またまた懇意にしている先輩日本語教師マシローさんからおもしろい話を聞きましたので、私の解説を交えながらご紹介したいと思います。
どこの学校や機関でも「授業シフト」というのがありますよね。新人の頃は渡されたシフトをこなすだけですけど、そのうち「シフトを組む」という仕事を任されるようになります。私も最近はずっと「シフトを組む」ということをやっているんですけど、なかなか難しいしストレスになりますよね。
「シフトを組む」というのにも色々ありますが、ここでは「だれにどの授業、どの時間を担当してもらうかを決める」ということに絞って、マシローさんの話を共有していきたいと思います。マシローさんの話の中で興味深かったのは下の3つです(私が勝手にまとめただけですけど)。
・あまり親しくない人から決める
・公平性の取り扱い
・最後の策は痛み分け
シフトは、うまく組んでもだれにも褒められませんが、うまく組めないと同僚の憎悪の対象になります。私も地獄を何回も見てきました(自責の念とか?)。今でもできればやりたくない仕事の一つです。さて、マシローさんが示してくれる話は?
あまり親しくない人から決める
もちろんですね、担当する科目とか時間とかの兼ね合いで、自動的にシフトが決まる場合もあります。そういった場合は悩みようがありませんから除外しておくとして、ここで問題になるのはある程度自由に「誰をどの時間、どのクラスの担当にするか」を組める場合の話です。
良いシフトをもらった人は嬉しいし、ハズレをもらった人はシフトを組んだ人に文句の一つも言いたくなります。だから慎重にススメないといけないんですよね。講師一人ひとりに「できるだけ避けてほしい曜日や時間帯」を聞いて、あとはその学校や機関の縛り(中級クラスは午後しかないとか)を加味しつつシフトを組んでいきます。
上では「良いシフト」と言いましたが、どういうシフトを「良いシフト」とするかは個人によって異なります。ある人は朝の授業を終わらせてしまいたいと言いますし、ある人は午後の方が好きだといいます。ですので、マシローさんは
そもそもシフト組みは無理ゲー
という認識を持つことから始まる、と言っています。その上でマシローさんが提唱するのは、
一人一人の先生の顔を思い浮かべながら担当を決めていく
という方式です。「デジタルなブロックの組み合わせをやっていては良いシフトは絶対に組めない」とのことです。そのうえで、
あまり親しくない人から決めはじめる
のが鉄則だそうです。マシローさんはお上品なので「親しくない人」というソフトな表現を用いていますが、私が推察するに「馬が合わない人」、もっと言うと「嫌いな人」と同義だと思います。その理由を訪ねたところ、
「最後の方に決める人はどうしても残りものになってしまい、配慮が感じられなくなるから」
とのことです。それはそうですね。人間は意識的にせよ無意識的にせよ、好きな人や気の合う人に配慮しがちです。だからこそ嫌いな人を先に組むことによって公平性のバランスが取りやすくなるということですね。
うーんわかりみが深い。
反論として「好きな人を最後に決めても、嫌いな人を先に決めても余り物になるのは同じなんじゃないの?」ということもあろうかと思います。が、もし最後に好きな人のシフトを決めて、そのシフトがめちゃくちゃだった場合にはかなり高い確率で補正が入ります。好きな人に恨まれたくないからです。でもそのめちゃくちゃシフトが嫌いな人だったら無意識的に「だれかがババをひかなきゃだめなんだから」と思ってしまい、補正が入らないこともあります。
大人ですから「好きとか嫌い」とかは排除すべきなんですけど、無意識的にそうなってしまうのは仕方ありませんからね。それを防ぐために「あまり親しくない人から決めるべし」というマシローさんの金言があるんですね。
公平性の取り扱い
「シフトは人の好き嫌いをまずはカッコに入れて全員に公平に作るべき」というのはマシローさんじゃなくても、だれでも思うことでしょう。でもマシローさんが言うには、「公平というのは意外に難しい」とのことです。
マ:ここにケーキがあります。どう配れば公平ですか?
私:等分すればよいのでは?
マ:では、体の大さに合わせて切り分けるというのはどうですか?
