『私たちはどう学んでいるのか』②基礎から応用?

投稿者: | 2023年5月11日

『私たちはどう学んでいるのか』①スキルとしての言語

↑からの続きです。↓この本を読んで思ったことを、つらつらと書いています。今回は2回目。

鈴木宏明(2022)『私たちはどう学んでいるのか―創発から見る認知の変化』筑摩書房

問題は「学校」にはない

「学校での教育での問題には必ず答えがあるが、社会に出ると答えがない問題が山ほどある」

こういう言い方はよくすると思います。この本でもそのようなことを考えています。

問題は自分で創発させなければならない、正解はあるかどうかわからない、答えを知っている人も(少なくとも周りには)いない、そうした学校とはまったく異なる場面が私たちの日常を形成している。(p.146)

しかし、言語教育の場合はどうなるんでしょうか。正解があるっちゃありますよね。特に初級の場合は「こういう場合はこのように言う」ということを練習するのがほとんどでしょうから。なんて考えながら読み進めていたら、この問題と関連して↓のような言明がありました。

学校で通用する「基礎から応用」という前提は成り立たない場面があるのだ。自分で創発させた問題の解決を目指し、自分の認知的リソース、環境のリソースを揺らぎながら探索していくしかない。(p.147)

「基礎から応用という前提は成り立たない場面がある」これはまさに言語教育と関係があることですね。ちょっと考えていきましょう。

基礎から応用

私は今中国に住んでいます。中国語の学習も行っているのですが、初級はやはり基本的な、身の周りのことから勉強します。「月曜日」とか、「食べます」とか、「一緒にいきましょう」とかそういうやつですね。

で、先日ある学術的な会議に出席したんですが、発表はすべて中国語です。私は聞いているだけでしたが、やはり難しい。漢字の助けもあるからスライドを見るだけでどんな話なんだろうなということくらいは想像はできますが(できないものもある)、それでも話す内容はちんぷんかんぷんです。誰も「月曜日にしましょう」とか、「好きな食べ物は何ですか」とか、「では、一緒にバスで行きましょう」とか学術会議の発表で言いませんから(笑)

外国語学習は、私の場合は実利(コミュニケーションをとる)のためにやっています。でも基礎から始めて実利を得るまでに達するには気の遠くなるような時間がかかるのです。もちろん、毎日学術会議に出るわけではありませんからそこそこ実利も得られているという面もあるんですけど、そもそも基礎から積み上げていくっていうやり方が語学教育にとって正しいのか、ということはもしかしたらもう一度検討を要することかもしれません

「受容」は初めから手加減なし?

上でも述べたように、私たちが外国語を使って目にする、耳にするものは「手加減をしてくれない」のがデフォルトです。もしかしたら、わからないそぶりを見せたりしたら、会話相手は手加減をしてくれるかもしれませんが、それはラッキーなだけで、役所に行っても店に入っても、そんなに大幅な手加減はしてくれませんし、そもそも文書になっているものとか、街中の看板とかはネイティブの言語話者を対象に書かれています。

そういうことを鑑みると、もしかしたら「受容的な能力の育成の方は本物を使った方が良いのでないか?」という考えも出てくるかと思います。

イマージョン教育とかそういうのは別として、普通外国語学習で使われる読み物、聞き物(こんな言い方ありましたっけ?)は初級のうちは学習用に語彙や文法、スピードなどがコントロールされているのが普通です。みんなの日本語の一冊目で習う内容だけで解読できるような文書なんて普通はありませんし、「〜んです」を使わない会話も普通はありません。

でもその「普通はない」という中で、聞き取れる単語や表現という「取りつく島」を見つけて、あとは文脈や場面をヒントに相手の言いたいことを推測する、というのが外国語レベルが低い時のコミュニケーションの取り方です。初級とかだとみんなそうなるものだと思います。

先日、アパートの広場で子供たちが遊ぶのを見ていたら、急に現地の知らない人に声をかけられました。私が聞き取れたのは「超市(スーパー)」という単語だけでしたが、場面上「スーパーの位置を聞いているに違いない」と思い、「あそこですよ」とスーパーのある方向を指差してあげました。その人はそちらに向かい、帰ってくる時はスーパーの袋を持っていたのできっと私の推測は当たっていたことでしょう。

別に主張したいわけではありませんが、そういう習い方があってもいいんじゃないでしょうか。つまり最初っから手加減のない読み物や聞き物に接するというやり方です。だって普通の環境はそうなんですもん。

