※これはカンボジアの教育機関での話です。あくまでも授業形態だけの話で、渡航するとか、そういう話ではありません。
2021年の5月に以下の記事を書きました。
内容をざっくり言うと、「どうせオンライン授業やらないといけないんだったら、そのよい点を上げていって、気持ちよくやりましょう」という話でした。
これに関連しまして、最近職場の学習者にとったアンケートの結果がおもしろかったので、それをもとに一つ記事を書いていこうと思います。その概要については↓Twitterの投稿をご覧ください。
職場で来学期の授業形態(オンラインかオフラインか)について、学生にアンケートを取った。
— さくま しろう(佐久間司郎) (@shirogb250) February 5, 2022
結果、オンラインを望む声が多かった。まあ、オンラインで既に授業を受けている人のみが対象だからだろう。
面白かったのは、それぞれの理由。大まかに言うと、オフラインでの授業を望む人の理由は、続)
「楽しい」「よく学べる」「理解しやすい」という、授業の「内容面」に関するものだった。
— さくま しろう(佐久間司郎) (@shirogb250) February 5, 2022
反面、オンラインを望む人の理由は、「時間に余裕ができる」「通う時間がない」「楽だから」という、授業の「環境面」に関するものだった。
つまり学生たちは、全く違う側面から、それぞれの形態を 続)
支持していることがわかる。
— さくま しろう(佐久間司郎) (@shirogb250) February 5, 2022
•••以上の結果から、何か考察をしたかったけど、うまくまとまらないのでここまでにしときます(笑)
というわけで、オンライン授業を望む層と、オフライン授業を望む層はそれぞれ違う話をしているということがわかります。ここではTwitter上で不十分だった考察をしてみたいと思います。
そもそも対立概念ではない
私の問題提起の仕方が誘導的だということもありますけど、大前提として、オフライン授業とオンライン授業は対立概念ではありません。言ってみれば単なる「条件」や「環境」です。
説明しよう。
例えば、あなたはいつも設備がしっかりと整った教室で授業をしています。教室では高速Wifiを教師も学習者も利用でき、もちろんプロジェクタも、スクリーンもPCも完備されています。そんなあなたが違う学校で授業をすることになりました。そこには椅子と机とホワイトボードしかありません。さて、どうする?
答えはいろいろあるでしょうが、普通は「その環境に合わせた授業をする」ことになると思います。
もしあなたが「お坊ちゃまくん」くらいの富裕層の子弟であるならば、教室にWifiを引き、プロジェクタやスクリーン、PCを設置し、学習者全員にはiPadを支給し、かつ出席者には毎回100万円のお小遣いを上げられるかもしれませんけど、普通そんなことはできません。
大体の人は、与えられた条件や環境で授業をすることが求められます。オンライン授業もオフライン授業もその条件の一つに過ぎないわけです。
「スクリーンがないなら、紙にプリントして資料を渡す」
「スピーカーがないなら、学習者各自のスマホで音を聞いてもらう」
そんなことは今まで普通にやってきました。それが単に、
「対面授業が禁止されているから、オンラインで授業をする」
に変わっただけの話です。大袈裟に比べる必要はないわけです(いや、比べたのは私か)。
「スクリーンがない部屋では授業をしたくない、受けたくない」
「スピーカーがない部屋では授業をしたくない、受けたくない」
と言っても意味がないから、教師はそれぞれ工夫をするわけですよね。そして学習者もその工夫を受け入れてきたわけです。それとおんなじことを今世界中でやっているわけですけど、「オンラインとオフライン」のギャップは「スクリーンのあるなし」「スピーカーのあるなし」よりも落差が大きいため、「私はオンラインが好きです/嫌いです」という話になるのであろうと思います。
つまり、オンラインかオフラインかは単なる条件や環境の違いであり、対立概念ではないということはご理解いただけるかと思います。
オンラインへのシフトが合理的?
