ダイエットと外国語と動機づけ

投稿者: | 2020年9月23日

今日はまずダイエットについて書きます。最後は外国語学習に着地しますので、お付き合い下さい。

ダイエット

私は今までの人生において3回、大規模なダイエットをおこなってきました。今回人生3回目のダイエットに成功し、見事5キロの減量に成功しましたので、これについて語る資格があるであろうと思います。

ダイエットの原理は一つしかありません(と思っています)。それは、食べて得るエネルギー量よりも消費するエネルギー量を増やすということです(近年はカロリーよりも糖質云々という話がありますが、この辺は突っ込まないでください)。

ダイエットの原理に似ているものに貯金の原理があります。貯金を増やすための原理も一つです。それは収入を増やして、支出を減らすということです。ダイエットは減らすこと、貯金は増やすことが「良し」とされますが、その方法は非常に似通っています。

ただ問題は原理は一つでも、その原理を実現する方法は無数にあります。だから貯金にしてもダイエットにしても、巷には方法論が溢れていますし、あやしげな情報やノウハウもあるわけです。

私は今回具体的には「ウォーキング毎朝8キロ」で消費エネルギー量を増やし、「夕食を食べない」で入ってくるエネルギー量を減らしました。それ以外は特に何もしませんでしたが、2ヶ月で大体5キロの減量に成功しました。

書くと簡単そうですが、毎日ウォーキングするとか、夕食を抜くというのはなかんなか実行するのは難しいことです。私がこれを今回やり抜けられたのは、動機づけをしっかりしたからだと思います。

人為的な動機づけ

まず私のダイエットの一番の動機は、「肥満は万病の元だから」ということです。以前は若かったから健康を顧みずともどうにかなっていましたけど、年をとるにつれて健康リスクは増してきます。特に私はこれからも外国で仕事をしたいと考えていますので、できることなら健康を高いレベルで維持したいのです。

しかし、動機が一つだと弱いんですよね。

「健康リスクを低くするため」という動機だけだと、ダイエットに疲れてきたときなんか「しばらく健康を維持したとしても、人間はいずれ死ぬのであるから…」とか「ここで5キロ減らしたからと言って本当に健康リスクが減るのか」とか自分への言い訳が始まってしまうのです。そこで私がとった戦略は、

ダイエットをするための動機を増やす

ということでした。とにかく頭の中で動機づけをおこなったのです。

「ズボンを買い直さないといけない」
「こないだ買った服が似合わなくなる」
「いざというときに食べ物をおいしく食べられなくなる」
「裸になるたびに腹が気になる」
「語学学習ができない(歩きながら勉強していたため)」
「ポッドキャストが聞けない」
「朝早起きしないから寝付きが悪くなる」
「大枚はたいて買ったスマート体重計が無駄になる」
「自己管理ができない人間だと思われる」

もっともっとありますが、とにかく動機になりそうなものを全部具体的に羅列していきました。そうするとダイエットに疲れても、すべての動機に対する言い訳を考えるのが難しくなるのです。それで渋々ダイエットが継続できたのです(と思っています)。

動機「づけ」

言語学習業界では動機づけが大きく2つに分けられることは常識ですよね。「道具的動機づけ」と「統合的動機づけ」です。知らない方は↓を御覧ください。


この↑でも述べたんですけど、とりあえず何かを成し遂げるために役に立つ動機づけなら道具的であれ、統合的であれ使ったほうが良いんですよね。「動機づけには親でも使え」って昔からよく言いますしね(言わないと思いますけど)。

動機っていうのはなんとなく自然に沸き起こるものっていう感じがしますけど、人為的に作れるものなんですよね。「動機づけ」とは言いますが「動機づき」とは言いません。つまり、

動機は「つける」ものであって、「つく」ものではないということです(言葉遊びですよ)

外国語学習シーン

例えばいま私はカンボジアに住んでいるのでクメール語を勉強しているんですが、学習の動機づけが非常に弱いんですよね。

一番の動機は「授業中に学生たちが話しているクメール語を理解したい」ということなんです。生活面ではクメール語ができなくてもそんなに苦労しないし、職場でも日本語や英語が堪能な人がたくさんいますから、実はクメール語のクの字も知らなくても、そんなに困らないんです(カンボジア全体について言っているわけではありません、あくまでも私の環境のことです)。

それでもクメール語を勉強していたんですが、やはり動機が一つしかないと時々「まあ、どうせここにいる間だけだしな」と思ったりして、勉強がやる気にならないときがあるんです。

で、一念発起してクメール語レッスンを受け始めたんですけど、そうすると

一生懸命教えてくれる先生の期待に応えたい

という動機が発生するんです。レッスンは週1なんですけど、オンラインでやっているので、授業がない日にはレッスンを録音したものを聞いたり、レッスンの前はその日に喋る内容を自分なりに準備したりもするようになりました

で、その後も意識的に動機をつけるようにして、例えば

将来他国でカンボジア人に会った時にクメール語で話してドヤ顔したい
職場のスタッフのクメール語ひそひそ話を理解したい
クメール語の歌を一曲でも歌えるようになりたい

などを常に頭に思い浮かべるようになりました。それ以降、やはり学習に対する主体性が上がってきたような気がします。長い間やっててものにならない英語学習にもそれを適用してみようかなと考えて、今英語学習の動機も意図的に考えている最中です。

まとめ

というわけで、今日重要なことは、

動機は「つける」ものである。

ということですね。「つく動機」が強大な人は、おそらくそれだけで語学学習も乗り越えられます。でもそれが小さくて弱い人は「つける動機」を利用することで、自分の学びへの継続力を維持することができる(かもしれない)、という話でした。

教師目線でも同じで、学習者の動機になりそうなものがあれば積極的に動機づけをおこなうような活動を行なっていきたいものですね。動機を可視化するとか、意識させるとかそういうことです。

※「動機はつけるものである」という今日の話を、今自分が連載しているプノンペンのフリーペーパー用に書こうと思ったのですが、いつもはスラスラ書ける原稿が今回は3時間格闘しても書けませんでした。このままお蔵入りにするのはもったいないのでここで形を変えて載せておくことにしました。


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