「良いコンテンツ」は先生の敵か味方か?~「いろどりオンラインコース」に考える

投稿者: | 2021年5月12日

いろどり日本語オンラインコース」がリリースされましたね。

さらっと見て第一番の感想は、

こういうオンラインコースがクメール語にもあればなあ

ほんと、こういうコンテンツで学習できる日本語学習者がうらやましいっす。スマホでも問題ないし、Googleでログインできるし、言うことないですね。今は英語と日本語版しかないけど、そのうちほかの言語版も公開されるそうですし。

さて、2番目の感想はこれ↓。

これ授業でも使えるんじゃないの?

さらっとしか見てないので、元教科書とこのオンラインコースのコンテンツの違いを断言できませんが、教科書と同じ作りになっている印象です。自習を想定して作られているので、当然音声も入っていますし、問題の答えも出るようになっています。仮にクラスで「いろどり」を使った授業をするとしても、これを使えば

わざわざ自分でスライド作らなくても良くない?

と思ったんですけど、今日はその話です。

※2021年5月17日 追記
↓ で任意のビデオに簡単にアクセスできますね。授業的なものでも使いやすいと思います。

また、カンボジアではいろどり初級1のスキット動画を公開しています。今はまだ一覧性がないので使いにくいですが、今後に期待です。

楽はいいのか悪いのか

「いろどり」は基本的にCandoを一つずつこなしていく感じなんで、前から順番にやっていったらそのCandoが達成できるような体裁になっているんですよね。だから、授業やる人は非常に楽だと思います。文法の説明なんかもあるしね。

もし私が授業をするとしたら、まずスライドを作ります。音声ファイルを埋め込んでおいて、問題の答えもアニメーションで出てくるようにするでしょうね。あとは教科書に沿って進めるだけです。

でもこのオンラインコースがあればスライドを作る手間も省けます。どこで躓きそうかな?というところだけチェックしておけばいいですね。いや~これはらくちんだわ…と思うんですが、おそらくこう考える人もいますよね?

楽していると思われないか?

んーこれは一理ありそうです。だって今このオンラインコースを使って一斉授業するところを想定してください。学習者の立場からすると、それを家でやってもいいし、先生いなくてもいいよね?と思う人だっているかもしれません。だから、教師の中には、

楽していると思われたら困るからスライド自分で作っとくか、そのほかのイラストとかも入れたりして。

と思う人もいるかもしれません…でもそれ、なんかもやっときますよね。「ちゃんとやってるぞ」「手を抜いてないぞ」というアピールをする必要が本当にあるのか、ということです。

ちょっと二つのケースを考えてみましょう。

1)先生が完全自作の手作りコンテンツで日本語の授業をしてくれる
2)先生ができあいのコンテンツを使って日本語の授業をしてくれる

どっちがいいですか?これ結構難しいと思うんですよね。合理的な人は1)でも2)でも「とにかく日本語がうまくなれば良い」と思うでしょう。でも合理的であるほど、2)の場合、そのコンテンツが個人的にアクセス可能なものであれば「じゃあ自分で学べばよくない?」と思ってしまうかもしれません。

別にこの問題に答えはありません。難しいっすね、という話です。

まあ、誤解なきよう申し上げておきますと、先生の機能は「うまく教える」だけではないのは当然です。例えば私はクメール語の授業を受けてますけど、その授業を受けることによって「定期的に学習時間が確保できる」ということも大きいと思っていますし、「このクメール語は通じますか?」とか「この翻訳はこれでいいですか?」みたいな今の技術ではなかなか機械ができないことも教えてもらえるのも生身の先生に習う利点だと思っています。

動画を一緒に見る授業はだめか?

私の知り合いに、個人である外国語を教える人がいまして、その人に教え方についてアドバイスを求められたことがあります。で、どんな授業しているの?と聞いたら、その人が作ったスライドを見せてくれました。

努力して作っているのはわかるんですが、ほとんど画像の切り貼りなんですね。で、どうやって作ってるの?と聞いたら、「Youtubeにその外国語の講義動画があって、そこから拝借している」とのことでした。

で、その元動画というのを見せてもらったら、結構普通にわかりやすいんですよね、そのYoutubeの中の人。そこで私は、

「じゃあ、スライド作らないで、学習者と一緒にこの動画を見たらどうですか?」

と提案したんですが、

「受けている方はそんな授業嫌なんじゃない?」

と返されました。うむ。

でもですね、結局自作のスライドを使っても、話すことと講義の進行はそのYoutube動画に準拠しているわけです

みなさんはどう思いますか?私の考えはこうです。

できあいの動画は、うまく講義をやっているかもしれないけど、実際の学習者はその説明では理解できないかもしれない。また発音とかは「それで通じるかどうか」みたいなフィードバックは必要。だから、ともに動画を見つつ、適当なところで動画を停止して説明を補足したり、また練習問題のときも動画を止めて一緒にやってみたり、そうすれば最強の授業になるんじゃないか。

その人は、私の考えに対して、

「私が学習者だったらそんな授業嫌だ」
「お金を払っている意味がないと感じる」

という意見でした。

これはどっちが正しいとかではありません。

現実問題として、「その人」が学習者だったら私のようなやり方は「嫌だ」と感じるんですから、私はごり押しできません。「その人」のような学習者がいることを無視するわけにはいきません。

もし「その人」が私の学生だったら、私はすぐにクビでしょうし、学校だったらクレームが入るでしょう。

まとめ

今日は特に結論めいたものはありません。問題提起に終わる感じです。

ただ、前も書きましたけど、徐々に教師の役割は「教える」から「裏方的」なものに変わってくる流れは変わらないと思います。今の時点ではその両方が混在しているとは思いますが、うまく時代の流れや学習者のニーズを見ていく必要がありますね。

日本語教師の未来は個別対応⁉

まあ、それは昔も変わらないわけですが。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です