で、上の話を受け入れてもらえたとしたら、オンラインかオフラインかは特別な問題ではないということであり、そうであるならばそれぞれの条件に合わせたそれぞれの歩み寄りの努力が必要になるということになります。
しかしここで一つ大事なことに気づくんですが、それは「オンラインはオフラインに歩み寄れる余地があるけど、オフラインはオンラインに歩み寄れる余地はない」ということです。
説明しよう。
最初の学習者に対するアンケート結果をもっとざっくり解釈すると、それぞれの長所は、
オフライン授業…授業の理解度向上
オンライン授業…通学が容易
となります。となると、オンライン授業を望まない人にオンライン授業を受けてもらう場合、教師は「授業の理解度向上」を目指すことになります。でも、オフライン授業を望まない人にオフライン授業を受けてもらう場合には、努力のしようがないのです。だって、教師の努力で学習者の通学時間は短縮できませんから。
もちろん、もしあなたが「お坊ちゃまくん」並みの富裕層の子弟であるならば…(以下省略させていただきます)。
冒険家の方も↓のように返信してくださいました。
オンライン授業のデメリットとなっている内容面はいくらでも改善できると思いますが、オフラインのデメリットとなっている環境面は改善が難しそうですね。(通学をやめるには先生に来てもらうしかないし)
— Yoshifumi Murakami 「ハナキン」の中の人 (@Midogonpapa) February 6, 2022
というわけで、理屈としては、あくまでも理屈としてはですよ、オンライン授業の方が可能性があると言えるのはご理解いただけるかと思います。オンライン授業をする人は、何も考えずに「授業の理解度の向上」とか「学習者間のコミュニケーションを活発にするには?」とか、そういうことだけを考えて発展していけばいいだけです。まあ、それが難しいわけですけど、努力の方向としてははっきりしていますね。
語学はオンライン向き
あと、業界のことだけを考えているとなかなかそういう考えに思い至らないかもしれませんが、外国語学習は非常にオンラインとの相性が良い活動だと言えると思います。
例えばあなたは、「サッカーの指導者」です。「ヴァイオリンの先生」です。「書道の先生」です。という場合を考えてください。また逆でもいいです。それらを習っているとしてもいいでしょう。
おそらくそういうジャンルの人たちもオンラインでいろいろやってきたと思われますが、それに比べて「外国語の先生です」は比較的楽だと思いませんか?
だってインターネットというもの自体、通信を前提としており、通信には言語が使われるからです。そもそも言語はインターネットで我々が毎日毎日消費しているものですから、それをその本場で習うというのは方向性としては間違っていないはずです。特に読み書き(手書きは別として)などの活動には、オンラインの不利な点など何一つないでしょう。
私はずっと1対1でクメール語の授業を受けてきました(1年半ほど)。始まった時がコロナの全盛期だったのでオンラインで始めたんですが、途中でオフラインに転換も可、という通達がありました。しかし私はオンラインで継続をしました。
この場合、先生は自宅まで来てくれることになっていたので、私の通学への時間的損失はありません。金銭的負担も同じです。でもなぜオンラインを継続したかというと、特に学ぶことに支障がなかったからです。オフラインになっても、その学習効果には変わりはないだろうと判断したからです。
まあ個人レッスンだからそうかもしれません。それが1対2、1対3…1対20とかになったらまた違う問題は出てくるかと思いますが、とにかく私の感覚としては1対1の授業はオンもオフも変わらないというものでした。
学習者側にも求められるリテラシー
最初の調査は学習者に対して「オンがいいかオフがいいか」と尋ねたものでしたが、オフライン授業を望む学習者のコメントを読みながら、「あちらさん(学習者)にも努力が求められるのではないか?」と思いました。
例えば、一時期すごく話題になった「学生がビデオONにしてくれない」という問題です。例えば呼びかけて質問をしても学生から反応がないときがありますよね。ビデオがoffになっていると、発言しているけどミュートになっているのか、何か考えているのか、その場にいないのかそれが教師側からは全く分かりません。別にわからなくてもいいけど、それは本人にとっては損なことなんじゃないかな、と親心としては思うわけです。
だって、学生はミュートになっていると気づかずに、渾身の答えをしているかもしれないわけですよ。それを先生は「〇〇さんはいないみたいですね。じゃあ、〇〇さんどうぞ」って、誰損かっていうと、本人損ですよね。
まあ、それは卑近な一つの例に過ぎません(ビデオの問題はこれだけ世界中でみんなonにしてくれないとなると、リテラシーというか人間の本質にかかわる問題だとは思います)。ただ、この問題だけではなく、学習者諸君にも「じゃあ君は授業の理解度を高めるため、コミュニケーションの密度を上げるために努力しているの?」と聞いてみたいな、とは思いますね(特に成人学習者には)。
少なくとも、教師である人が学習者になるとき(セミナーなど?)にはそういう受け手の態度を改善していくことは、誰のためでもなく、自分のためにも必要だと思います。
まとめ
なんか、私が超「オンライン推し」みたいになってしまいましたが、そういうこともありません。私はオンラインでもオフラインでもどっちでもいいです。そもそもそれらは対立概念ではないと私は言っていますし、状況や環境に合わせて求められること、ベストなことをやるだけです。
方向性としては前書いた記事と同じで、「どうせオンラインで授業をやらないといけないなら、良い点を考えて、がんばってやりましょう」ということですね。
あと、最後に私が違和感をよく感じる発言があります。オンラインでのイベントの開催の時に「オンライン開催は価値が下がる」というニュアンスを含んだ挨拶がしばしばおこなわれるんですよね。
「今回は不本意ながらオンラインでの開催となりましたが…」
「来年こそは現地でお会いできることを祈って…」
みたいな?「いやいや、私はオンラインだから参加できたんですよ」って思ったりします。
そういえばTwitterで見た話ですけど、天気予報を生業にしている?人が「私は雨が降ることを悪い天気とは言わない。なぜなら雨が降るのを心待ちにしている人もいるのだから」というようなことを言っていました。それと同じですよね。
良いか悪いかは私が決めますんで。