「一生」の新しい?用法

投稿者: | 2021年8月26日

先日「はてなブックマーク」で紹介されていた記事を読んでいた時のことです。

コロナはめちゃくちゃ怖いよという話 (文系大学生のギター日記)

「Covid-19にかかった人の体験記」なんですけど、その文章の中に以下のような表現がありました。

熱が下がってから3日経てば感染の心配はなくなるらしく、それまで病院で過ごす。最終日にやっとモニターも外れる。そのまま退院。結局声は一生出ないままだった

「声は一生出ないままだった」と読んだときには、「一切」の打ち間違いかな、と思いました(一切でも変ですけど)

まだ存命の人が自分のことを「声が一生出ないままだった」と言えるわけがありません。とにかく私は前後の文脈から、「入院中はずっと声が出なかったが、退院した今は出る」と解釈しました。

打ち間違いなんてしょっちゅうありますから、その時はさほど気にも留めなかったんですけど、はてなブックマークのその横に以下の記事がありました。

若者の間で「一生」の意味が変化してる?

↑見てもらえればわかりますが、とにかくこの記事を書いた人も私が上で紹介したコロナにかかった人の記事を読んでびっくりしたのだそうです。

まさか、と思ってTwitter界隈で聞いてみますと、どうやら若い層の間では普通に使われる表現である、ということが判明しました。

「そんなの結構前から使ってる」という話もありましたので、若い方々、また日本在住の方々にとっては普通のことかもしれません。でも、私は知らなかったので、とってもびっくりしました。

ネット上で検索すると、この用例は見つかるんですが、用例の変化についての考察はあまりありませんでした。今日はこの「一生」の新しい?用法を考えてみます。

旧用法

まず、ここで取り上げるのは「一生」の副詞的用法です。伝統的には、というか私の知っている用法は以下のようなものです。

※あ、用例はTwitterからです。一つ一つ出典は書きませんけど、コピペして検索すれば元のツイートが出てくると思います。

1)僕の気持ちなんてただ一つ、君と一生一緒にいる事。
2)この人と結婚できなかったら俺は一生後悔する
3)電験3種は取れれば一生食っていける資格なんですけど
4)ドレス大好きなのに一生ドレス着る機会なさそうなの悲しい
5)体で覚えたことは一生忘れないから。

この1)~5)の「一生」は、各種動詞と共起し、「死ぬまでずっと」その動詞が表す行為や状態が継続する、ということを表します。

以下のように「死ぬまでずっと」と置き換えることが可能です。

1)’ 僕の気持ちなんてただ一つ、君と死ぬまでずっと一緒にいる事。
2)’ この人と結婚できなかったら俺は 死ぬまでずっと 後悔する
3)’ 電験3種は取れれば死ぬまでずっと 食っていける資格なんですけど
4)’ ドレス大好きなのに死ぬまでずっとドレス着る機会なさそうなの悲しい
5)’ 体で覚えたことは死ぬまでずっと忘れないから。

そういえば昔、

♪一生一緒にいてくれや~

という歌がありましたよね。

新用法

一方、私が知らなかった新用法の用例は以下の通りです。

6)3連休なのに逆にやることなくて一生寝てる
7)(ネットへの接続がうまくいかず)一生再接続してたし雑音だらけだし悲しい
8)明日は一生バイトがあるから、嫌だなぁ

6)~8)の用例は、上で書いた旧用法では解釈ができません。もし「一生」を「死ぬまでずっと」と置き換えると、意味の取れない文になります。

6)’ 3連休なのに逆にやることなくて死ぬまでずっと寝てる*
7)’ (ネットへの接続がうまくいかず)死ぬまでずっと再接続してたし雑音だらけだし悲しい *
8)’ 明日は死ぬまでずっとバイトがあるから、嫌だなぁ*

6)’ は「寝る」のは「3連休」の間だけですし、 8)’ においても「バイトがある」のは「明日」だけの話です。それよりも時間的に長いと考えられる「一生」=「死ぬまでずっと」と解釈できないのは明白です。

また 7)’ では、特に「再接続してた」期間が指定されてはいませんが、「死ぬまでずっと再接続していた」と解釈したとしたら、その行為主体はもう死亡していることになります。死んだ行為主体が過去を回顧して話すことはできませんので、ここでもその解釈はできません。

