カルチャーマップから考える日本語教育 その2 評価

投稿者: | 2020年6月22日

二回目です。二回目のポイントは、

評価

で、もっと具体的に言うと、

ネガティブなフィードバックが直接的か、間接的か

という点です(我々が「評価」というと学習者の成績のことを考えてしまいますが、それとはちょっと違います)。日本語教育のさまざまな場面で、いろいろなフィードバックが要求されますよね。学習者に対するフィードバックだったり、現地講師や同僚などに対するフィードバックもあります。

私はネガティブなフィードバックって、するのもされるのも本当に苦手です。その苦手の原因はやはり我々の文化に根を持つものかもしれません。良い言葉がありました。

どんな文化出身の人でも「建設的な批判」があることは信じている。しかし、ある文化にとっては建設的に見えるものでも、別の文化からは非建設的に見える場合がある。(p40)

またしても日本!

p49

右に行けば行くほどネガティブなフィードバックは間接的、婉曲的になるわけですが、また日本が一番右にあります!!私がネガティブなフィードバックが苦手であるのは必ずしも個人的な資質によるものでもないみたいです。

前回、ハイコンテクストかローコンテクストかというところみたのですが、ネガティブな評価に関してもざっくりその位置づけと重なる部分が多いです。

フィードバックがネガティブな順に、「アジア→アフリカ、アメリカ大陸→ヨーロッパ」ですね。その中でも注意すべきは、

・東南アジアはかなり右寄り
・イギリス系はローコンテクストながらもフィードバックは割と右寄り

私はカンボジアにいますが、ここに来る前からいろいろ調べてみたところ、

人前で叱責するようなことは避ける。

というような文章はいたるところで目にしました。まあ、どこの国でもそれは同じかと思いますが、特に負のフィードバックに対する耐性が低いのでしょう。私も同じですけどね。

また、アメリカ人は「かなりはっきりものを言う」という印象がありますが、ことネガティブ・フィードバックに関してはそこまで「はっきりしていない」ようです。本書によりますと、ポジティブの中にネガティブを混ぜるというストラテジーを取るようです。

アップグレードとダウングレード

負のフィードバックを直接的におこなうような国では「アップグレード」的な言葉づかい、逆に間接的におこなうような国では「ダウングレード」的な言葉遣いが増えるそうです。

●アップグレード
間違いなく、とても、まったく、

●ダウングレード
~とも言える、多少、少し、やや、かもしれない

これはよくわかりますね。日本語でも「ちょっと難しい」は「絶対無理」という意味になりますし、「どう見てもだめだろ」みたいなことを「個人的な意見ですが…」と前置きしたりしますもんね。

相対性

本書ではこういうことを強調していました。

指標を見るときは文化の相対性を忘れてはならない。たとえば、中国は図のかなり右側に位置しているが、日本よりはかなり率直にものを言うため、日本人は中国人の遠慮のないフィードバックに腹を立てるかもしれない。(p49)

これはよくわかりますね。私が長年暮らした韓国でも同じだと思います。韓国も右寄りに位置していますが、「よくそういうことを言うな~」と思うことはしばしばありました。

負のフィードバック間接的大魔王とも言える日本人ですが、日本で生まれ育った日本人が直面する「メンタルの弱さ」は割とここから来ているのではないかと思います。

例えば、どこか商店に入って目当ての商品を探すが見つからない時、店員さんに聞きますよね。「●●ありますか?」って。で、もしその商品がない場合、「ありません」という内容を伝えることは、ある意味で負のフィードバックとなりますよね。だから多くの場合店員さんは、

いや~すみません、それ取り扱ってないんですよ~

とか、

ああ、昨日まであったんですけどね~すみません~

みたいなことを普通に言うじゃないですか?つまり、お目当ての商品を購入できないお客さんの気持ちに寄り添って、「すみません」みたいなことを言ってくれるわけです。顔もすまなそうですしね。

でも、外国に行ったら、まずそんなことはありません。「~ありますか?」と聞いて、ない時の答えは、

ありません。

はい、それで終了です。店員のおばちゃんは怒っているわけでもないんですが、耐性のないときに続けられると結構まいります。よね?前に読んだ本では「フランスに憧れてきた若い女性が店員のそっけなさで心を病む」みたいなことも書いてありました。

