先日、北京日本語教師実践共有ワークショップというのが開かれ、それに参加してきました。まあ、私は主催者側なんですけど、やっぱなんかやっといた方がいいかなと思ってカジュアルな発表をしてきました。10分発表、10分質疑応答です。
何を話すかかなり迷いました。というのは参加者は基本的に日本語教師で、おそらく他の人は自分の授業実践に関する発表をしてくるはずです。しかし私は北京に来てからというもの学習者を相手にした日本語の授業というものをやっておらず、特にその手のネタがなかったからです。
結局、授業準備に関することで、これならまあ汎用的な話題だろうと思って以下のような発表を準備することにしました。
タイトル:仕事のやり方が変わる!〜ChatGPTの持つパートナー性〜
要約
普通だったら発表で使ったスライドを見てもらったら話が早いんですが、今回はスライドとChatGPTの画面を両方参照しながら発表したので、そうもいかない。
話の骨子としましては以下の通りです。
①私の最近の主要業務は日本語授業に関する研修講師を務めることである。
②ChatGPT登場以降でその準備のやり方が変わった。
③以前からのやり方にプラスして「ChatGPTとの相談」というプロセスが追加された。
④その相談の様子を実際の過去のやりとりを示しながら説明。
結論:実例では相談相手・パートナーとしてChatGPTがどれだけ利用価値があるかを見てきた。生身の人間と同じように十分にパートナーとして機能するし、その対話を通して自己の能力を100%引き出してくれる。ツール的な使い方がフォーカスされがちだが、そのパートナー性に注目することも非常に重要。また、あまり生成AIに慣れていない人にとっても、とっかかりとしては簡単で、敷居が低い。
以下、ここまでの話に関心を持った方は読み進めてください。発表の詳細を記します。
スライド
上記しましたが、今回は「スライド→実例を見る→スライド」という順番で発表を進めました。ここでもスライドを分割することも考えましたが、ちょっとめんどくさいのでスライド全体を貼り付けておきます。
当日の発表では、27枚目の「実例を見る」と赤字で書いてあるところに差しかかったら、スライドを閉じて、下の「実例を見る」で書かれているところに突入しています。そして実例を見るのが終わったらまた28ページ目のスライドから再開してまとめをしています(ちょっと文字化すると何言ってるかわからないと思いますが、あまり気にしないでください)。
実例を見る
ワークショップでは、近い将来やる予定の「学習動機を高める」というセミナーの準備の過程の一部を見てもらいました。その象徴的な部分だけここに挙げておきます。相手(ChatGPT)のフィードバックとかアウトプットはさておき、私がどのようなスタンスでChatGPTに接しているかというあたりがポイントです(切り取ってあるところは全て私の発言部分です)。
↑これが会話の始まりです。この「一緒に考えましょう」が全てを体現していると言えるでしょう。
↑特になんかの作業を依頼しているわけではなくて、「〜と思います」と投げているんですね。明確な回答を得ようというよりは、とりあえず何か言って、相手のアウトプットを見て、そこから考えを整理したりしようという姿勢が伺えます。
↑相手のアウトプットに対して反対意見を表明しています。このあたりは人間と議論している場合とほぼ同じでしょう。
↑私は「反駁の余地はあるか?」と聞いています。・・・というのも、自分で問答を考えながらも、なんか違うなと思っていたからなんですよね。内発的動機づけというのは有名な概念ではありますが、結構古くもありますし、なんかこういう物言いはちょっと違うかなということも頭の片隅にあり、反駁の余地を尋ねてみました。
↑と、さんざん議論した後でまさかのちゃぶ台返しです。こういうことができるのはやはり相手がAIだからですよね。
↑これは今回の趣旨に少し反している例ではありますが、作業を依頼したものです。ある本が読みたかったのですが、事務所にはない。また電子書籍もない。でも内容が知りたい。それで「推測」してもらいました。もしその推測を元に何かを組み立てたら学術的には反則技でしょうが、正しいかどうかはこの場合は関係なく、セミナーの構想を考えるための推測ですから特に問題はないと思います。
↑まあ、そんなやりとりをしながら結局はここまで辿り着きました。この後は相手のフィードバックを見て、それが妥当なものであれば修正を加えるし、そうでないとすれば特に無視するみたいな感じですかね。
まとめ
というわけで、簡単にどんな発表をしてきたかを見てみました。
実は私はこの発表の前、結構心配だったんですよ。私の発表に新奇性があるのかという点でです。発表を聞く人が全員「私も似たような使い方をしています」だとしたら立場がありませんから。
しかし、まあ中にはそういう人もいたとは思いますが、一部の参加者からは「目から鱗」的なコメントもいただけまして、とりあえずほっとしています。私の発表に意義を感じてくれる人が一人いれば、それは準備した甲斐があったと言えるでしょう。
ほんとこの部分に関してはいつも頭を悩ませる・・・自分の話すことの「価値」。自分が話すこと、話せることというのは、自分にとっては常識です。自分にとっては新奇性は全くないわけですよね。だから参加者間における価値がわからないわけです。価値を推定するためには参加者の在り方を高い精度で想像することが求められます。しかも個人ではなく、集団としての「在り方」を想像することですから、それは大変な知的作業です。まあ、その推定・想像ができるというのが一つの能力なのだとは思いますが、それにしても難しいものです(そして基本的にその想像の精度が高かったのかどうかの答え合わせも難しい)。
とりあえず先日の発表内容を記録しておきました。