2019年3月から2022年3月までの3年間、国際交流基金の日本語専門家として初めて働きました。この記事ではその時のことについて少し書いてみたいと思います。
日本語専門家の仕事は、検索すればいろいろと情報が出てきます。国際交流基金がビデオも作っていますし、「世界の日本語教育の現場から」というページでは世界各地に散らばっている日本語専門家からのレポートを読むことができます。
■世界の日本語教育の現場から
■国際交流基金 日本語上級専門家・日本語専門家 派遣プログラムの説明
ということで、表向きの内容については↑を読んだり見たりすることをお勧めします。
で、この記事ですけど、「私の派遣前の懸念」に回答する形で記事を書いていきたいと思います。アラフォーで子連れで職業や住んでいる地域を変えることはなかなかリスキーなことですよね、一般的には。派遣前には私にもいろいろ懸念がありました。
私の派遣前の懸念は以下の通りです。
・どのくらいの労働が期待されるのか
・自分で務まるのか
・家族4人で食っていけるのか
・日本の組織で働けるのか
あと、読者の皆さんはお分かりと思いますが、日本語専門家というのは世界中に点在していますし、どの国で勤務するか、どのような機関で勤務するか、どのような仕事をするかによって全然違います。ですので、この記事で言っていることはあくまでも私のケースであり、私の主観です。それを念頭に置いたうえでお読みください。
どのくらいの労働が期待されるのか
派遣前の私にとってはこれが一番の懸念でした。
派遣前は私は韓国の大学で勤務していましたが、その時は週休3日・週の授業時間10時間・夏と冬に2か月ずつの休暇あり。という夢のような勤務環境でした。大体4時くらいには家に帰ってきてましたからね。
そのような神の勤務環境がどう変わるのか…
派遣前研修に行ってわかりましたけど、日本語専門家は業務委託なんですよね。国際交流基金の契約職員になるわけではない、ということです。ですから基本的には自由なんです。休暇が年に何日とか決まっていませんし、勤務時間も決まっていません。業務委託という性格上、やることをしっかりやっていればいいわけです。
…というのは建前で、現実には派遣先の機関の規則や慣例に従うことになります。私の場合、派遣先の機関の服務規定に準じて勤務していました。何時までに出勤し、昼休みは何時から何時までで、何時に退勤する、休暇は年に〇〇日。
はじめはこれがきつかったです。
それまではずっと、「授業さえやっていればよい」という環境で働いてきましたから、一日中オフィスにいるというのが苦痛でした。もう2時くらいになると帰りたくなるんですよ。
私の妻は私の赴任を機に専業主婦になりましたが、それまでは9時5時のオフィスで勤務みたいな仕事をしていました。その妻に泣き言をいうと、
「私の苦しみがやっとわかったか」
と言われました。
また、びっくりしたのが、同僚なんかが「すみません、渋滞に巻き込まれたので始業に10分ほど遅れます」という連絡をしてくるんですよね。別に授業に遅れるわけでもなく、ミーティングがあるわけでもありません。その同僚が10分遅れても(1時間遅れたとしても)誰の迷惑にもなりません。なので、最初は「なんで連絡してくるんだろう?」と思ったんですが、妻に聞くと
「そういうものだ」
とのことでした。
つまり、私は一般的なオフィス勤務者的な働き方を全然知らなかったのです。だから初めのころは体力的にも、精神的にも非常にきつかった覚えがあります。
まあ、でもそれは私が世間知らずなだけですよね。普通にオフィス勤めしていた人にとっては普通のことですから、普通の人は気にならないかもしれません。
で、どのくらい働かされるかと言いますと…
どうでしょうね。これにこたえるのは難しいですけど、私は業務量的にはほどほどでよかったと思います。残業するときもありますけど、勤務先自体が夜の8時には閉まってしまうので、どんなに遅くても8時でしたね。まあ契約期間の後半はコロナシチュエーションだったので、在宅勤務も増えましたし。
他の勤務先はわかりませんが、私は自分一人でガーっと仕事を進める部分が大きかったので、完全に自分のペースで仕事をしていました。私はかなり前倒しで仕事を進めるタイプですので、余裕をもって仕事に取り組めたと思います。
ただ、反面在宅勤務だと時間の制約がなかったりするので、ガーっとやりすぎて肩こりがひどくなったり、それに伴う頭痛がおこったりはしました。
それは私の仕事のやり方の問題ですね。とにかく私はペースをつかんでからは、割と余裕をもって仕事に取り組めたと思っています。ただ、自分の仕事量を調節できる立場でもあったというのが大きいかもしれませんね。
自分で務まるのか
これもちょっとドキドキしましたね。
派遣前研修に出たときに、チームで課題に取り組むんですけど、みなさん超優秀なんですよ。私は日本語教師の経験的には派遣前で15年ほどでしたから少なくはないと思いましたが、私はそれほど多様な機関や国での経験がありませんからね。自分の現在地がどのあたりなのか、まったくわかりませんでした。
