第二言語習得理論から考える効率の良い授業 ③アウトプット

投稿者: | 2020年8月24日

第二言語習得の成果に関わる三本柱は「動機づけ」と「インプット」、そして「アウトプット」です。本日は最後に「アウトプット」について考えてみます。もちろん参考にしているのは↓この本です。

アウトプットは必要なのか?

前回見たように、重要なのはインプットです。これは間違いありません。しかしアウトプットの練習なしに語学の習得が可能なのでしょうか。

何をもって「習得」とするかは違いますので何とも答えにくい設問ではありますが、やりとりができることを習得と考えるとアウトプットの練習は必要であると考えられます。

白井先生はその好例として、

・TVを見ているだけではうまく話せるようにはならないという事実
・受容的バイリンガルの存在

を上げています。受容的バイリンガルというのは移民の子弟や子孫に多いようです。「言っていることはわかるけど、応答できない」ということですね。例えばうちの子も一時そういう時期がありました。私の話す日本語は理解できるんですが、それに対する答えは全部韓国語という(能力的に日本語で返せない)。

つまり、聞いてわかることと話せることはまた別ということです。

バイリンガルの例を出さなくてももっとわかりやすい例もあります。漢字の読み書きなどはまさにそれに当たります。私は「薔薇」を読めますが、書くことはできません。「薔薇」と手で書くためには手で書くための練習が必要ですよね。それと同じことでしょう。

でもそれに対する反例もあるんですね。例えば「急に話し出す子供」みたいな例もあるみたいです。みなさんも聞いたことないでしょうか?小学生の途中まで全然話さなかった子供が何かがきっかけで話すようになったとか。

そういう例もあることから、白井先生は厳密に言えばアウトプットが必要なのではなくて、アウトプットの必要性が必要なのだ(p102前後)というようなことをおっしゃっています。

今、例えば外国にいます。銀行に行って通帳を作らなければなりません。しかしまだその国の言語はそれほど上手じゃありません。そんな時、出かける前に「通帳」とか「作る」とか必要そうな単語を確認して、頭の中でどのように言うか考えますよね?それがリハーサルというもので、たとえ声に出してリハーサルしなくても、それを頭の中ですることで話す能力が高まるようです。

ここまでの話をまとめますと、授業で私達は、

・アウトプットの必要性を内包したアウトプット練習をおこなうべき

ということになりますね。

アウトプットの効用

アウトプットが軽視されがちなのは、変な言い方ですが、知っていることしかアウトプットできないから、すなわち知っていることをいくら言っても知識の外縁を広げることにはならないからということですね。

アウトプットそのものは新しい言語材料、言語知識の習得には役に立たない、言いかえると、自分の既に知っている知識を使って何かをする、ということに過ぎない(p149)

だからアウトプットをいくらやっても、「話し方が流暢になる」以外の成果はないということです。だから知識の外縁を広げるためのインプットが重視されるんですね。それは確かにそうです。

意味はわかるんですよ、上の考え方の。でも、語学学習全体で考えると意味不明な気がします。というのは、

・流暢になることも当然必要である
・アウトプットを前提にするとインプットの効果も高まる

と考えるからです。

先日、クメール語を話す機会がありました。ゆっくり考えれば私のクメール語の能力であればそのくらいのことは言えたはずですが、結局単語の羅列だけになってしまい、恥ずかしい思いをしました(自分に恥ずかしい)。

もしそこでさらっと言えていたら、それはクメール語をちゃんと話せるってことになりますよね?流暢さもその人の外国語能力を測定する一つの大きな指標です。

また、アウトプットとインプットの関係ですけど、普通新しい単語って、自分のアウトプットの必要性から覚えないですか?もちろん「高校の第二外国語で日本語を習っている」ような場合はそもそもアウトプットの必要性がないわけですけど、普通は、「あ、これ日本語では何ていうんだろう?」というところから出発しますよね。

例えば私は今クメール語のレッスンを週1で受けていますけど、大体先生は授業の始まる前に「先週はどうでしたか」ということを聞きます。聞かれることはわかっているから事前に話す内容を考えておきます。

この前は「先週からうちの近くで建物の工事が始まりました。とてもうるさいです」と言いたかったんですが、私は「工事」という単語がわからないから辞書で調べておきました。

普通そういうことをしますよね?私は1年半カンボジアに住んでいますが、今まで「工事をクメール語でなんというか?」というのを知らなかったんですね。でも「うちの近くで…」ということを言いたかったから、「工事」という単語を覚えたのです。

つまり、アウトプット自体によっては知識の外縁は広がりませんが、アウトプットをしようと思うと知識の外縁が広がるのです。

インプットとアウトプットの比率?

