レビュー『「教えない授業」の始め方』

投稿者: | 2020年10月26日

今月も例によって、#日本語教師ブッククラブに参加してきました!

#日本語教師ブッククラブ

2020年10月の課題図書はこれ。
山本崇雄(2019)『「教えない授業」の始め方』アルク

「教えない教え方」「教えない授業」というと私がまっさきに思いつくのは、今井新悟(2018)『いちばんやさしい 日本語教育入門』アスク出版ですね。

この最終章だったかに著者がおこなっている「教えない教え方」についての言及があります。時を前後して私も自律学習型の授業などをやっていた時期もあり、非常におもしろく読んだ記憶があります。またこのレビューがきっかけで、オンライン勉強会に呼ばれたりもしました。


今回取り上げる本の著者は、英語教育畑の方です。どうやら日本の中等教育段階で英語教育をおこなっているようです。公立の中学校などカリキュラムががちがちに決まっているでしょうし、受験を前提とした現場でどのような「教えない授業」ができるのか、非常に興味深いところです。

結果として、同じ語学教師として大きな学びを得ました。今日はその一部をつらつらと皆さんと共有していきたいと思います。

様々なペアワーク

おそらくこの本の核心ではないと思うのですが、私がもっとも勉強になったのは様々なペアワークのやり方でした。

私もペアワークやグループワークを授業の中でやりますけど、どうもうまくできないんですよね。でもこの本の三章には「これでもか」というくらい様々な形態のペアワークが出てきて、非常に勉強になりました。p71〜p76にかかれています。

●Two-One Method

A;2回英文を読み上げる
B;何も見ずにAが発した英文を1回繰り返す

※Bが発話につまったら、Aは次の単語を言って援助する。Bがスラスラ言えるようになるまで繰り返しおこなう。

●Quick Response

A;先生役となり英文を読み上げる
B;生徒役となり瞬時にそれを日本語に翻訳する

※日本語読み上げ→英語に翻訳もやる

●Back Translation

A;英文を読み上げる
B;素早く日本語に直す
A;その日本語を聞いて英文に直す(もちろん何も見ない)

●Read and Look Up

A;Read!と言う
B;英文一文を黙読して、頭に入れる
A;Look up!と言う
B;頭を上げAとアイコンタクトする
A;Say it!と言う
B;顔を上げたまま頭に入れた英文を声に出す

※日本語なら「読んで!」「顔を上げて!」「言って!」でしょうか?

●Dictation

A;一行ずつ英文を読み上げる
B;聞こえた英文をノートに書いていく

※書けない時はもうできるまで言ってもらう

●Listen and Draw

A;一行ずつ英文を読み上げる
B;聞こえた英語のイメージを絵で描く

「教えない授業」の本を読んで「参考になったこと」の一番にこのような単純な活動をピックアップするのはなんともおかしいかもしれませんが、そう言えば私は漫然とペアワークをやっていたな、と反省しました。

↑で紹介した活動は、機械的な活動が多いですが、初級の初めの方ではこういう単純な練習をやるといいかもしれないと思います。文型積み上げだ、行動中心アプローチだ、と言いますが、どちらの方策をとっても短い文から作っていくということは変わりません。

このような単純な置き換えや、記憶活動をやることで、基礎はしっかりするんじゃないかと思いました。

現代では「翻訳的」な活動はあまり価値が置かれないような雰囲気ですけど、実際私達が外国語で文を作るときは母語を出発点としていることが多いはずです。

グループの作り方

実は私はペアワークとかグループワークとか、どうも乗り気がしないことが多いんですよね。

会話の授業では、「なぜ母語が同じもの同士で日本語でしゃべらなあかんの?」みたいなのは活動の設定を丁寧にやることでクリアできますけど、最も私が嫌なのは、

協調性のない学生がいるから

なんです。みんながみんなコミュ力に長けて、おもしろく楽しくペアワークを実践できる学生であればいいんですけど、時々ペアが決まっても相手と目も合わせないような人がいます。

そんなときには教師である私がほんと気を使うんですよね。みなさんも経験あるんじゃないでしょうか。

※ちなみに今いるカンボジアではそういう学生はあまりいないような気がします。国民性とかもあるんでしょうね。

で、そう思っているのは私だけではないようで、本書でもその問題について書かれていました。席の横の人といつもペアワークをしてしまうと、

パートナーが自分と気の合わない人であったらどうでしょう。学校に来るのが嫌になっても不思議ではありません。(p43)

となりますよね。それに続いて、

5分とか10分でペアを変えたらどうよ?

という提案がなされています。とにかくどんどん学生を移動させるということですね。

まあそれはわかる。ただ、「座っている学生を立たせてどんどん動かすというのもなかなか骨の折れるよな〜この人かんたんに言うな〜」と思っていたら、

タスクごとに席替えをすることが当たり前のこととして定着するまでは、数ヶ月がかかります。(p42)

という記述もあり、理屈だけで書いているのではないリアリティを感じることができました。ペアやグループをどんどん変えて、↑で書いたようなペアワークをリズムよくやっていけば授業時間なんてすぐ終わりそうだな、と思いました。

ちなみに、私はペアワーク云々ということをさっきから書いていますが、自分が学習者だったらあんまりペアワークとかやりたくないんですよね。まあそれは別の記事で書きましょうかね。

インプット?アウトプット?