仮にリライトされたものを段階を追って少しずつわかるようになったとしても、それは例えば算数で足し算ができるようになっただけの話で、それは小学生低学年にとっては意味のある成長ですけど、実際のコミュニケーションで言うとあまり意味をなさないのではないでしょうか。そういうやり方で引き算、掛け算、割り算までできるようになると、そしたら日常生活の計算には大体事足りるようになるわけですけど、その引き算を覚えている過程でも二次方程式を解かなければならない場面に出くわすのが外国語なのですから。もちろん「お勉強」としての外国語学習なら少しずつ段階を上げていくのもアリでしょうが。

あ、ちなみに「受容的な能力の育成の方は本物を使った方が良いのでないか?」と言いましたが、そこでなぜ受容的な能力だけに限って話しているかと言うと、産出はやっぱ段階が必要だからです。私がスーパーの位置を聞かれて「あそこです」と答えるのが精一杯だったように、いくらスキーマを活性化させて、推測をフルに使っても、知らない単語は話せませんから。やっぱ話したりするのは、ある程度順を追って練習する必要があるのではないかと思います。

環境も込みで

私が件の「スーパー」の件でコミュニケーションが取れたのは、文脈のおかげでした。場面上、それ以外に私に聞くことはない、と私が判断できたからです。逆に言うと、同じテキストの内容を文脈なしで聞かれたら、私はその人に適切な答えはしてあげられなかったと思います。

…とここまで書くと、違和感に気づきます。そもそも文脈のないやりとりって何?文脈なくスーパーの位置聞くとかありえないから、と思いませんか?つまり、外国語はそのテキストの意味だけではなく「環境」も込みで考えないといけないということです。

しかし、語学教育の多くは教室でおこなわれることもあり、文脈や場面が独立しているのが普通です。

学校教育で行われているテストは、知性の重要なパートナーである環境を剝奪することが前提となっている。(中略)環境のない状態で働く知性が、サポートのある場面では必要ないこともあるだろうし、サポートなし環境に備えた努力(特にテストのための一夜漬けの勉強)はさしたる意味がないことも多いと思う。(p.149)

この著者もこのように言っています。外国語だけではなく、すべて環境がセットになっているのに、その環境を無視したような教育に疑問を投げかけています。

人の知性は環境を前提として組み立てられている。環境に働きかけ、そこから情報を得て、そこからまた考えて再度環境に働きかけるというサイクルの中で知性は発現するのだ。(p.148)

例えば、外国語の試験も何も見ないで問題に当たる、というのが普通ですよね。でも、実際私たちが外国語を使う場面ではそんなことはありません。特に私はそうですけど、メールやテキストメッセージを外国語でおくるとかいう場合には、だいたいさまざまなツールの助けを借りています。いや、日本語で何か書くときもそうかもしれません。四文字熟語の意味の確認とか、あまり使い慣れない語のコロケーションなどは調べたりすることもあります。

そういうことを考えると、ミクロな視点からは「テストのやり方を変えていかないといけない」と思いますよね。

もちろんそのテストで何を測りたいのかによるとは思いますが、何の助けを借りてもいいから何時何分までに◯◯について書いた作文を提出のこと、とかですかね。なんか、昔のウルトラクイズみたいですね。知人に電話したり、本を調べたりして◯か×かを決めていましたね(笑)

やはり話は戻る

っていろいろ見てきましたが、結局話は前回私が書いたところに戻るような気がします。すなわち、

言語をスキルとして見るか、お勉強として見るか

「お勉強」として見るのであれば、

・基礎から応用に向かっていきましょう
・テストでは持ち込みは禁止です

でいいんですよね。そしてそれに沿っていればそのうち知識が増えていって、それと同時にスキルとしての外国語力も高まってくると。

でも、もしスキルとして見るなら、

・外国語の海が基本で、しがみつく藁を少しずつ厚くしていく
・使えるものは何でも使ってタスクを達成する

みたいなやり方になるのかもしれません。

まあ、別に二者択一ってわけではありませんし、その橋渡しをするように「行動中心アプローチ」とか「タスクベース」とかそういうのもじわじわ一般化されてきていますからね。

で、肝心なことはこの下敷きにしている本がそもそも「教育全般」について書かれていることなんですよ。

つまり「そもそもお勉強」として扱われている内容について、

・基礎から応用に向かっていきましょう
・テストでは持ち込みは禁止です

これでいいのか?と問うているのです。

ですから、少なくともスキル的側面のある語学教育はもっとその辺りに疑問を持ってもいいかもしれません

↓続きです。

『私たちはどう学んでいるのか』③スモールステップと目線の先

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