日本語教師と「社会経験」

投稿者: | 2020年10月7日

以前、Twitter上でも議論されていましたが、時として

日本語教師になる前に社会経験を積んでおいたほうが良い。

という論調があります。私も時々ですが、大学生に聞かれることがあります。

やっぱ会社とか入っておいた方がいいんでしょうか?

って感じで。今日はそれについて考えてみます。

経験はあったほうがいい

まず、大前提ですけど、何をするにしても経験はあったほうが良いです。例えば私は去年あたりに「職場の日本語」という日本語コースの立ち上げに関わりましたが、会社で働いた経験がないので、「自分の経験を元にする」ということができませんでした。

このコースは「カンボジアの日系企業で働いている人・働きたい人」のためのコースなんですが、もし私が「カンボジアの日系企業で働いた経験」があれば、その経験がコースの立ち上げに大いに役立ったであろう、と思います。

これは単なる一例ですが、やはり何にせよ経験はあった方がいいでしょう。私など会社で働いた経験もありませんので、名刺の渡し方も知りませんし、車を乗る時の上座、下座みたいなものわかりませんし、ハンコは最終決裁者におじぎするように傾けて押すというような常識も知りませんでした。

トレードオフ

ですから、もしこれを読んでいる皆様が、異業種からの転向日本語教師だとしたら、その転向前の経験は素晴らしくかけがえのないものであり、日本語教師としての能力にプラスに働いていることでしょう。どういう形をとるかはわかりせんが、将来的にもその経験が日本語教師としての業務遂行に大いに役立つことは間違いありません。

しかし、みなさまが、もしこれから日本語教師になろうというのであれば、わざわざその他業種の経験を先取りすべきだろうか、ということについては一考の余地があります。

当たり前ですけど、その他業種での経験と日本語教師の経験はトレードオフの関係になるからです。簡単にいえば1年会社員としての経験が増えれば、1年日本語教師としての経験が減るということです。

ですから、その1年の会社員の経験は1年の日本語教師としての経験をマイナスにしてでも積んでおく必要があるのか、ということがこの問題を考える時のポイントになると思います。

私の考え3点

最初に私の立場を明確にしておきます。

もし日本語教師として働くというのが目標であるのであれば、敢えて回り道をする必要はない

というのが私の考えです(別に反対意見があってもいいです)。その大きな理由は以下の3つです。

・日本語教師としての経験が一番評価されるから
・社会の動きが早いから
・日本語教師とはそもそもそういう仕事だから

●日本語教師としての経験が一番評価されるから

まずはこれです。なんだかんだいって日本語教師なのですから、前職がなんであれ、どれだけキャリアがあったとしても一番に評価される部分は日本語教師としてのキャリアです。

もちろんケースによっては前職や他業種の経験が評価される場合もありますが、それを狙って他業種の経験を積んでおこう、というのはあまり賢い方法ではないんじゃないかと思います。他業種の経験は「日本語教師としての経験も申し分ない、その上…」というように評価されるのが一般的なんじゃないかな、と思います(もちろん例外はあります)。

●社会の動きが早いから

例えば学校を出た後、会社で3年働いたとします。そして日本語教育業界に入りました。その後、日本語教師としての経験を積めば積むほど、会社で働いていた時の経験は古いものになります。

例えば私は40歳くらいなんですけど、22歳から25歳まで会社で働いた経験があったとして、その時の実務経験がその15年後にどのように生きるかには疑問符が大いにつくんじゃないかと思うのです。だって15年もたったら働き方ってだいぶ変わりますよね。仮にその3年間の間に「カンボジアの日系企業で働いた」経験があったとしても、それを15年後の「職場の日本語」コースの立ち上げに生かせることにはならないんじゃないかと思います。

日本語教師とはそもそもそういう仕事だから

これがもっともタイトルだけでは分かりにくいと思うんですけど、日本語教師ってのは日本語教育という専門性に軸足をおいていろいろな分野と関わりを持っていくという職業じゃないですか。

例えば、私は「観光ガイドの資格をとるための日本語クラス」とか「日本のIT企業での就業を目指す人のための日本語クラス」とかをやったことがあります。

もちろん私には「観光ガイド」「IT企業」の経験はありません。でもそのクラスを受け持つということが決まったときから勉強を始めるんですね。観光ガイドの試験にはどのような問題がでるのか、IT企業で働くためにはどのような日本語能力を育てる必要があるのか。

