レビュー『麹町中学校の型破り校長 非常識な教え』

投稿者: | 2021年4月22日

久しぶりに日本語教師ブッククラブに参加してきました。

日本語教師ブッククラブ

2021年4月の課題図書はこれ。

工藤勇一(2019)『麹町中学校の型破り校長 非常識な教え』SBクリエイティブ

本書の内容は学校の運営的な部分と子育て的な部分に分かれます(重なる部分も多いですが)。学校運営的な方は日本語教育に携わるものとして得るものがありましたし、子育ての方は二児の父親として得るものがありました。今日もいつものように引用をしつつ、本の内容を少しだけご紹介します。子育て部分ではなく、教育部分を中心に。

宿題について

宿題について、小学校の先生に軽く聞いてみたことがあるんですけれども、「宿題を出さないと親御さんからクレームが出る」というびっくりするような回答をいただきました。大変ですよね。宿題を出したら出したで文句を言う人がいるし、出さなかったら出さなかったで文句をいう人がいる。

それと同時にこの本では、学校の宿題が多い理由としてこのようなこと↓を上げていました。

大半の学校では子どもを評価する手段として宿題が重宝がられている

公立学校の宿題は、文科省が評価制度を絶対評価に切り替える通達を出してから一気に増えました。すべての教科の先生が同じように悩むので、すべての教科で宿題が増えたのです。

どういうことかと言いますと、成績の付け方が前は相対評価だったのが絶対評価になったそうなんです。私も成績の付け方には一家言あるんですけど、相対評価の方が成績をつけるのは楽です。もちろん、優秀な学生が多い場合には、それが理由で気を揉むということもあるのですが、上から何パーセントがAとかいう基準が決まっていれば序列を上からつけて、ただ線を入れていくだけなんですよね。

絶対評価になると、全員にAをあげるということもできる。でも、それでは収まりがつかない人もいます。自分なりに適切な基準を考えて、成績の区切りをつけなければなりません。

その区切りの付け方を決める基準として宿題を用いているということですけど、なんか切ないですよね。自分たちがAかBか決められるために、宿題をしなければならない子供を思うと。

授業プランもそうですけど、宿題は目標達成のためのステップとしてあるべきですよね。「クレームが出るから」「成績をつけなければならないから」だと目も当てられません。

テストについて

驚かれる方が多いのですが、麹町中学校には宿題だけではなく、期末テストもありません。すべて廃止しました。

中学校で定期テストがないというのはかなり攻めていますね。私の昔の常識ではやっぱり考えられません。でも「宿題もないテストもない、じゃあ勉強しなくていいじゃん」というわけではないんですよね、もちろん。この学校では、

・年に4~7回実施する「実力テスト」
・単元が終わるごとに実施する「単元テスト」
・それよりも範囲の小さい「小テスト」

といった3つのテスト実施しているそうです。「なんだ言葉が違うだけでテストあるんじゃん」と思いますよね。でも、ここで特筆すべきことは、

成績に含まれるのは単元テストだけ

なんだそうです。そしてそれに加えて、この単元テストは

点数に納得できなかったら、自己申告で再チャレンジができます。

かつ、その再チャレンジの点数が成績に反映されるということです。これはすごい!

一発勝負で何点を取れるかというのが大事ではなくて、学校で習った事がどのぐらい身についているかが重要だってことです。

そう学校教育の学習面での最大の目標は、学習項目をちゃんと理解するということですから、その目標が達成されるのであれば、試験を何回受けたっていいわけです。

そして、ここで先ほどの「宿題がない」ということが出てきます。

宿題廃止は、このようなテストの仕組みとセットになっているからこそ成り立つものです。

ちゃんと日頃から勉強していれば、単元テストも一発で合格できます。でも、単元テストがボロボロだと再チャレンジをすることになりますが、そのためには勉強することになります。だって再チャレンジしても一回目と同じ点数だったら意味ないじゃないですか。