結果としては、私はそこそこやれたと思っています。少なくとも綿々と続く専門家諸先輩のみなさんの顔に泥を塗るようなことはなかったと思っています(自己評価ですよ)。
そこそこやれた理由は二つあります。
一つ目は、前の職場でやっていた仕事と被る部分が大きかったこと。
派遣前は韓国の大学に勤めていたといいましたが、そこでは10人以上いる日本人講師のまとめ役を務めていました。授業シフトの作成、共通授業資料の作成、勉強会の設定、職場環境の整備、上層部との折衝などなど、そこで培ったものが大いに生きたと思います。
二つ目は、割と幅広く浅い知識を持っていたこと。
私は日本語専門家として派遣されたわけですが、すごい専門性ってないんですよ悲しいことに。この分野なら他人に負けない!というものがない。その代わり、結構いろんなことをそこそこ知っているんですね。例えば、わかりやすい例でいうとICT関連。
ツイッターなんかやってたらICTに強い人っていくらでもいるんで、私などその分野では小兵に過ぎないんですが、今回はコロナ禍ということもあって私の「そこそこ程度のICT理解」がかなり生きました。そこそこ知っていれば、あとは調べたりすればいいだけなんですよね。
素晴らしい業績があるわけではないので、専門家として「オンリーワン」にはなれていないと思いますが、上から与えられたミッションを忠実にこなし、そこに多少の付加価値をつけて返し、穴を開けないくらいのことはできていると思います(もちろんできてないことも多数ありますが)。
あとは、意図したわけではありませんが、いろいろなSNS上の人と良い関係を保てていたことも+に働きました。私は日本で大学院とか出てないし、日本で勤務したこともないので人脈が弱いところもあるんですが、SNS上でつかず離れずの交流を保っていたいろいろな人々に助けられたりしました。わかりやすいところで言えば、所属機関主催のセミナーで講師を務めてもらったりということですね。
専門家の応募の要件としては確か、修士学位&3年の実務経験でしたよね。もし私だったら、その要件を満たしたギリギリの時だったらなかなか厳しかったかな、と思います。初派遣ではありますが、ある程度経験を積んでいたからこそ、今回は余裕をもって臨めたのだと思っています。
ただ、私は謙遜抜きで他の人より日本語教育のいろいろなセンスが欠落していると思っています。若くて、経験がそれほどなくても十分に専門家として仕事ができる人もたくさんいるでしょう。
家族4人で食っていけるのか
今回の派遣では妻と二人の息子を同伴しました。前は妻も働いていて二馬力だったわけですが、派遣が始まると私一人の収入になります。一応応募する前からいろいろリサーチしていたんですが、実際に生活を始める前まで金銭面では不安でしたね。
専門家の報酬についてはオープンにされています。募集要項に書いてあります。その他、手当もつくみたいというのはわかっても具体的に私の口座に毎月いくらのお金が入るのか、家賃はどうなるのか、医療保険などはどうなるのか、税金はいくら払うのか、引っ越し費用はどうなのかなどはよくわかりませんでした(よく読めばある程度推測はできるんですが、初派遣だと想像も難しい)。あと、派遣先の物価とかもよくわかりませんしね。
結果として…
私は満足のいく待遇を受けたと思っています。そもそも私くらいの年でいくらくらい稼ぐのが普通なのかはわかりませんが、私は特に待遇に不満を感じることはありませんでした。家族四人で健康で文化的な生活を送ることができたと思っています。
日本の組織で働けるのか
国際交流基金は日本の組織ですから、そこから派遣されるということは日本の組織の一員になるということです(業務委託ですけど)。私は今までぬるま湯で生きてきた男ですから、まずそのあたりが不安でした。日本の組織は形式を重視し、杓子定規的なところがあるという印象がありますよね。
結果的には、やはり「日本的」なことはいろいろありました。主に書類の提出などでしたが、まあよくよく考えるとそういうのも必要な作業なのかなと思います。基金の職員の方とは基本的にメールでやり取りをすることになりますが、みなさん親切で、さばけている方が多くほっとしました。
実は私みたいなたたき上げは、いじめられるんじゃないかと思っていたんですよね、ほんとに。でもみなさん私などもリスペクトしてくれて、ほんとに気持ちよく仕事ができたと思っています。
あと、派遣先の機関はカンボジアの組織でしたが、そこでもよい同僚に恵まれました。JICAの専門家なんかも一緒に勤務するんですが、その人たちともよい関係を保てました。
まとめ
私はこの3年間非常に気持ちよく仕事&生活ができたと思います。上で上げた懸念はすべて杞憂に終わったということです。
ただし、やはり何度も言いますが、これは私の主観ですし、私のケースです。同じ環境だとしても、一緒に働く人の中で相性の悪い人がいたらまた違ってきますでしょうし、決めた住処の環境が悪かったりしてもまた変わってきますよね。
以上「ぶっちゃけトーク」にしてはソフトな内容ですが、自分としては真実を語っています。どちらにせよ話半分で読んでいただけたら幸いです。