私の仕事の一つは日本語教授法についての研修をおこなうことです。今は中国にいますから、中国で日本語を教える方々に対して講義やワークショップをしたりしています。
試行錯誤の連続なんですけど、何回もやっていれば要領というものができてきます。また自分がおこなう研修というものについての考え方というのも少しずつ形作られていきます。また、こういう研修ができたらいいなあという理想像も見えてきます。
今日は非常に抽象的な話になると思うんですけど、研修というものを企画するときの入り方、考え方について思いついたことを記録しておこうと思います。テクニカルな話ではなく概念的なざっくりした話となります。しかしもしかしたらこれは、日本語教育業界だけじゃなくて全ての研修や授業的な活動についての示唆も含んでいるかもしれません。
3つの輪
細谷功(2022)『見えないものを見る「抽象の目」 「具体の谷」からの脱出』中公新書ラクレ
先日↑の本を読んだんですが、そこででてきた「3つの輪」という概念を紹介します。
これはp192、図55よりの引用です。人の知識のあり方を模式的に表したものです。
①「既知」の部分は「知っている」こと
②「既知の未知」の部分は「知らないと知っている」こと
③「未知の未知」の部分は「知らないことすら知らない」こと
原理的に全ての人の知識は以上のようになっているはずです。大きさとしては③が最も大きく、その大きさは無限とも言えるでしょう。まあそれはともかくこの①〜③の概念を利用してどういう研修をおこなうかを考えていきます。
参加者の既知・無知を想定する
研修参加者が複数いると仮定しましょう。参加者一人一人の知識や知性のあり方は違いますので、どこまでみんな知ってて、どこからみんな知らないなどといったことを想定することはまず無理ですが、その集団の性質がある程度理解できていたら、「あたりをつける」ことは可能だと思います。
では、その過程は省略して、ある程度参加者全体の既知・無知レベルを想定できたと仮定しましょう。
「①」つまり「参加者が既知のこと」を研修に組み込んでもしょうがありません。そう思いませんか。貴重な時間を割いて出たセミナーで、自分が既によく知っていることについて講義されたらそれはおもしろくない。ですから必然的に研修では②とか③のことを扱う必要が出てきます。
しかしそれって結構難しいことですよね。そもそも講師である私だけが一方的に知っていて、参加者は全く知らないことってそんなにありますかね?参加者の属性次第ではそれもあり得るかもしれませんが、私が日常的におこなっている研修ではそれはあまりありません。だってほとんどの参加者は現役の日本語教師なんですから(職歴10年、日本語教育学で修士持ってますとかいう人もいる)。
となると、「②参加者たちが知らないと知っていること」か「③参加者たちが知らないということすら知らないこと」をコンテンツに据えないといけないわけですが、②はまだしも③の研修って難しい。
そこで私がこの「3つの輪」という概念を出発点としておこなうべきなのは、以下の3つの種類の研修じゃないかなと思うのです。
1.5の研修(参加者の既知と無知をつなげたことを扱う)
2の研修(参加者が無知であろうことを扱う)
2.5の研修(参加者が思いもよらないことをちょっと扱う)
察しの良い方は想像できると思いますが、以下それぞれについて述べます。この3つの枠を意識して研修内容を企画するというのはどうでしょうかという提案(そして自分への整理)です。
1.5の研修(参加者の既知と無知をつなげたことを扱う)
上でも述べましたが、研修で参加者がよく知っていることを講師に得意気に話されてもそれは困るだけです。しかし、初心者対象の研修ならともかく、ある程度その分野についての知識のある参加者を対象にする場合には「講師はよく知っているけど、参加者は全く知らない」ことはそんなになかったりします。
そこで1.5の内容を取り扱います。これは基本的に既知だけど、そこから発展する話は無知の領域に足を突っ込むことになる種類の内容です。
例えば最近私が取り上げたものだと「音読」です。音読について知らない教師はいないと思いますし、授業でやったことがある人も多いでしょう。そういった意味ではこれは参加者の知識として「①既知」に属しますから話しても意味はない。
しかしそこで「音読は何のためにやるのか」「どういう効果があるのか」「どうやったらおもしろく活動を展開できるのか」などの内容を組み合わせればそれは全くの①既知事項にはなりません。特に私の場合は「具体的な教室活動」という点に他者より強みを持っていると認識していますので、そのあたりを強調することになります。
というわけで参加者の既知をベースにするけれども、そこに付加的な価値(未知のこと)をつけてやれば研修として立派に機能するということです。
もっと簡単なことを言うと、例えばインプットの重要性はどんな参加者も知っていますよね。でもそこで例えば簡便に使える「音声合成ツール」などの紹介などをした場合、それが1.5として機能することもあります。これは実際に感じたことですけど、私たちが日常的に使っている音声合成ツール(例えば「音読さん」とか)などを現場の先生たちは知らなかったりします。紹介すると「これはすごい。ご紹介いただきありがとうございます」と言われることも珍しくありません。
↑は極端な例ですけど、要は参加者の既存の知識にちょっと+をするだけでも1.5の研修として意味があるものになるということです(逆に言うとちょっと+できなかったら意味がない)。
2の研修(参加者が無知であろうことを扱う)
大抵私の研修は1.5になることが多い。まあ誰がやってもそういう研修になることが多いとは思いますが、時として参加者によっては「2の研修」が成立することもあります。
②は「知らないと知っている」に属する部分ですから、参加者は「その概念は知っている(聞いたことある)けれども内容については詳しくない」とかそういうことを扱うことになります。
