「期待される役割+1」の日本語教師

投稿者: | 2020年9月21日

16年間、この業界で食べさせてもらっています。いくつかの職場で働きましたけど、私はあんまり職業的なストレスがないな~と思うんですよね。もちろん良い人や職場に恵まれたことが大きいとは思いますが、私の働き方による部分も大きいと思います。今日はそれについて書こうと思います。

一番ストレスを感じた時

私が最もストレスを感じた時は、駆け出しの時です。なんにもわからずこの業界に飛び込み、そもそもそんなに続けるつもりはなかったので、かなり舐めていました。

授業は下手、態度は悪い、ということで先輩講師には怒られるわ、学生には嫌われるわで最悪でした(私自身最悪だったし、その時の気分も最悪でした)。

詳しくは書きませんが、その後改心したことによって、授業もだんだん上手くなって、コツもつかめ、学生からの信頼も得られるようになりましたが、とにかくこの時期は本当に辛かったです。

どのくらい辛かったかと言いますと、職場へバスで通っていたんですが、降りるべきバス停で降りられないくらい辛かったです。職場を通り過ぎて、次のバス停で降りて職場までゆっくり歩いていってました。

いつでも辞めてもいい

その後はそんなにストレスフルな時期はありませんでした。まあ子育てや大学院との両立でてんてこ舞いの時期はありましたが、それは職業的なストレスというより人生のストレスですからね。

でも思い出したんですが、一度半年くらいで辞めた職場があります。その時は非常勤で朝の3時間ほどだけ授業をやっていたんですが、学校というよりは企業みたいなところで、そのカラーに合わず辞めました。

ある時、超具合が悪くて、「これは行ってもまともな授業はできんわ」と思って電話したら、「いいから来てください」と言われてその時点でもうここはだめだと思いました。

まず第一に私がストレスが少ない職業生活を送ってきたのは、

いつでも辞めてもいい

と思ってやってきたからだと思います。

枠の中で戦う

とは言え、私が嫌で辞めたことがある職場は1箇所だけです。「いつでも辞めるつもりだからノーストレスなのです」というのはちょっと違うかなと思います。実際いまは妻や子を抱えていますから「ストレスフルなんで辞めます~」などと簡単にいうことはできません。

おそらく私がストレスを感じないのは、基本的に私が

労働者日本語教師

だからだと思います。

教師というと崇高な理念があったりしますよね。世界を平和にしたいとか、学生の生きる力を育てたい言う人もいますよね。私は世界が平和になったらいいとは思いますし、受け持った学生の生きる力も育ったらいいとは思いますけど、あんまり崇高な理念は持ち合わせていません。

私が各職場で実行するのは、

与えられた条件の中で期待される仕事をこなす

だけです。だからあまり経営陣に逆らうとか、上の人とトラブルを起こすということがありません。「このテキストを使ってこういう授業をやってください」と言われたら、このテキストを使ってこういう授業をやります。

相手が聞く耳がある場合、「これこれこうやった方が効率的ですよ」みたいな意見はしますが、受け入れられなければそれで甘んじます。だから誰かとぶつかる、ということが基本的にありません。まあ使う人にとっては使いやすいでしょうね。

条件はあったほうがやりやすい

私が前から思うことに、授業は条件がたくさんある方がやりやすいというのがあります。

比べてみてください。「次の授業では何ページから何ページまで、こういうやり方でやってください」というのと、「次の授業はテキトーに何でもやってください」というのとどちらが楽でしょうか。

私の場合は圧倒的に前者でしょうね。縛りや条件が多いほうが授業はやりやすいんです。しかもそれで授業が上手くいかない場合でも「それは私が決めたのではない」というエクスキューズを持ち出すことができますからね。

またそれとは別に、条件があったほうがいい仕事ができるということもあります。前だれだったか、作家の人も同じことを言っていました。拠り所がある方が上手く書ける、ということでした。何でも自由に書いてください、ページ数も、ジャンルも、締切も何もありません。これは難しいそうです。

もちろん縛りや条件のない授業は大変なだけに、うまく行ったときは大きな達成感を感じます。そして本当に能力のある人は自由に何でもさせた方がいい仕事をするとも思います。あくまでも私は「縛りや条件がある程度あったほうが楽だ」ということです。

変えられない条件に何を計上するか

あと思うんですけど、条件や設定って実はいろいろあるじゃないですか。学校の位置、社会的ポジション、教室の大きさ、ICT整備の度合い、学生の質、上司の能力などなど。その条件や設定の中には努力で変えられそうなものもあれば、そうでないものもあります。しかし、職業人として組織に吸収された場合、変えられない条件というものが圧倒的に多いと思います。

例えば、今日雨が降ります。それについて「降らなければいいな」とは思うかもしれませんが、「降らないようにしてほしい」とは思いませんよね。あなたの上司が聞く耳をもたない人間である場合、というのはある意味「雨」みたいなものだと思うんですよね。またあなたの上司が「ICTに対する理解がない」というのも「雨」と同じです。つまりあなたの努力では変えられないという。

私も各職場についてはやはり「こうしたらもっといいのに」と思うことはありました。そして実際にそれを口に出しますが、それが受け入れられなければその条件で最大の効果を得られるような努力をします。

以前の職場で同僚の皆さんが口を揃えていたのが、「成績つけがストレスフルだ」ということでした。相対評価なので、全員が努力してもAは全体の30%以内、Bは70%以内とかそういう成績の付け方が決まっていました。学生がどんなにがんばっても他の学生がもっと頑張ればAは上げられないんです。

他の先生方はそれがストレスだったみたいですが、私はあまりストレスとは感じませんでした。もちろん抗議してくる学生の処理は嫌でしたが、その設定は私が決めたことではないし、どうすることもできないものですから、機械的に数字で上から成績を決めるだけなのです。私の主観が入る余地はありませんし、どうすることもできません。つまりそれは私にとって「雨」なのです。

「雨」が降ったことによって運動会が中止になるのは辛いですが、「雨」が降らないように努力することはできないんですよね。どうにか人の力で変えられそうなことでも、自分の努力で変えられないのであれば、それは「雨」と同じなのではないでしょうか。「雨」が降ること降らないことに一々心を揺さぶられていても何もいいことはありません。

+1の付加価値

私が言いたいのは、与えられたその条件の中で期待される役割を果たすということをやっていればストレスはあまり感じませんよ、ということです。

しかしそう言い切ってしまうと、あまりにも私が怠惰で計算高く費用対効果を考える小賢しい人間に見えてしまいますので(まあ、ある程度はそうなんですけどね)、最後に一つだけ追加をしておきます。

与えられた条件の中で期待される役割を果たせるようになった後は、期待される役割に+1の付加価値をつけるにはどうすればよいかを考えましょう、ということです。

労働者は労働の対価を貨幣と交換しますよね。でもいつも等価交換をしていてはだめなんです。+1の価値をつけて学生や学校や社会に還元することを考えたいです。つけた+1の付加価値は基本的に労働者の持ち出しです。しかし、その貨幣に交換されなかったり、評価されなかったりする部分が、その人の伸びしろになるんじゃないかと思います。

条件が整備されないことに嘆くよりも、与えられた条件でいかに付加価値をつけた仕事ができるかを考えていきたいものです。そして能力のある人、それなりの立場にある人は、条件を整備する方をがんばってほしいと思います。

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