自分の線を守る

話が脱線しかかりました。元にもどしましょう。ここで議論すべきは「それがどう日本語教育と関わりがあるか」ということです。

ここまでの話を総括すると、「左の国(負のフィードバックが直接的)の学習者や同業者に対しては直接的なフィードバックをおこない、反対の国には遠回しのフィードバックをすべき」と結論づけてしまいそうですが、それはそれで問題がありそうです。本書の中で伝えられているエピソードにこんなことがあります。

オランダで働く韓国人の話なんですが、この韓国人はどうも直接的な負のフィードバックを連発するオランダ人に慣れることができず仕事もうまくいかない。そこで自分もオランダ式にやってみようと思い、ズケズケと物を言うようにした。

この後、どうなったと思いますか?彼は「著しく評判を落とした」そうなのです。なぜでしょうか?

評価の指標で自分より率直な文化を相手にするときは、「彼らの真似をしようとしてはいけない」というのがひとつのルールだ。評価の指標で率直から最も遠い国々の人であっても、「率直すぎる」対応をしてしまう可能性が十分にある。オランダ文化において、どこまでが許容範囲の率直さで、どこからがひどい無神経さであるか理解していないのなら、率直に話すのはその文化出身の人に任せておこう。(p52)

つまり、その匙加減が異文化の人間にはわかりにくい、ということですね。

私もよくわかります。

またある国にいる時のエピソードなんですけど、その国の人は日本人に比べてズケズケとものを言います。その時、ぞんざいな話し方をする人に会うことが多くて、ちょっと疲れていました。

で、私も同じように対処してやろうと、と思ってぞんざいな話し方をするんですが、なんか違うような気がするんですよね。つまりそのやり方は私にあっていないわけです。そこで、より丁寧な対応をすることを心がけました。ぞんざいな相手に会っても、今まで以上に礼儀正しく(見えるような)対応を心がけました。

それ以来、ずっとどこの国へ行っても、どんなぞんざいな人間に会っても続けていますが、やはり気が楽ですね。そうしたからと言って、相手が変わるわけではないし、ぞんざいな人間が愛想よくなるわけではないですが、自分が楽になりました。

言葉を多くしてローコンテクストなやりとりを試みる、というのは、我々のようなハイコンテクストの国の人間でもそこそこ対応可能かと思います。丁寧に説明すればいいんですから。

でも、フィードバックの方法を相手によって変えるというのはなかなか難しいです。話がうまく通じなくて相手を傷つけることはないかもしれませんが、負のフィードバックは相手を傷つける可能性が常につきまといます。だから、ここは下手に他人の土俵に入るより、自分の領域に相手に入ってきてもらったほうがよろしいかと思いますが、いかがでしょうか。

フィードバックが必要な時は…

とは言うものの、どうしても負のフィードバックが必要になる時もあるでしょうし、それを代わりに伝えてくれるその文化出身の人がいないこともあるでしょう。

その場合でもやはり鉄則は、

他人の前で負のフィードバックをおこなわない

でしょう。いくら負の直接的フィードバックに慣れている国の人であっても、負のフィードバックが嬉しいわけではないでしょう。ただ、文化的に「率直であるべきだ」という考え方があるからだと思います。だからフィードバックはできるだけで二人だけでおこなう。

その上で、さきほど冒頭にあげたカルチャーマップを少し思い浮かべてもよいかもしれません。例えば、その呼び出した学生なり、同僚なりがオランダ人であるならば、

言葉を尽くして(ローコンテクストな)ニュートラルなフィードバックをおこなう

というのもあるでしょうし、それがタイ人であったならば

良いところを褒めて、「ここをもうちょっとこうしたらよくなるかもしれない」

のように匂わせておくこともいいのではないでしょうか。もし、これを読んでいるみなさんが外国で働いていて、ほとんど絡むのはその国の人だけ&民族的な均質性も高い、というのであれば、負のフィードバックにおける基本的なスタンス、というのも考えておいてもいいかもしれません。

ちなみに私は本書でも書いていますが、

そもそも負のフィードバックをしない

という戦略もあり得ると思います。私はそれが好きですけどね。

続きはこちら↓

カルチャーマップから考える日本語教育 その3 説得

カルチャーマップから考える日本語教育 その2 評価」への2件のフィードバック

  1. ピンバック: カルチャーマップから考える日本語教育 その1 コミュニケーション | さくまログ

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