私:それもある意味公平です。
我々の業界での話に置き換えると、
能力の高い人に難易度の高い授業をやってもらう
これが公平になるかどうか、という問題です。マシローさんはこのあたりの公平性の取り扱いがシフト決めにおいて最も難しいと言っていました。私もそう思います。ケーキの分け方がどちらがフェアなのかがすぐには判断できないように、仕事のフェアネスについてもその判断は全的に個人の考えに委ねられるからです。
難易度が高い授業をふったり、扱いの難しいクラスを振り分けるというようなことをして、
「この授業は俺しかできない。やったるで!」
という人もいれば、
「何で新人は楽な授業ばかりなんですか」
という人もいるということです。今から仕事を振ろうとしている人がどちらの考えなのか、シフトを組む人間は普段からよく観察しておく必要があるとマシローさんは言っていました。まあそれはそうですよね。この問題だけに限らず、シフトを組む人は対象の先生とコミュニケーションをある程度密にしておくことが望まれますね。
私も昔これで失敗したことがあります。私は「●●さんなら、このシフトの意図を汲んでくれるであろう」と勝手に思っていました。しかし実際は●●さんは私の作ったシフトに憎しみしかなかったとのことです。基本的に、シフトを組む人間というのは組織の中でそこそこ上にいる人です(階級的な上下があるかどうかは別として)。ですから不満があったとしても、それを正面から伝えることって難しいんですよね。まだ溝が深まるうちに一言いってくれれば良かったりもするんですが、なかなかそうもいきません。
つまり、私の考える公平性とあなたの考える公平性は違う。溝を埋めるためには日頃からコミュニケーションをとっておくべし!ということでしょうか。
最後の策は痛み分け
そんなこんなでがんばってシフトを組んでも、どうにもならない時もあります。だれかがババをひかなきゃならないときですね。シフトを組む人間がババをひく、というのがもっとも衝突がおこらない方法ではありますが、それを繰り返しているとムリが来ますし、場合によっては自分がババを引き取ろうとしても引き取れない状況があったりします。そんな時のマシローさんの最終手段は、
痛み分け
だそうです。ババを引かざるを得ない人を呼び出し、そうなった理由を一つ一つ説明する。その段階で取引をしてもいいでしょうね。次の学期はこの授業から外すとか。でもそういう取引ができない場合は、
では私も痛みの一部を引き受けましょう
という日本的なやり方で折れてもらうということです。お前はここでババを引く、その代わりそのババの一部を俺も引き受けるから、なんとか鉾を収めてもらえねえかという。
「あなたが痛みを引き受けようが、他人の痛みが軽減されるわけではありません。でも、それで納得する人もいるんです」というのがマシローさんの言い分です。
うーん、これはどうでしょう。まあ昔気質のやり方ですよね。そう言えば以前読んだ本によると、給料額なんかは絶対的な多寡よりも、同僚との差異にもっとも感情が揺さぶられるということです。自分だけババを引いている状態は我慢ならないけど、他の人もババを引いているなら我慢できるということですね。↓でちょっと言及しました。
実際の場面だと、「この最も時間の遅いクラスは●●さんにお願いします。●●さんしかいないんです。ただ、その分私がのうのうとしているわけにはいきませんから、一番朝の早いクラスは私が引き受けます。それでいかがでしょうか」というような感じでしょうかね。
合理的な考えをする人にそれをしても「あんたが痛みを受け持ってもおれの痛みは減らないよ」と返される(思われる)ことはあるとは思いますが、どちらにしてもシフト決定者として苦渋の決断をしているということは、十分伝わるかもしれませんね。
まとめ
以上、先輩教師のマシローさんから聞いた話を3つにわけてご紹介してきました。
・あまり親しくない人から決める
・公平性の取り扱い
・最後の策は痛み分け
飄々としているようでいて、マシローさんもいろいろと考えているのだなと思いました。
以前私もシフト組みがかなりストレスでした。私の場合は人間関係よりも、いくつかある制約の中からシフト表を埋めるという作業自体が大変でした。それでなんとか自動化できないものか(つまりある諸条件を入力すればランダムで決めてくれるシステムはないものか)、いろいろと調べたり考えたりしたんですが、なかなかそれは難しいんですよね。
サッカーJリーグの日程組みなんかは、自動で提案してくれるシステムを使っているとかその時に知りました。まあ、Jリーグくらいになれば金を出してそれを用意することもできますけど、なかなか小規模の教育機関では難しいですよね。
シフト組みは学校や機関によってまったく変わってくると思うので、マシローさんの話が参考になるかどうかはわかりませんが、あまり世間では議論されない話ですので読み物として楽しんでいただければ幸いです。
↓先輩日本語教師に聞く過去の記事です。
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