先日おこなわれた日本語教師チャット。テーマは「教案や教材の共有」でした。興味のあるテーマだったので参加しようと思っていたんですが、疲れて寝てしまいました。
■#日本語教師チャット(Website)
■#日本語教師チャット(Twitter)
そんな場合でも議論をあとから振り返ることができるというのがこういう企画の良い点ですよね。「自分がリアルタイムで意見を出せない」だけで、得られる情報はリアルタイムでの参加と全く同じです。
まず、私の立場を明確にしておくと教案・教材の共有はどんどんすべき派です。そして今までもずっとそれをおこなってきました。
共有する際の考え方
前の職場である韓国の大学では、私が音頭をとって教材共有のシステムを作りました。まったく同じカリキュラムの別の授業を全員(10人くらいの先生)が担当するということで、共有に適した環境だったと思います。
そのシステムがなければ、10人全員がそれぞれ独自に同じ学習箇所のスライドを作らなければなりません。クラウド上に共有フォルダを設定して、そこに教材をどんどん放り込むことにしました。
このシステムを作り上げる過程で、当然反発も予想されました。そのため、私がメンバーに伝えた方針はこれです。
今学期から教材の共有をおこないます。このフォルダに上がっている教材は上がった時点で著作権フリーとなります。ですので、その教材を無断でそのまま授業で使っても構いませんし、一部気に入らない部分があれば編集して使っても構いません。
もし、「え〜自分が作ったものは見せたくないです」という人がいたら、その人は共有フォルダに教材を上げなければいいだけです。つまり共有フォルダに教材を上げるかどうかは自由ということです。共有フォルダに教材を上げないということでなにか不利益を被ることはありません。
どうでしょうか。これなら、反発の出る余地というのはないのではないでしょうか。共有したくない人は共有しなくてもいいんですから。
結果として、このやり方は良かったと思います。10人以上いる同僚のうち定期的に教材を共有してくれる人は3人程度でしたが、そんなもんで十分かと思いますし、そんなもんでしょう。
メリット
このシステムのメリットはもちろん「授業準備が楽になる」ということですよね。でも「え?でもそれは共有されたファイルを使って授業をする人だけじゃないの?共有している人にメリットってあるの?」と思われる方もいるかもしれません。でもね、確実にそれはシステムに参加している全員にメリットがあるんです。
①コミュニケーションが増える
「共有する者の負担を増やさない」というのも重要ですので、共有してくれる人には「余計な説明はいらないからできたものをそのままフォルダに放り込んでください」と言ってありました。
でも、そうすると、「日本語教師チャット」でもありましたが、共有された側はそれをどう授業で活用すべきかわからない、という事態が生じますよね。そうすると昼ごはんのときなんかに食堂で自然と「あの教材ってどうやって使うんですか?」みたいな話になります。
そうやって同僚間の自然なコミュニケーションが生まれるんですよね。それが手間と言ってしまえば手間ですが、そういったコミュニケーションから同僚間の連帯感とかが生まれるものでもあります。
②回り回って自分の教材をアップグレードできる
上の共有の基本方針でも述べましたが、「共有された教材は著作権フリーなので勝手に改変して授業で使ってよろしい」というルールを立てました。
そうするとですね、「私が作ったものを上げる」→「誰かがそれを編集し、その編集したものを上げる」→「私がその編集されたものを授業で使う」などというサイクルも生まれるわけです。
つまり、自分が作ったものが更にパワーアップして帰ってくるわけです。そこで私は新たな格言を作りました。すなわち、
教材共有は人の為ならず
「教材を共有すると、新米教師や能力の低い教師の教材作成能力をさらに奪ってしまうから、しないほうがいい。」これは誤用です。
「教材共有は人の為ならず」の真意は、「教材共有というのは回り回ってその恩恵が自分に帰ってくるものです。他人のためにやるのではありません」というところにあります。
③リスペクトされる
教材共有の最後のメリットがこれです。これが以外に重要です。
あなたはそもそも何のために働いているでしょうか。人によって答えは変わりますが「お金のため」というのが上位に来ますよね。私だって妻子を養うというのが最上位に来ます。
労働の対価は普通「お金」に換算されますが、だからといって我々が必要とするものは「お金」だけではありません。その他多くのものが必要です。そのうちの一つが、「他人からのリスペクト」でしょう。
教材を共有することによって、簡単にリスペクトが得られます。私も「あの教材のおかげで授業準備が早く済みますよ」とか、言ってもらえると正直本当にうれしいです。
授業に入るときに前の同僚がPCの電源を消し忘れたのか、授業で使った教材が残っていることが時々あります。その時に私の作った教材を使っていた形跡が目に入ることがありましたが、それを見るときほど嬉しいことはありませんでした。
おれのやってることも人の役に立っているんだな〜と。
私は労働の対価の多くを「お金」と「他人からの承認」が占めると常々思っていますから、特にそうかもしれません。でも誰でもありますよね?「人の役に立ちたい」っていう思いが。
もちろん「やりがい搾取」とかのような事態になってはいけません。ただね、教材共有って、自分が使う教材をただオンラインで共有するだけなんで、それ自体は手間があまりかからないものですよね。だから搾取されようにもされないのでそのへんは問題ないかと思います(第一、このやり方では共有するかどうかは義務ではないのですから)。
まとめ
以上、教材共有について考えてきました。日本語教育機関といっても多種多様で、すべての機関において上の考えが適用できるとは思っていません。
ただ、やはり教材共有などを進めようと思った場合には、まず自分が共有をおこなう、という姿勢が必要かと思います。
それと上でも書きましたが、私の前の職場の場合、積極的かつ定期的に教材を共有してくれたのは10人中3人程度でした。しかし残りの7人が「共有に否定的である」とか「能力が低い」というわけではありません。
これは「役割」ということで解釈して良いだろうと思います。よく2対8の法則とか言いますよね。それじゃないでしょうか。
あと、残りの7人の人も普段の会話の中で「こんな授業やってる」という話をして、「え〜それならそれ共有してくださいよ」的な会話になったときはしっかりと共有してくれました。「私の教材なんか共有して意味あるんだろうか」とかそういう謙遜的な姿勢が共有を妨げていたという面もあるでしょう。
私の場合は、「おれの作ったのすごいから見てね」というよりは、ファイルのバックアップの一環として共有をしていたという一面もあります。
…というわけで、教材共有を推し進めようと言う方、参考にしていただければ幸いです。