というわけで、アウトプットも必要であるということは論をまたないわけですが、よく言われるのが

大量のインプットと少しのアウトプット

ですよね。仮に授業活動がインプットとアウトプットに分けられるとしたら、授業時間の大部分をインプットに当てるといいのでしょうか。

私はもし学習者が非常に強い学習モチベーションがあるのであれば、最初のうちはインプットだけでも構わない、と思います。

この非常に強い、というのは例えば軍隊での外国語教育とか、そういうのを想定しています。学習者はその言語を学ばなければならない確固たる理由があって、脱落は許されないくらいのレベルです。あとは超スパルタ敎育が許され、脱落は100%その学習者の責任と捉えられるような場合でしょうか。

って、そんなの普通の日本語教師は遭遇しないですよね。もちろん学習者のモチベーションの強弱はありますけど、現実は学習者のモチベーションを維持させながら適度に愉快に授業をやっていく場合が普通でしょう。

そういった「普通」の場合はアウトプットの機会も増やした方がいいと考えます。というのは、多くの人はインプットよりもアウトプットの方が好きだからです(クラスで学ぶ場合です)。アウトプットをやっている方が「勉強してる!」気がするんですよね。モチベーションを維持させるためにはやはりアウトプットをある程度確保しないといけないと思います。

あと、練習の多くはインプットの方が設定が楽です。アウトプットってかなり考えて設定しないとできませんよね。インプットは学生が受動的な態度でもできますが、アウトプットは学生の自主性とかも絡んでくるし、時間もかかります。そういったことから、惰性に任せて授業を考えると、どうしてもインプットの方が多くなるのが普通だと思います。

だから、アウトプットの活動を少し増やそうと思うくらいでインプットとアウトプットの比率は良い感じになると思っています。

あとはもし可能であれば、インプットは授業時間外の予復習でやってもらうというのもいいですよね。アウトプットには必ず、「自分のアウトプットが正しいのかどうか判断しかねる」という部分が出てきますから、即座にフィードバックを受けられる教室授業などが向いていたりします。その反面聞き取りや読み取りの活動は一人でもしやすいです。反転授業などが出てきた経緯もそれですよね。

インプットとアウトプットを意識させない

ここまでインプット、アウトプットと言ってきましたが、授業時間に学生はそんなことほとんど気にしていません。「お、インプットの活動来たな」と思う人は普通あんまりいないでしょう。まあアウトプットが少ないと「今日は一言も話さなかったな」とかは思うかも知れませんが。

で、インプットも大事、アウトプットも大事となると、やはり両方を同時におこないたいと思うのが人情ですよね。端的なのが「会話練習」です。相手が話すことを聞いて(インプット)、それに合わせた適当な内容を話す(アウトプット)。

ただ、会話練習をやっているからと言ってそれが全部インプットになるとは限りません。例えばありがちなグループワークやペアワークなどでは学習者同士で会話練習をすることが多いと思いますが、この辺り白井先生はこう言っています。

日本の中学校や高校でしばしばコミュニカティブな活動として行われる生徒同士の会話活動は、決まり文句を使った会話が多いので、本当の意味での言語習得にはあまり寄与しないかもしれません。(p152)

寄与するかしないか以前に、この学習者同士のペア活動って私が学習者の立場だとあんまり好きじゃないんですよね。まあ少なくとも、インプットにはあんまり寄与しないでしょうね。学生同士のペア活動はアウトプットを伸ばすんだよ、と割り切ってやらないといけないような気がします。

で、その他のインプットとアウトプットが瞬時に入れ替わる方法としては、伝統的にはリピートとかもありますよね。「はい、私のあとに続いて言ってください」とかの。あと、最近ではシャドーイングなんかもその類ですね。

こういう活動はアウトプットを意識しながらのインプットになるので非常にいいと思います。「まるごと」や「いろどり」でもシャドーイングがしばしば組み込まれていますが、やはりそういうことからなんじゃないですかね。

それと極めつけはやはり笈川式じゃないでしょうか。中国の笈川先生の「朗読」はすさまじいです。そして学習者も驚くほどうまくなります。

今、この記事を書きながら自分がシャドーイングを授業でやった時にうまくいかなかったことを思い出したんですけど、笈川先生のことを考えてみてその理由が分かったような気がします。私はシャドーイングを音声ファイルを使ってやっていたんですね。

もちろん、それがやり方の王道だとは思うのですが、おそらく私の心の中に「これ音声ファイルを流しておけば勝手にやってくれるから楽だわい」くらいの気持ちがあったに違いありません。

あ、それは今度別の機会に論じるとしてとにかく今のトレンドとしては、インプットとアウトプットを瞬間的に交互におこなうような活動も授業活動の一つの軸に据えても悪くないと思いますということです。


クイズも食いつきが良い


あと、私が以前から提唱しているのはクイズを取り入れた活動です。詳しくは↑のリンクを御覧いただきたいのですが、要は、

人の発話をよく聞いた上でそれに合わせたアウトプットしなければならない。またクイズに正解するという目標が動機のすり替えをもたらすため、学習しているという意識が低くなる

というようなものです。それにグループ戦にすることによって、ターンが多く回って来て、その学習者が実際に発話するかどうかはともかく、脳内リハーサルが何度もおこるというような利点があります。これは第二言語習得理論に則って行われる素晴らしい活動です。

リハーサルを最大限取り入れる

最後に私達の今の実践をご紹介します。

今私達は「中級会話」というオンラインクラスをやっています。授業の前日に翌日の授業のトピックの発表があり、「明日は○○について話すから、何を話すか考えてきてください」といったようなビデオを提示します。もちろんビデオの内容はそれだけでなく、そのトピックを話す時に使えそうな語句や表現の紹介などもあります。反転ビデオみたいなものですね。

