をやっています!」という人では要求される能力が異なりますよね。

さらに私の例で恐縮ですが、前大学に勤めていた時のことです。それまでは自分の授業だけをこなすような働き方だったんですが、ある時ポジションをもらって「報告書」や「企画書」を書くような仕事が増えました。

で、私はそういうことをやったことがなかったんですが、やってみたら

案外うまくできるな

ということに気づいたんですね。「むしろ授業やるよりもそちらの方が素養があるかもしれん」ということさえ思いました。

というわけで、日本語教師といってもいろいろな働き方があり、その働き方によって求められる能力や素養が異なりますよ、という話ですね。

向いているかどうか

もう一つ、それに付け足しをさせていただきます。

私はこの業界で16年ほど働いていますが、一度たりとも自分が

日本語教師に向いている

と感じたことはありません。むしろ最初の頃は「失敗した」と思っていたくらいです。でもですね、こうやって続けてきてわかるんですが、「向き不向き」ってあんまりないんじゃないかと思うんですね。

もちろん「能力」「飲み込みの速さ」というのは人によって違います。私は最初の職場に未経験で入ったんですが(てか最初の職場なんですから未経験なのは当たり前ですね)、その1年後にやはり私と同じような未経験の講師が入ってきました。私の方が一年先輩ですけど、その講師の方が明らかに授業が上手でした。もしその人が今でも日本語教師を続けていれば、今でも彼女の方が授業はうまいでしょうね。

でもですね、日本語教師というのはその能力やセンスがそこまで重要か、と言われるとそうでもない気がするんですよね。そもそも世の中の仕事というのは、だいたい誰にでもできるようにできていますからね。

サッカー選手とか、歌手とか一部の特別な仕事を除いて、多くの仕事は誰でもできないとだめなんですよね。じゃないと社会が回りませんから。もちろん、それは「日本語は日本人なら誰でも教えられる」とかいう話とは次元の違う話です。「そこそこメソッドを学んで、そこそこ経験を積み、そこそこ試行錯誤をするということをすれば」誰でもできる仕事なんですね(もちろん適性がある人の方が、良い仕事をできるでしょうが)。

その「そこそこ」ができるかどうかが分かれ目なんじゃないの?という意見もありますでしょうが、その「そこそこ」ができない人はどんな仕事もできませんよね。まあ「そこそこ」は曖昧ですけど。

とにかく、私は自分で「向いてないな」と思いながらずっとやってますし、これからもやっていくと思います。

興味があることは前提

というわけで、私は「日本語教師は誰でもできる」と言っているわけですけど、一つ注意があります。それは「日本語教師という仕事に興味がある」とか「やってもいいと思っている」ということが前提だということです。

「日本語の授業?ぜったいやりたくない」みたいな人は当たり前ですけど、日本語教師に向いていません。でも「やりたくない」という人は「やろう」ともしないのですからそんなの考えなくていいですよね?

例えば、私は外科医とバスやトラックの運転手には絶対なりたくない、と考えています。それらの仕事は、下手したら人を殺してしまうかも知れないと思うからです。私みたいな不注意な人間は絶対やったらだめだと思っています。

で、私は果たして「医者に向いているだろうか?」とか「バスやトラックの運転手に向いているだろうか?」と考える必要があるでしょうか。ないですよね。

回りくどくなりましたが、つまり

何らかの経緯があって「日本語教師っておもしろそう」「やってみようかしら」と考える人がいた場合、「でも私に向いているのだろうか?」と考える必要はないんですよ

というお話です。

適性診断という謎

で、ここまででお話は終わりなんですけど、もう一つだけ。これを読んでいる人の中に高校生や大学生がいたら、ぜひとも聞いてもらいたいともいます。おじさん、おばさんは聞かなくてもいいです(笑)

私は日本語教師ですから、今日、日本語教師の適性?という話をしていますが、誰でも一度は「私はどのような仕事に向いているだろうか」ということを考えたことがあるかと思います。もちろん向き不向きはあると思いますが、それを検証することはなかなか難しいことです。

だって、やってみないとわからないじゃないですか。

仮に、「1年で一個ずつ仕事を変える」みたいなことをやっていれば10年で10の職業を経験することができます。でも世の中にはほぼ無限の職業があります。10個20個経験したところで、本当の自分の適性なんてわからないですよ。それにすぐに仕事を変えていては専門的な能力は磨かれないですからね。

また能力や適性は、職業生活を通して変化するものです。私はお金の勘定とか、経済のこととかよくわからないのですが、もし銀行員になっていたら今頃は経済系のブロガーになっていたかもしれません。「お金の勘定とかわかんない」というのは持って生まれた素質ではなく、日本語教師生活を続ける中で涵養された?ものでしょう。

私が言いたいのは「適性があるのか」「向き不向き」より大事なのは「感じ方」なんじゃないかな、ということです。曲がりなりにも私が日本語教師を続けてこられたのは、「やめるほど嫌じゃない」からです。

実は公務員だった時期もあるんですが、それはすぐに辞めてしまいました。業務内容を考えると、自分はその仕事への適性は高いと思うんですけど、嫌でやめました。

また、日本語教師になってからも仕事をいくつか変わりましたが、ステップアップや引っ越し以外の原因で仕事を辞めたのは一箇所だけです。その時はやっぱ嫌で辞めました。

もちろん私個人の経験を一般化するのもどうかとは思いますが、みなさんはどう思うでしょうか。私が言いたいことは「適性・向き不向きよりも感じ方」だということです。

そしてこれは他の仕事でも同じなんじゃないかなと思います。「自分に合った仕事を探そう」みたいな神話は信じないほうが良いんじゃないかと思います。私はハローワークに行った時「お前は営業向きだ」と決めつけられましたけどね(笑)

まとめ

さて、日本語教師の向き不向きということをテーマに話をしたのに結論は、

向き不向きはあんまり関係ない

となってしまいました。スンマセン。つまり、「日本語教師っておもしろそう」「やってもいいかな」と思った人は素質あるということです(笑)

以前、「私は日本語教師が天職だと思っている」という人に会ったことがあります。こんなに私に向いている仕事はない、ということでした。それはそれで素晴らしいことですよね。でも、普通「天職だ!」と思える仕事に巡り会えることは難しいと思います。

私は一回しかない人生なのに、「向いてると思ったことは一度もない」仕事に従事しています。向いてないとは思いますが、結構楽しいこともあり、悪くはないと思っているので続けられています。その程度の仕事を見つけられれば、まあ合格点なのかな?とも思っています。

今日も歯切れの悪い話でした。すみません(って最近謝ってばかりのような気がします(笑))。

※もちろんこの話は私の個人的な見解であり、「やっぱ適性というのはあるよ!」という反対意見を持つ人に対してどうこう言おうとするものではありません。

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