近年で言うと、ChatGPTをはじめとする生成AI関連の研修などの多くはそのカテゴリーに属したのではないかと思います(まだそれほど教育界に一般化される前ってことですね)。
私も例に漏れずChatGPTを扱ったことがあります。もう1年くらい前ですけど、中国の中等教育段階で日本語教育に従事する先生たちを相手に「ChatGPTでテスト問題を作る」というデモンストレーションをしました。教えるというよりは「こういうことができるんですよ」というのを見せただけです。
やる前は受け入れられるかドキドキしましたけど、反応は上々でした。これは研修対象者が「中国内にいたこと(生成AIの普及が他国に比べ遅れた)」「中等教育の先生が主だったこと(あまり授業でICT利用ができない/しない)」が理由だと思いますが、参加者たちの「②既知の無知」をピンポイントで触れられたのではないかと思っています。
また、最近だとやはりまた中等教育の先生たちを相手にコーパス関連のワークショップをしたんですが、これもその「②既知の無知」の範疇をつつけたと思っています。もしこれが大学の先生相手だったらまた違っていたかもしれません。①か②か③か(既知か無知か)ってのは、当然ですけど参加者がどういう層なのかによって変わるもので、コンテンツ自体を絶対的に評価できるものではないということですね。
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2.5の研修(参加者が思いもよらないことをちょっと扱う)
三つ目は2.5の研修です。
「③知らないことすら知らない」という枠組みはどうしたんだ?という話になろうかと思いますからそこから話を進めますが、「③の研修」を実行するのは非常に難しいのです。なぜならば③は参加者にとって「知らないことも知らない領域」だからです。
仮に③の研修を企画したとします。タイトルは「佐久間理論の内実と実践」としましょう。
普通研修というのは「これについて学びたい」「この問題を解決したい」ということが受講の動機になるでしょう。でもタイトルで掲げられている「佐久間理論」というもの自体知らないことなんですから一般人に対して訴求力はありません。「何それ?知らんけどおもしろそう」と考える人もいるかもしれませんが、まあ少数派でしょう(講師が超有名とかだったら話は別)。
ただですね、引きが弱いのは事実としても、個人的にはこの種類の研修が最も意義深いのではないかと思うんですよ。
上で「②の研修」の説明をしましたが、これは研修自体が「問いとして成立しているもの」です。「②の研修」の場合、参加者にとって「生成AIはようわからんもの」ではあっても「どこかで聞いたことあるし、そこそこ流行ってるよね」レベルのものです。「生成AIって最近話題のあれだよね、ようわからんけど知っておかねば!」ということで研修が成り立ちます。
しかし原理的には生成AIというものが何かということについて漠然とでも理解できている(見知っている)以上、研修を受けなくても自分で勉強することができるということでもあります。
「佐久間理論」なんてのは講師以外誰も知りませんから、もちろんこの研修についてのニーズもありません。しかし、もしかしたらこの研修は参加者の人生を360度変えてしまうような内容かもしれません。もしかしたらその1年後には業界で主流になる理論を扱っているかもしれません。
まあ何を言っているのかわからないと思うんですが(話が下手ですまない)、私が言いたいのは、
「研修はニーズから発生するものだけで良いのだろうか」
ということです。ニーズによって生み出されるのは「既にある問いに対しての答え(やヒント)」となる研修です。もちろんそれが良くないとい言ってるわけではなくて、あまりにもニーズだけに寄せすぎるのは良くない、と言っています。
しかし、3の研修を成立させるのはなかなか難しい。ある程度実績があり名前だけで人を呼べる人などはタイトルや内容がチンプンカンプンでもいいかもしれませんが、普通は概念すら理解されていないことで人は集まりません。
そして往々にして研修というのは、何らかの先行するニーズや問題意識によって発生・運営される場合がほとんどです。主催者から「この内容についてお願いします」と言われたら、やはりその内容を扱わないといけないでしょう。でもやはりその中には「③」つまり「知らんことも知らん」内容を組み込めてこそ意義深い研修になるのではなるのではないでしょうか。その場合は「2.5」の研修になりますね。
現実的には「③」の研修ではなく、基本は「②」なんだけど「③」の要素を詰め込んだものを作りたいと思います。そして「③」の要素を詰め込むには、幅広い知識、深い知性、他分野にフライングできる力なんかが必要になると思います。しかしそれができてこそ、質の高い研修を提供できるのではないかと思います。
まとめ
というわけで、結局研修を考えるときには
1.5の研修(参加者の既知と無知をつなげたことを扱う)
2の研修(参加者が無知であろうことを扱う)
2.5の研修(参加者が思いもよらないことを少し扱う)
の3つの枠組みが想定可能なんじゃないかという提案をしました。そして、この1.5とか2とか3とかいう数字はコンテンツとして絶対的なものではなく、相対的なものであることを指摘しました。その上で参加者層の知識レベルを見極めた上で、その研修会の趣旨や主催者の思惑に沿ったレベルのコンテンツを提供する必要がある。
そしてそこから自由になれるのであれば、参加者たちが「知らないことも知らない」という「3」の部分までに飛躍できたらいいのではないかという話です。
この分け方?はあらゆる分野にも適用できる考えた方だと思います。それを今回は私が主に従事する「研修」という分野に当てはめて考えてみました。もしもっと理解を深めたいと言う方がいましたら、下敷きにした細谷氏の著作をお読みください。