最後の方の第6章では座談会形式で話が進みます。若手の先生が質問をして著者の山本先生が答える形ですね。その中に良い質問がありました。かいつまんで言うと、

語学教育の世界ではインプットが最も重要と言われる。しかし、山本先生の教えない授業はインプットよりもアウトプットを重視している印象がある。そのへんはどのように理解すればよいのか?(p152をまとめました)

それに対して山本先生は、「インプットが重要」と認めた上で、「しかし自分の学生時代(つまりよくおこなわれている学校教育の中の英語教育)を振り返ってみてもインプットが多かったわけではない」とした上で、

ある手法や手順にとらわれ過ぎる必要はなくて、でも、「伝えたい」という思いが生まれれば、結果的にその文法を使うことになるだろうと考えています。

一方的なインプットよりも相互交流を通して得られるインプットを重視します。(中略) 双方向的なインプットを継続的に与えるようにしているのです。(p154)

ということ言っています。これは私もわかる気がします。これは、

アウトプットを意識したインプットに意味がある

ということではないでしょうか。結局インプットが大事とは言っても、それがなんらかの形で自分と関わりがないとだめなんですよね。そして関わりがあるだけでなくて、そのインプットはアウトプットを誘導するようなものでないと意味が薄まるんですよね。

簡単に言うと「質問に答える」という活動です。質問に答えるためには相手の言うことを理解しなければならない、そこでインプットが有用なものになるんですよね。「答えなければならない質問」と「ただ音声ファイルの中でなされている質問」では、そのインプットへのコミットの度合いが全然変わってくるのは当然ですよね。

「他人事」ではなくて「自分事」のインプットをおこなうためには、アウトプットを前提とすれば良いということですね。

教師はピンではない

もう一つだけ、紹介します。

若手の先生が受験前の3年生の授業で「教えない授業」を導入したそうです。そうしたら一部の生徒から「もっと文法を習いたい」というような声が出たそうです。そして解決策として「教える授業」と「教えない授業」のどちらが良いか選ばせたそうです。そしたら学生は2つにわかれるわけですが、「教える授業」の方を、ベテランの他の先生が受け持ってくれたのだそうです。

「こうなったら、お互いの良さを生かそうよ」(p159)

という話になって、晴れて若手の先生は「教えない授業」の担当、ベテランの先生は「教える授業」の担当になったそうです。

これは素晴らしい学校だな、と思いました。

以前どこかで、

教師はピンではない

という言葉を聞いたことがあります。例えばすごくしゃべりがうまくてカリスマ的な先生がいるとします。でも、どれだけカリスマがあっても全員の生徒の心をつかめるとは限りません。絶対そこから漏れる生徒がいます。「もっと静かにしゃべる先生がいいなあ」と。その学校にそういうものしずかな落ち着いた先生がいれば、全部の生徒の好みをカバーできますよね。

そういう意味で教師はピンではないのです。チームなんですね。

以前、韓国の大学にいた頃、日本人の日本語の講師が10名とかいました。学生1000名くらいがその10名に振り分けられて「教養日本語」の授業を受けるんですね。

学校の主張はこうでした。

全員共通の教案を作ってください。誰が授業をしても同じ質のものが受けられるような努力をしてください。

馬鹿じゃないの?

と思いました。10人も日本語ネイティブ講師を抱えている大学なんてそんなにありません。なぜその特性を生かさないのでしょうか。もちろん学校側の主張もわからなくもないです。質を同じにしないと、人気の講師に学生が集まってしまうからです。「同じ学費を払っているのになぜ不人気の先生の授業をうけなければならないのか」という主張をする学生は確実に存在しますからね。

ただね、その主張に迎合してしまうのは完全に営利追求型の企業的マインドですよね。もちろん私立大学も営利追求型の企業の一つではあるんでしょうけど、だったら大学じゃなくて語学スクールでも運営したらよろしい。

本当に「質を揃える」ことを望むのであれば、それこそ一人の先生に講義をやらせてそのビデオでも配信していたらいいわけです。まあそれはそれでいい方法かもしれませんが、前提は「リアルタイムで生の先生から講義を受けられる」わけですからそれを活かす方向に持っていくべきでしょう。

教師はチームなんですね。

ただ、そう言ってしまうと、「私はフリーランスで一人でやってるんですけど」という声が聞こえそうです。

でも、そんなあなたも実はチームです。だって、世の中には「フリーランスで一人でやっている人」は結構います。その人とあなたは関係ないかもしれませんが、学習者の立場からすれば「あなたを選ぶか」「違うフリーランスの先生を選ぶか」という意味でチームなんですね。

まとめ

以上、「教えない授業」の本についてつらつらと書いてきました。私は脈絡もなくおもしろかったところ、感心したところについて書きましたが、おそらくこの本の核心についてはこのブログ記事では一切触れていません。

もしこの断片的な記述を読んで、この本を読んでみようと思う方がいれば幸いです。

英語教師の方はもとより、いろいろな語学教師に役立つ情報が満載です。

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