もちろん私が「観光ガイド」出身者であったり、「IT企業」での就労経験があれば、更に良質な授業を展開できるかもしれませんが、そんなことを言ったらそれこそ日本語教師としてのスキルを磨けないことになります。

日本語教師の仕事は目の前にいる学習者の日本語能力の向上を図ることなんですけど、その日本語の用途にはさまざまな広がりがあります。そこで「私は観光ガイドの経験はありませんから」とか「ITとか知らないんで」とかそんなこと言ってはいけません。十分な準備期間があれば、どのような分野でも扱えるという自信を育てていくのが日本語教師としての能力を高めるということです(ちょっと名言出ましたよ)。

私の友達に弁護士がいるのですが、その人に聞くと、「扱う案件にはいつもだいたい知らないことが含まれている」のだそうです。例えば、よくわかりませんけど、医療関係の訴訟などがあったら医療関係のことを調べる。労働関係のイシューがあったら労働関係のことを調べる。労働関係といっても建設業界の労働と、物流業界の労働は全く別物で、そのケースごとによって勉強をしていかないと弁護士として務まらないのだそうです。

つまり、弁護士というのは「法律の専門家である」ということを足がかりとして、様々な問題を解決していく仕事なんですよね(知らんけど)。それと同じで日本語教師は「日本語の専門家である」ということを足がかりとして、様々な日本語学習者を育てていく仕事なんです。

だから、「カンボジアの日系企業」で働いたことがなくても「カンボジアの日系企業で働く人のための日本語コース」を作り、運営していく力を養っていかなければならないのです。

一方で

しかし、「一番高値で自分を売れるのは新卒時」というのも日本では事実です。もし迷っているなら企業に入ってみてもいいじゃないかと思います。中途採用では一部上場の企業なんかなかなか入れなかったりしますからね。そこまで日本語教育に思い入れがないのでしたら、「とりあえず会社で働いてみて後で考えたら?」というのもあり得る回答だと思います。

そう、日本語教育業界は

途中参入が比較的容易な業界

だからです。

勘違いされると困るんですが、私はこのエントリーを通じて、「みなさん、日本語教育業界に来てください!」と言っているわけではありませんよ。もしあなたがそのような言説(先に他業種の経験を積むべきか)に悩んでいるのだとしたら、私の考えはこうです、と言っているだけです。

私はこのようなことを言いながら、結局つぶしが効きにくい日本語教育業界から他業種に飛び移れなかった口なのです。まあ今は満足していますけどね。

まとめ

というわけで、「日本語教師になろうと思っているけど、社会経験があったほうが良いと聞きました。どう思いますか?」という悩める若人の皆様への一つの回答を書いてみました。

あとですね、よくこれも議論の俎上に上がり、私も気になる言い方が、

日本語教師の経験は社会経験ではない

っていう考え方です。日本語教員や学校教員はよく世間知らずだって言われますよね。世の中のことをよくわかっていないとか。しゃーしゃーとそういうことを抜かす人間がいますが、

私に関して言えばそのとおりなんです。

ほんとに私は世間知らずでものを知らないんですよ。妻にはいつもあきれられます(笑)。だから私に対してそういうことを言う人がいたら、それは甘んじて受け入れましょう。

まあでもそれは置いておいて、企業文化を知らないということで「世間知らず」というのはなんか違うんじゃないかな?と思いますね。逆に言うと、会社員的な人々は「教育文化」や「学校文化」「学術文化」を知らないわけですよね。

日本語教員をやっていれば日本語教員に必要な社会的スキルとかは絶対に身につきます。それをいわゆる「会社づとめ」の人を中心に考えられても困るな~と思ったりするんです。

↓のツイートに私は100%同意します。ここからはじまる一連のツイートはこの問題について過不足なく述べられた素晴らしいものだと思います。

進路を選ぶ上で、皆様の参考になれば幸いです。

※あ、あとこういった話を書くと「私は他業種からの参入組ですけど、今そのときの経験が役に立っていますよ!」という反応があることが予想されます。ぜひ、よく読んで私の意図を理解してもらいたいと思います。ちゃんと読んでね。

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