その授業は「とにかく話す」ということに焦点が当たっているので、準備してきたものは100%使うことができます。考えてきたけど発表する時間がなかった、ということはありません。

この授業はまさにアウトプットのお手本なんじゃないかと思います。学生としては、まず反転動画を見て何を話すか考えます。辞書を使う人もいるでしょう。その準備したことは100%翌日のリアルタイムセッションで話すことですから、おそらく一度くらいは読み上げてみたりするでしょう。

そして授業では人(教師や他の学生)を相手にそれを話します。また授業後の課題もあります。授業で話したことと同じような内容をビデオにとって提出します。ビデオは教師もその他の学生も全員が閲覧可能な状態です。人によっては何回か練習してうまくいったビデオを上げていると思われます(一発撮りの人もいると思いますが)。ちなみにビデオはFlipgridを使って集めています。一箇所にビデオが集まるから楽ですね。


つまりちゃんと準備して練習=リハーサルをしておかないとその授業は乗り切れないのです。もちろん準備しなかったとしても叱責があるわけでもないし、授業後にビデオを提出しなかったとしても何かペナルティがあるわけではないですが、みんなそれをするために授業を受けているわけですから、ほとんどの学生は言われたことをこなしてくれます。

※ちなみに、昔やっていた授業では、適切なアウトプットができた学生から帰って良し、というようなシステムを採用していましたが、これも各自リハーサルを要するものでしたね。

結果として「授業を乗り切る」というアウトプットの必要性は十分すぎるほどあるし、実際のアウトプットの練習場面も十分すぎるほどあります。最初からその方針を決めていたわけではないのですが、最終的にはアウトプットのお手本的授業になったのではないかと思っています(方針を決めたのは私じゃないですけどね)。

ちなみにこのような授業形態になったのは、一つ理由があります。この授業の名称は「中級会話」なのですが、「まるごと」で言うと初中級の学生から中級2の学生までが入り混じっています。本来であればレベル別に授業を受ける段階なのですが、急なオンライン化への転換でレベル別のオンラインクラスを準備できませんでした(マンパワーやネット環境、学習者の確保などいろいろな理由から)。それでレベルの違う学生を「中級」とひとくくりにして授業をおこなっているのです。もしインプット中心の授業構成にしてしまうと、ある学生にとっては易しいが、ある学生にとっては難しすぎるということになってしまい、全員の満足度を引き上げられないと思いました。

でも、アウトプットへの挑戦をおこなうクラスであれば、話すことは自分で決められます。「昨日何を食べましたか」という質問に対し、

「カレーライスを食べました」

と話すか、

「ラーメンを食べようと思ったんですが、行きつけの店に行ったら閉まっていたので、なくなくカレーを食べました」

と話すかは、学習者本人が決められるのです。アウトプット中心の授業はそういった個人間のレベル調整が容易であるというのも利点かと思います。

そこで注意しなければならないのはやはりアウトプット中心の授業はアウトプットだけに焦点を合わせるってことかな、と思います。どうしても他の学習者のアウトプットを他の学習者のインプットに取り入れようとしてしまいがちですが、その辺は捨ててもいいような気がします。

※ただ、私達の場合は成績や席次を出す必要がないからできるのかもしれませんね。相対評価などのクラスではインプットに対する理解度を評価したほうが楽でしょうね。

まとめ

というわけで、アウトプットについてつらつらと書いてきました。なんかもっと具体的なものを書こうと思っていたのですが、結局抽象的な内容になってしまいました。

私なりの結論をまとめておきます。

・アウトプットを増やす方向で考える。
・アウトプットの必要性を高める(適切なアウトプットをした人から帰れる、クイズに勝てるなど)。
・アウトプットとインプットを同時に行える活動を入れる(シャドーイングなど)。
・自分の表現したいことをアウトプットする活動を入れて、インプットにもつなげる。
・学生同士の会話練習などでは自身のアウトプットに注目させる

観念的にはなりましたが、あまり具体的になりすぎても類似ケースというのはあまりないので参考にはならないかもしれません。とにかく私は大量のインプット&少しのアウトプットといいますが、アウトプットを増やすくらいのほうが授業はうまく回るのではないかと思っています(もちろん学習目的によるのは大前提です)。

第二言語習得理論から考える効率の良い授業 ③アウトプット」への2件のフィードバック

  1. ★★★★

    「大量のインプット、少しのアウトプット」というのを耳にしてから、アウトプットが少なくていいのか、とずっと引っかかっていました。書いてあることを読んで、英語学習者として納得する部分が多かったですし、日本語教師としてアウトプットをもっとさせていいのだ、と背中を押してもらった気がします。ありがとうございました。

    返信
    1. shirogb250 投稿作成者

      コメントありがとうございます!
      インプットをするにしても、アウトプットを前提としないとなかなか定着しないような気がしますね。静かにインプットするだけの授業では飽きてしまいますしね〜経験的にはアウトプットをもっと増やすべきだと思ってます!

      返信

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