日本語授業もポイントは「問い」~「問い」を共有してわかりあう

投稿者: | 2021年3月5日

私も細々とですがブログを書いている人間なので、最近こんな本を読んでいました。

読まれる・稼げる ブログ術大全

そこでブログ記事のタイトルの付け方のノウハウとして、「キーワードを効果的に記事タイトルに入れる4つの手順」が紹介されていました。

①記事に対する「検索意図」を考える
②答えではなく「質問」を記事タイトルに入れる
③検索で上位に来てほしいキーワードはタイトルの前のほうに
④グーグルキーワードプランナーを参考に

私がぐぐっと来たのは

「②答えではなく「質問」を記事タイトルに入れる

というところです。その理屈は以下で説明されています。

今度はその検索意図を持った人が、検索するときに「どんなキーワードを検索窓に入力するのか?」を考えます。 ここでポイントなのが、検索窓は、いわば「質問箱」だということです。これは勘違いしやすいのですが、検索に対する「回答」ではなく「質問するときのキーワード」が記事タイトルに入っている必要があります
(Kindleの位置No.2441-2445)

確かにその通りですね。私たちが何かを調べたり検索する時って、「質問」から入るわけですね。あるブログ記事の内容は何らかの質問に対する回答になっていることが多いでしょうが、検索をする人は検索する前はその質問に対する答えはわからないわけです。だとすると、質問に対する答えをタイトルにすれば、確かにその記事のタイトルには相応しいかもしれませんが、検索には引っかからないということになります。

「問い」なら通じ合える

この「記事タイトルには答えではなく質問を入れる」という話を読んだ時、真っ先に思いついたのがこの本↓です。

あなたの話はなぜ「通じない」のか

この本は、人とのコミュニケーションを考える時に非常にためになる本だと思います。金言にあふれている素晴らしい内容なのですが、その中でも私が最もびびっと来たのは以下の言葉です。

背景、共有できない、価値観、共有できない、ビジョン、共有できない。そういう相手でも、「問い」なら通じ合える。 (Kindle の位置No.789-790)

そう、人間は人それぞれですし、考えることも違います。だからその結論や過程という側面では、通じ合えないことがたくさんあります。

例えば、子供の教育について「外国語はできるだけ早く始めた方がいい」という意見もあれば、「ある程度母語がしっかりしてから外国語教育を始めた方がいい」という意見もあるでしょう。その「結論」では両者は分かり合えません。でも例えば、「グローバルな市民として育つためには?」とか、そういう「問い」の下では、意見が違う両者もとりあえず議論の土俵に立つことができます

「これはこうだ」と結論で通じ合えなくても、「これはどうなんだろう?」なら通じ合える。魅力ある「問い」があれば相手を巻き込める。(Kindleの位置No.797-798)

なるほど。

私は昨日書いたブログのタイトルを当初は、

■「スマホ脳」は運動で乗り切る!

としていました。ここには「「スマホ脳」と言われる状態を回避するためには運動が必要だ」という結論まで含んでしまっています。これでは「え?運動…だるいなあ」という人には決して読んでもらえないでしょう。ですから、そのタイトルを今朝、こう直しました。

「スマホ脳」を防ぎ、よりよく暮らすためには⁉

まあ、このタイトルにしたからって読んでもらえるとは思えませんが、とりあえずタイトル=「問い」の部分では共感してもらえるところが増えているのではないでしょうか。

ブログのアクセス云々はまた別の問題としても、

まず問いで通じ合わない限りは、次のステップには絶対進めない

んですよね。

授業でも「問い」で通じ合う

これは何もブログとか、センシティブなコミュニケーションや人間関係にだけ適用されるものではありません。私たちが日々取り組んでいる「授業」や「セミナー」なんかも同じじゃないでしょうか。

授業をする時に、その日の学習項目の青写真を示すことがあります。

「今日は何々について勉強します」とか、行動中心アプローチの授業であれば「今日のcandoはこれです」というような提示をしますよね。ここが今まで論じてきた「問い」に当たる部分でしょう。

この「問い」の部分で学習者と通じ合うことができないと、学習者は授業に対する興味も出てこないでしょう。となるとおのずと、最初にどのような問いを提示するのが良いのか、が見えてきます。

「今日は108ページから110ページまでを勉強します」

私がやりがちですが(笑)これじゃあ「問い」で通じ合うことはできませんね。では、こんなのはどうでしょう。

「今日は受身形を勉強します」

これも不十分でしょうね。まず問いの意味すらわからない(笑)

問いを作るために、「導入」という手法がとられることがあります。その受身形を使う場面を作って、「こんな時には何と言えばいいだろうか」とみちびき、「問い」を共有しようという試みです。これはこれで良いでしょう。導入が重要と養成講座などで習った人も少なくないのではないでしょうか。

そう、導入は「問いを共有するための装置」なんですね。

ただ私は必ずしもこういう導入をすべきだとは思いません(するべきではないとも思いません)。例えば学習者の母語が一つで、媒介語による説明が可能であれば、

「今日習うのは〇〇語で言うと、〇〇という表現です。さてこういう場面では日本語でどのように言ったらいいでしょうか」

これでも十分問いとして成り立つでしょう。要は、何度も言いますが、

その問いで通じ合えるか?

というところではないでしょうか。良い問いを設定すれば、考え方の違う人アプローチの違う人もその議論には参加できるはずです。とにかく日本語教師としましては、その時々の授業に学習者と通じ合える「問い」をしっかり掲げて授業に臨むことがまずは第一ということですね。

そしてその方法は様々です、ということを今日は言いました。

「問い」を念頭におきつつ、授業の準備、セミナーの準備などをしたいものです

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