予定調和じゃない私が一番予定調和

投稿者: | 2020年11月24日

先日ラジオを聞いていたらおもしろい話がありました(そのラジオの情報は一番下に書いておきます)。

Covid19の状況下において行動が制限されたか?どう変わったか?という質問に対して、探検家の方が以下のような答えをしていました。

人々は先が見えない経験をしているが、自分は以前から先が見えない世界に行きたくてこういう活動(探検や冒険)をしている。
予定調和っていうのが嫌で非日常みたいなものを求めているけど、実は今一番予定調和なのは私だ。

「予定調和的じゃない」ことを当然としている人は、「予定調和的じゃない状況」においても、それが想定の範囲内なので、結局その人は「予定調和的じゃないということ自体が予定調和的」なんですね。

ん?ややこしい?

受けるダメージの違い

以下は私の理解ですので、その方の考えとは違うかもしれません(が、それはどうでもいい問題です)。

多くのことは「想定」とか「予定」通りに進むことが期待されます。「電車の出発時間が7時だから、うちを6時40分に出ればいいな」ということは当然誰でも考えます。しかし、このCovid19ではそういった多くの前提が覆りました。その影響の大小は人によって違うでしょうが、影響を全く受けていない人はいないでしょう。

ただ、そういう事態を想定している人にとっては想定内の事態ですから何も問題は起きないんですね。まあ、今の世界の状況をそっくりそのまま想定できた人はいないでしょうが、「電車は必ず7時に来る」と考えている人と「電車は遅れるかもしれない」と考える人とでは、同じ状況でも受けるダメージが違います。

今後、この事態が収束したとしても、世の中一寸先は闇です。だとしたら多少なりとも「予定非調和」をデフォルトの考え方として持っている方が生きやすくなるのではないでしょうか。

そして、実は私たち日本語教師はかなり予定非調和な世界に生きていますので、この混沌とした社会では生存可能性が高まると考えられます。

海外生活

日本は、おそらくかなり予定調和的な社会です。新幹線に乗ったら「このたびは遅れそうになりまして申し訳ありませんでした」というアナウンスがあったくらいの国です(ソースは伊集院光)。到着が遅れたんじゃないんですよ。遅れそうになっただけなんですよ。

当然そういうのをデフォルトに考えていたら予定調和的思考が前提になります。「お前、遅れそうになってヒヤヒヤしたじゃないか、おれがヒヤヒヤした補償をしろ」みたいなクレーマーが現れても不思議ではありません

もちろん予定調和的であるというのは社会が成熟している証拠ですので、それはそれで素晴らしいことだとは思いますが、あまりにもそれが普通になるとやはりイレギュラーな事態には対処しにくくなりますよね。

やはり海外生活は鍛えられると思います。はじめて中国に行った時、乗る予定だったバスの出発が30時間遅れました。このときはほんとびっくりしました。しかし一番驚いたのはバスが遅れたことではなくて、乗る予定だった地元の人々は文句一つ言わず出発を待っていたという事実です。

また結構社会的に成熟している国でも、時間指定をしたはずの宅配がエクスキューズ一つなく関係ない時間にやって来たりします。

「明日渡す」と言ったものが明日渡されることはまずありません。

最初は私もそういうことに慣れずに苦労したものです。「さくまさん、1時間後に授業やってもらえますか」みたいな無茶振りに対し「絶対無理!」と返した若い頃もありました。今なら「なんとかしましょう」ですけどね。だってそういうのも想定内ですからね。

というわけで海外生活は、国によると思いますが、予定非調和がデフォルトなのでこのあたり鍛えられますよね。

非正規雇用

これ読んでいる人の中で、60歳や65歳までの雇用が確定している人、どのくらいいるでしょうか?私も一寸先は闇です。若い頃一瞬だけ公務員だったことがあるのですが、それ以降は基本的に契約で生きています。

今までは、幸運なことに職にあぶれたことはありませんが、いつ無職になるかわかりません。楽天的な性格なのでそこまで深刻に考えることはありませんが、日雇いの仕事とかに思いを馳せることもあります。

幸い、と言っていいのかわかりませんが、現代日本は人手不足のようなので仕事を選ばなければなんとか食っていくことはできるだろうというのが安心材料ですね。私などは無駄に高学歴なので、履歴書を書く際にはそのあたりは書かないようにしようか?しかしそれをしたら詐欺になってしまうんだろうか?じゃあどうしようか?日本で職歴がないことはどのように説明しようか?などと考えたりもします(まあ切実さはないですけど)。

つまり、非正規雇用で生きてきた人間にとっても予定非調和がデフォルトなんですよね。私もこの昨今の状況下で職にあぶれるかもしれないという考えはありますが、この状況がなくても職にあぶれるのは想定内ですから、その意味で予定調和的な世界に生きていると言えます。

言いたいこと

つまり、私が言いたいことを端的にいいますと…

我々の時代がやってきた

ということです。「絶対予定調和」を前提としていた日本社会において、我々のような「予定非調和前提主義者」は生存可能性が大いに高まる、ということです。というか、我々のやることは昔から変わらないわけですが、世の中が混沌としてくればしてくるほど相対的な我々の価値が高まる?ということです(ほんまかいな)。

どうでしょう?これから日本語教師を目指すような若い人!なんと魅力的な職業でしょうか。日本語教師というのは探検家や冒険家と同じように予定非調和を想定内として人生という大海原を渡っていける仕事なのです。

…といって魅力的に感じる人いるかなぁ??

ちなみに、一番上で出したラジオの出典は以下です。「ラジオ版学問のススメ」の定期購読を数ヶ月前から再開しています。あまり当たり外れがなく、非常におもしろいです。今回は↓を聞きました。

“結婚と探検に共通する構造・・・”角幡唯介が語る『そこにある山 結婚と冒険について』。

↑著者は探検家の角幡唯介氏です。そのうち読んでみたいと思います。 

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