半年ほど前からクメール語の個人レッスンを受けています。
具体的にはZOOMを使って、日本語が堪能なクメール語母語話者の先生と1対1、週に一度、60分だけ授業を受けます。先生はずっと同じです。
今日は学習者としてオンライン授業を受けて、感じたことを何点か書きます。
聞き逃し
オンライン授業なので、それをいつも録音させてもらっています。そして、その次の授業までに少なくとも一回はそのレッスンの録音ファイルを聞いています。
あとで聞くことを見越して、「ここを読んでもらえますか」みたいなことも頼んだりしますので、当然その録音ファイルを聞くことは非常に勉強になります。一回授業を受けるだけではすぐ忘れてしまいますしね。
まあ、それは良いとして、録音ファイルを聞いた時にちょっと恥ずかしくなることがあります。それは私のクメール語が下手ということではなくて、
先生の話を結構聞いていない
箇所があるからなんです。たとえば、先生が「この単語は~という意味です」と言った3分後くらいに「先生、これはどういう意味ですか」と聞いたりしているわけですね。もしそれが「すみません、さっきの単語についてもう一度教えてくれませんか」という発話ならいいんですけど、先生がその単語について説明したこと、そのことすら全く覚えていない、というか「ないこと」になっているんです(60分の授業で1回か2回くらいは必ずあります)。
もしそれが、クメール語での指示であったら、私は初級の学習者だから聞き逃すことはあると思うんですけど、日本語ではっきり言ってくれているにも関わらず聞いていないことがあるんです。
…みなさん、授業をする時によくこういうことはないでしょうか?
説明したにも関わらずその直後に、「先生、この宿題の提出はいつまでですか?」とか学習者に聞かれることが。もしその質問をした学生が不真面目な学生-例えば授業中ずっと隣の人とおしゃべりをしているような-だった場合には嫌味の一つも言いたくなりますよね。
たった今説明しましたよ
みたいな。でも、仮にちゃんと聞いているような学生でも、そういうことはありえるということです。
なぜ先生の話が耳に入ってこないか、を考えますとやはりそれは「他のことを考えているから」だと思います。ここでいう「他のこと」というのは「昼ごはん何食べるかな」とかそういうことではなくて、「次の文をどう作ろうか」とか、「この単語何だっけ?」とか、「これは前に出てきた文法だな」とか授業に関係あることです。
1対1の授業ですら、そういうことが起きるということは、クラスでの授業の場合はもっとあってもおかしくないと思いました。
素晴らしい対応
で、ですね、後で録音ファイルを聞いたらほんと赤面ものなのですが、その時の先生の対応が素晴らしいんですね。
私は先生の直前の話を全く聞いていないわけですが、その不注意な私に対して、
さっき言いましたけど、これは…
みたいな発話が全然ないんです。つまり、私が先生の話を聞いていなかったことを全く取り上げないのです。だからこそ、私は自分の不注意さに録音ファイルを聞いてやっと気づくことができるのです。
この対応は素晴らしいな、といつも思っています。私を恥ずかしくさせることもなく、面倒臭がることもなく、「さっき言ったこと」「一度したばかりの説明」をもう一度おこなってくれるのです。
そういう誠実な対応を続けてくれていることもあって、私はこの若い男性の先生を完全に信頼していますし、先生を変えてほしいと思ったことも一度もありません。
何でも言える雰囲気
もう一つ、この出来事から大事だな、と思ったのは「何でも聞ける雰囲気」です。
私は恥ずかしげもなく、数分前に先生が言ったことを質問しているわけですが、それはやはり自分の発言が拒絶されることはないという信頼があるからです。まあ1対1ということもあるとは思います。
例えばですね、私の職場で会議があります。大体職場の会議は英語で行われるので、私は黙って聞いているだけのことが多いんですが、時として「ここは発言しておこう」とか「事実関係を確認しておきたい」などと思うことがあります。
しかしそこで発言する前に「もしかしてこれは前段で説明されているかも」「もう説明済みのところをもう一度聞くのはあれだなあ」と萎縮してしまって結局発言できないことがあります。
別に私が「数分前に説明済みのこと」をもう一度聞いたらからと言って「お前、ちゃんと聞いてなかったのか」というような人たちではないですし、同じことを聞いても誠実に答えてくれるはずですけど、雰囲気的に「二の足を踏む」という時は確かにあります。
「思いついたことをすぐに聞ける」ことが良いことなのか悪いことなのかは、その学生の態度や、質問の種類、または授業の在り方の違いによって変わるかとは思いますが、「学びの場」では一般的には何でも聞ける雰囲気を作っている方が良いことが多いと思います。
まとめ
よく、「日本語教師は自分も学習者経験を持つべき」ということが言われますが、この出来事を通して本当にそうだな、と思いました。
もちろん「学習者経験を持つべき」だから学習しているわけではなく、好きでやっているのですが、結果として「日本語教師として役に立つ」ことは少なくありません。
今日私が考えたことは、
学習者は聞き逃すことが多い
そして、聞き逃したことをすぐに聞ける環境作りは大事だな、ということです。