授業における「アドリブ」と「チューニング」の意味〜縁側ラジオから学ぶ〜

投稿者: | 2025年2月11日

地下鉄で職場まで出退勤しているのですが、だいたい移動中は何かを聞いています。聴くものは色々で、何を聴くかはその日・その時の気分で決めますが、ポッドキャストを聴くということが最近は多い気がします。大体は外国語学習関連のポッドキャストですが、毎週金曜日に出るのを楽しみにしているのが、これ↓です。

▪️縁側ラジオ

長年続いた不定期番組「辺境ラジオ」の後継的な位置付けで、内田樹先生とMBSアナウンサーの西靖氏が時事問題などを語る番組です。基本的には内田先生が話しているのを西氏が聞く感じですが、西氏もいい感じでターンをとることが多く、非常にバランスの取れたお手本のようなトーク番組ではないかと思います。

普段は政治問題について話されることが多いのですが、今回は釈徹宗氏が番組初のゲストに迎えられ、釈氏が大学の学長を務められているということから、「講義」についての話になりました。このテーマでの話は10分少々だと思いますが、なかなか興味深い話が含まれていたので、ここで私の補足も含めてご紹介しておこうと思います。

本記事ではこのポッドキャストに出てくる「アドリブ」と「チューニング」を柱に話をします。

音源を全て聴きたい方はここから。2月7日公開分(#31)です。

アドリブ

「大学に赴任した時、張り切って講義ノートを作った。満を持して臨んだのに、実際に講義を進めるとみんな寝てしまう」

という内田氏の体験が語られました。まあフランス文学の講義ということもありますが、せっかく準備万端で臨んだのに誰も講義を聞いてくれないとしたら凹んでしまいますよね。しかし、ある時こんなことがあったと言います。

「出勤前に最寄駅でヤクザを見た。何かあったに違いない。これを誰かに話したくて、朝イチの授業でこれを話したら、いつもは講義中に寝てしまう学生の注目が一気に集まった」

そこから内田氏は、

そのときに思いついた話をしたら良い

と気づいたそうです。アドリブってことですよね。なぜアドリブの話が学習者の耳目を集めるのか、それは準備された話だと、学習者の立場からすると、「先生は相手が誰でもどこでも同じ話をするのだろう」と思われるからだと言います。

やはり話される言葉というのは独立したテキストではなくて「今あなたに向けて話しているんですよ」というメッセージ性が大事だということですね。アドリブは極端に言えば、今ここにしかないものです。今ここにしかないものは、今ここにいるあなた(学習者)に対して話されているということが明確です。つまりアドリブかどうかというよりも、

「今はあなたに向けて話しているんですよ」

という信号を送ることが大事だということでしょうね。そして、それを端的に表現できるのがアドリブということになる。

確かにこれは納得できるんですよね。私も時々セミナーのようなものに出ますが、登壇者のしゃべり口が原稿を読み上げているような感じだと、全く内容が頭に入ってきません。きっと文章で読めば理路整然としているのでしょうが、澱みなく読み上げられた文章というのはこちらの処理の早さを超えているからか、良いスピーチや講義にはならないんですよね。

私は使いませんが、パワポとかの「ノート欄」にセリフをびっしり書いている人を見たことがあります。あれは考えものですよね。言い忘れてはいけないことをメモる程度にしておくのが良いのではないかと思います(もちろんその発表の性質にもよりますが)。

ほら、よく行政関連の発表資料が細かすぎてよくわからん(見えん)みたいなことが指摘されますよね。あれの音声版が「原稿を読み上げる発表」なんですね。「細かすぎる発表資料」「原稿を読み上げる発表」を使わざるを得ない人の気持ちとしては、「突っ込まれにくいように」ということなんでしょうけど、それは著しくアドリブ感を損なうもので、ひいてはメッセージ性が損なわれるということです。

ただ注意が必要なのは、内田氏は「ただアドリブで話せばいいんだよ」と言っているわけではありません。問題は中身で、「アドリブでアカデミックな内容をどのように絡めていくか」については相当トレーニングを積んだそうです。その辺は誤解なきよう。

チューニング

それともう一つ興味深かったのがチューニングという話です。チューニングとは周波数を合わせることを意味しますが、チューニングが合っていないとラジオはクリアに聞こえないし、楽器の演奏は音外れになってしまいます。

ここでは話す側と聞く側が同じ周波数に合わせるということを比喩的に表現しているんですね。両者のチューニングが合っていないから、ちぐはぐな授業になる。こちらの話していることが伝わらない。

さっきの「ヤクザがいた」というアドリブ話もある意味学習者にチューニングを合わせてもらう役割があるでしょう。「そうそう確かに強面の人がたくさんいたよね」とか「その駅は通ってないからわからないけど何かあったのか」という知的?な好奇心が両者の波長を合わせます。

別にこれは珍しいことではないですよね。例えば私はオンラインで外国語の授業をよく受けますが、時として先生の中には、挨拶の後すぐに「今日は何ページの何番からですね」と授業を展開する人がいます。全くチューニングが合っていない中で授業が始まるので、どうも没入できません。まあ前振りが長いのも考えものですが、このチューニング合わせの時間はやはり合った方がいい

このポッドキャストの中では簡単なチューニング合わせの技法として、

身体への配慮

が挙げられています。簡単にいうと、「部屋寒くありませんか?」みたいなことだそうです。「寒くない?」と聞かれると、学習者のベクトルは自己の内部に向かいます。「寒いかな?どうかな?」というのを自身で確認する作業が入るということですね。そうやって一度注意が自己に向くと、外からの微細な信号にも感度が良くなるということです。

この身体への配慮は同時に同じ場を共有することの確認作業とも言えますよね。ただ私は「暑い寒い」くらいでは弱いんじゃないかなと思っています。それほど深く注意を向けなくても「暑い寒い」は感じられますから。

だとしたら、同じく身体性への配慮としたら、「よく眠れたか」とか「疲れていないか」「匂いがしないか」とかの方が注意が向くかなとも思います。まあ「暑い寒い」ほど場面を選ばず使えることはないでしょうが。

とにかく、授業の最初や途中でチューニングを合わせるというのは意識してやるべきだと思うし、そのテクニックとして学習者の身体に配慮するということも知っておくと良いかもしれませんね。

まとめ

以上、最近聞いたポッドキャストから得たことを書きました。「アドリブ」と「チューニング」という2点に絞って書きましたが、結局まとめると、

今現在、同じ場を共有していることをしっかり確認する

ということなのかなと思います。

注意:この番組の中では「アドリブ」という言葉は使われていません。ただ私がブログ記事をキャッチーにするために使っているだけです(「チューニング」は使われています)。

学習者はわざわざここに集まってくれている。好むかどうかに関わらず、私の授業を聞くために時間を使っている。それを最大限リスペクトして良いものを提供していこう、という姿勢がアドリブやチューニングという端的な言葉と行動に表現されているのかなと思います。

特にチューニングというのは面白いですよね。「導入」という言葉が使われがちですが、これから「チューニング」という観点から授業の最初の時間を考えても面白い活動ができるかもしれません

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