って難しい言い方しましたけど、要は新用法では「一生」=「死ぬまでずっと」のうち「死ぬまで」が抜け落ちて「ずっと」の意味として使われているということですね。ただし、それならわざわざ「一生」などという言葉を使う必要はありません。わざわざ「一生」という言葉を使った場合には、「一生」=「死ぬまでずっと」のうちの「死ぬまで」の部分が違うニュアンスとして残っていると考えるのが自然です。

「死ぬまで」というのは一人の人間にとってはある意味最大の時間的長さなわけですから、「相当長い」というのは間違いありません。ですから新用法での「一生」も単なる「ずっと」よりも更に長い時間をあらわす表現であると考えられます。

まとめますと、「一生」の新用法は、時間的に幅のある動詞と共起し、明示的に指定された期間の間、もしくは常識的に推察されるある一定期間の間において、極めて長い時間その動詞の表す行為や状態が継続するということを表すと言えるのではないでしょうか。

その「極めて長い時間」というのは「時間的に」というよりは「心理的に」長いものであることが多いでしょう。というのは、例えば、

8)明日は一生バイトがあるから、嫌だなぁ。

この用例の場合、「バイト」が継続するのは最大で「明日」が終わるまで、つまりどんなに長くても24時間です。しかし常識的に20数時間もバイトが継続するとは考えられません。せいぜい朝から晩までくらいの期間でしょう。それでもそれを話者が「極めて長い期間である」と認知すれば、それは「一生バイトがある」と言うことができます

さきほど

♪一生一緒にいてくれや~

の歌を思い出しましたが、この場合の「一生」には主観が入る余地がありません。「一生」というのは「死ぬまでずっと」ということであり、もしこの男性が死亡する前に「やっぱ別れて」などと言おうものなら、

ウソつき!

と罵られてしまうのです。

曖昧な境界

つまり二つの用法をまとめて比べますと、

旧用法は、(その人にとって)物理的に最大時間継続することを表す
新用法は、(ある一定の間)心理的に最大時間継続することを表す

ものであると定義づけることができます。

なるほど、うまい棲み分けが出来ているもんですね。しかしですね、その二つの用法は截然と分けられるものでもないという例もあります。例えば、

9)国語の意味調べとか一生終わらない

という用例があります。これがもし「学校の国語の宿題で出た意味調べ」のことであれば、おそらく新用法であると判断できると思うのですが、もう少し哲学的な背景を持った発言であるとすれば、旧用法かもしれませんよね。

もっとわかりやすい例を出しましょう。

10)声がいい、一生聞いてられる

10)はどちらでしょうか?一般的には旧用法として解釈できるでしょうか。もちろんその「一生」は比喩的な意味でしょうけど、「死ぬまでずっと聞いていられる」わけです。ちなみに私はアンサリーさんという歌手の歌声が好きで、まあ比喩的な意味ですけど「一生聞いていられ」ます。

しかし、発話者の発話意図によっては、それが「カラオケボックスにいるくらいの時間の間ずっと」かもしれません。新用法が生まれてしまった以上、それは発話者の発話意図や文脈を探ることによってしかわからないということになります。

11)「突発難聴一生治らんから違和感覚えたらすぐ病院いけ!」

私が11)の発話を聞いたら「死ぬまで治らないのか?まずい!」と思うと思いますが、もしかしたら新用法と解釈して「1週間くらい」なのか?と甘く見る若人が出現する可能性もあります。

極めつけはこれで、

♪一生一緒にいてくれや~

と言ったあとで、

「3年くらいを想定していたんです」

というエクスキューズが成り立つということも…

まあ、その境界があやふやなあたりが、新用法を生み出す隙を作ったのでしょう。

10)で、「一生聞いていられる」の例を上げたとき、それを「比喩的な意味」と説明しましたが、「一生」=「死ぬまでずっと」の比喩的用法が、新用法を生み出したとも言えるかもしれませんね。

日本語学やってる学部生の人、これで卒論書けるんじゃないでしょうか?

まとめ

というわけで、私がびっくりした新しい用法の「一生」について簡単に見てきました。もう一度まとめますと、

旧用法は、(その人にとって)物理的に最大時間継続することを表す
新用法は、(ある一定間の間)心理的に最大時間継続することを表す

という違いがあるということです。また他の違いとしましては、新用法は、「明日」とか「来週」とか「学生時代」のような語と共に使うことによって、

最大時間を任意で設定できるということ

ですね。旧用法は任意で枠を設定はできず、使った時点で「今から死ぬまで」という時間枠が自動で設定されます。

まだこの現象について書きたいことは山ほどあるんですが、それはまた別の記事で。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です