バイリンガル教育における「氷山説」という言葉を聞いて思い出した話

投稿者: | 2020年5月20日

今、この本を読んでいます。

近藤ブラウン妃美・坂本光代・西川朋美編(2019)『親と子をつなぐ継承語教育 日本・外国にルーツを持つ子ども』くろしお出版

バイリンガル教育には興味があって色々と本を読んでいるのですが、ちょっとひっかかる部分がありました。

それは、ジム・カミンズが提唱した、二言語相互依存仮説に関してです。 二言語相互依存仮説とは簡単に言うと、バイリンガルの言語能力はそれぞれの言語において独立しているわけではなく相互に依存しているということです。そして、

片方の言語を強化すると必然的にもう片方も強化される、という考え方に繋がります。(p18)

この仮説は氷山説などとも呼ばれているそうです。それは、よく使われる氷山の一角という言葉と同じように、表出されるある言語の能力の根底には目に見えない共有基底言語能力があるということです。

この「氷山」=「目に見えないがその人の言語能力の基盤になるもの」という言葉を聞いて思い出したエピソードがあります。このエピソードが長い間自分の中で消化しきれていなかったので、この機会に整理をしておきたいと思いました。

海苔と糊

私の長男は、長い間韓国にいたので韓国語の方が優勢ですが、日本語も話します(詳しい話は過去に書いたものがあります)。

間違いだらけのバイリンガル教育①
間違いだらけのバイリンガル教育②

さて、長男が韓国の幼稚園に通っている頃、おそらく5歳くらいの頃、幼稚園から帰ってくるなり私にこんなことを話しました。

先生が明日キムを持ってきてって。

「キム」というのは韓国語の単語で、日本語で言うと「海苔」のことです。その発話の意図するところを理解した私は、「なぜ海苔を持って来いと言うのだろう?」と思いつつも台所に入って「海苔」を息子に渡しました。

すると、それではないというのですね。ちょっと考えて私は工作用の「糊」を息子に渡しました。それで正解だったようです。

「海苔」と「糊」は同音異義語ですから、日本語でのコミュニケーションシーンでは間違えてしまうことはあるでしょう。ですからこの時はあまり気にもとめなかったのですが、よく考えると非常におかしな話だなと思いました。だって韓国語では「海苔=キム」「糊=プル」で、同音異義語ではないのですから。

息子の頭の中

幼稚園の先生は韓国語で息子にこう言ったはずです。

ネイルン プルル カジョオセヨ
訳:明日はプル(糊)を持ってきてくださいね

そして家に帰ってきて私に対し日本語で、

先生が明日キム(海苔)を持ってきてって。

と言いました。ここでは日本語の文章の中に韓国語の単語が混じっているということは問題ではありません(そんなことはよくあることです)。

問題はなぜ、息子は「プル(糊)」という発話を聞いたにも関わらず「キム(海苔)」と私に伝えたのかということです。「プル(糊)」と聞いて「キム(糊)」と発する間に何があったのでしょうか。

考えられるのはこうです。

①先生がプル(糊)をもってこいと言った。
②息子はその発話を理解したが、プル(糊)という言葉ではなく「糊なるもの」を概念として頭の中に入れた。
③息子は私にその話を伝達しようとしたが、「糊なるもの」を日本語に置き換える過程で、

えーと「糊なるもの」は日本語ではなんだっけ?、ええと確か「糊なるもの」=「海苔なるもの」だから、ええと、「海苔なるもの」は日本語が確か、わからん、まあそこは韓国語で置き換えよう。

と思い、最終的に

先生が明日キムを持ってきてって。

という発話に至ったと推測されます。

連想ゲーム

息子の口からは「ノリ」という日本語は出てきませんでした。しかし、息子には「糊なるもの」と「海苔なるもの」は同音異義語である、という知識はあったということが推測されます。↓の絵を参考。

ここで疑問が2つ生じます。

①なぜプル(糊)という韓国語が出てこなかったのか。
②なぜ劣勢のように見えた日本語の概念から連想ゲームが始まったのか。

おそらくそれに対する答えとしては、

日本語で話そうと思ったから。

なんでしょうね。別に日本語で話さなければ罰せられるわけでも怒られるわけでもないですけど、自然と「父とは日本語で話す」という習慣があったから最初は日本語で話そうとした。「糊」という単語が出てこないので瞬間的に連想ゲーム的に韓国語の「キム(海苔)」と言ってしまった。それが常識的な推理でしょう。

氷山の中に隠れているもの

非常にややこしい話にお付き合いくださりありがとうございます。最後に着地するところはここです。

表出されているものの根底には共有基底言語能力がある。

このエピソードで言いますと、結果的に息子は「ノリ」という言葉を表出することはできなかったわけですけど、「糊なるもの」と「海苔なるもの」が同音異義語であるという理解は持っていたわけです。そんなの傍からみたらわかりませんよね。

だからバイリンガルの氷山というのはやはり本当だと思うのです(バイリンガルに限らないと思いますが)。水面下に隠れているだけで、その人の根底には目に見えない共有基底言語能力があるのですね。だからこそ、特にバイリンガルの場合は、一つの言語の知識や能力を高めることによって、基底的な能力が高まり、もう一方の表出される言語能力が高まるということも起きるのでしょう。

というお話でした。なんかジム・カミンズ が言っていることとはちょっと違うような気もしますが、自分の中でこのエピソードを葬らないといけない(悶々と考えていたのを整理しないといけない)とおもっていたので、ここで文章化させていただきました。

バイリンガル教育における「氷山説」という言葉を聞いて思い出した話」への1件のフィードバック

  1. ピンバック: レビュー『親と子をつなぐ継承語教育』 | さくまログ

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です