つまり、麹町中学校はかなり自律性を高める教育をしている、ということになります。

教員にとってもいいですよね。

実はこの仕組みは、子どもに主体的な学びの習慣を身につけさせるだけでなく、先生にとっても合理的。宿題をチェックする必要も、小テストを採点する必要もないからです。

小テストも成績に反映されないから自己採点とかなんでしょうね。教員の負担は「単元テストを数パターン作る」というのはあるかもしれませんが、それでも毎日宿題をチェックするよりはるかに楽でしょう。

もちろんそれで落ちこぼれる子どももいるかもしれませんが、どっちにしても落ちこぼれる子はいますから(というのは薄情でしょうか?)。

これは日本語教育機関でも使えますよね。私も韓国の大学にいるときは宿題は出しませんでした。だって、チェック面倒なんだもん。その代わり、テストはしっかりと前もって告知して、良い成績を取りたければ自分で勉強しなさい。そのために必要な教材はあげるし、勉強の仕方は提示するから、というスタンスでした。

学習スタイルについて

画一的な学習方法を子どもたちに強制するスタイルは、問題が多いと感じています。たとえば、こんな議論をよく耳にします。「子どもに電子辞書を使わせていいのか? それとも紙の辞書を使わせるべきか?」 辞書については、麹町中学校では子どもたちに一任しています。メリット、デメリットを説明したうえで「自分に合った方法を選ぶといいよ」と子どもたちには伝えています。

これは全く同意ですね。一人一人の学習者の学習スタイルに配慮することはこれから特に重要になってくると思います。

昔、中学時代の同級生に有岡という男がいたんですが、この男は数学の問題を解くときに途中の過程を全く書かないんです。それでもちゃんと答えを出すのです。

日本語だって同じでしょう。漢字を書いて覚える人もいれば見るだけで覚える人もいる。それをごちゃごちゃいう必要はない。もし相手がアドバイスを望むなら「じゃあ書いてみたら」とは言うかもしれませんけど。

学習スタイルと関連して、おもしろいなと思ったのがこれ。

一斉授業だけで育った子どもたちの多くは、人を批判するようになる

これわかりますか?「おれの数学の成績が伸びないのは、あいつの教え方が悪いからだ」というやつですね。

で、批判云々はさておき、私の経験上も特に中高生の時の学力は担当の先生の能力に大きく左右されるような気がします。人柄なども含めて。好きな先生の授業ではがんばるみたいなことは普通ですよね。

でも、それってどうなんだろう?良い面もあれば悪い面もあります。

今の私の職場の話なんですが、「週3のクラス」というのがあります。みなさんが学習者ならどれがいいいですか?

1)同じ先生が週3回とも授業を担当する
2)違う3人の先生が日替わりで授業を担当する

難しいですよね。素晴らしい先生だったら1)の方がいいけど、もし素晴らしくない先生が毎日授業するのであれば2)の方がいい。「素晴らしいかどうか」は絶対的なものではありません。受け手によっても変わります。「若くて明るい女性の先生」が素晴らしいと思う人もいるだろうし、「授業で話がしょっちゅう横道にそれるおじさん先生」が素晴らしいと思う人もいるだろうし、それは能力だけの問題ではありません。

となると、リスクヘッジの面では2)がいいのかな、ということで私たちは日替わりで講師を変えるようにしました。まあ2)になったらなったで「責任の所在が不明瞭になる」ということもあるとは思いますが、「先生運が悪いせいで日本語の勉強が嫌になった」りしたら嫌ですもんね。授業をする立場としても気は楽ですしね。

まとめ

というわけで、今回は 工藤勇一(2019)『麹町中学校の型破り校長 非常識な教え』SBクリエイティブ をご紹介しつつ思うことを少しだけ書いてみました。

タイトル通り一般常識に照らし合わせると「非常識」なこともたくさん書いてありましたが、教育的にはそんなに「非常識」なことありませんでした。なかなかほかの学校ができないことをやっているなあという感じです。

簡単に軽く読める本ですので、ぜひ一度読んでみてはいかがでしょうか。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です