日本語教師と大学院

投稿者: | 2020年8月31日

日本語教師と大学院というのは切っても切れないテーマです。勉強会などで「大学院へ行こうかどうしようか」という話を聞くことは珍しくないですし、私もここまで何度も葛藤がありました。今日はそのことについてつらつらと思うところを書いていきたいと思います。

まず、話を始める前にマウントをとっておくと(笑)、私は日本語学という分野で博士の学位を持っています。しかし研究者ではありませんし、その学位も日本の大学のものではなりませんし、有名大学のものでもありません。

しかも、日本の大学教育に関わったこともありませんし、ましてや日本の院生を指導したり、触れ合ったりしたこともありません。つまり私はメインストリームを歩んできたわけではないので、今日の話は話半分で聞いてください。ケーススタディの一つとして、こういうやり方や考え方もある程度に聞いてもらえれば幸いです。

非模範的院生

まず、「大学教授になりたい」「研究したい」系の人はこの記事を読んで得るところはないと思います。私は嫌々大学院に通って、嫌々論文を書いていましたからね。時々「研究するのが楽しい」「論文を書くのがおもしろい」という人がいますが、私は1ミリたりともそんな考えをしたことがありません(その過程におもしろい面があるのは確かです。これについては後述)。

もっと具体的に言うと、「ここに深さ1メートルの穴を掘って、その土で山を作ってください。山ができたらその土を穴に戻してください。この作業を100回続けたら修士の学位を差し上げます」という提案を受けたとしたら、何も考えずその提案に乗っていたでしょう(ありえないけど)。

つまり私は真実を追求する学徒だったのではなくて、就職のためにただ資格が欲しかっただけのなんちゃって院生だったのです。決して模範的な院生だったわけではありません。

就職のための大学院

韓国の民間の日本語学校で働いている頃、同じ地域の大学で働く日本人の日本語の先生がいました。その方と仲良くしてもらっていたんですが、聞くと大学は夢のような待遇なんですね。

授業コマ数は当時の私の半分以下。一年に2回夏休みと冬休みが2ヶ月ずつあります。そして給料は倍くらい違う。考えられますか?

で、「どうやったら大学の先生になれるのですか?」と聞くと、「修士の学位が必要」とのことでした。そこで私は諦めかけました。というのも私は卒論でさえ死ぬほど苦労し、「論文など二度と書かない」と、じっちゃんの名にかけて誓ったような人間だったからです。

しかし、その先生と話していると、

「うちの大学でも修士とれるよ」

というのです。つまり韓国の大学で院生になるということです。調べてみると学費もそんなに高くないし、日本の大学で修士学位をとるより何倍も楽なんじゃないか?と根拠のない確信も生まれ、流れに身を任せて願書を書いて、晴れて大学院生になったのでした(もちろん仕事を続けながら)。

楽をさせてくれない

実は、ラクショーと思っていたんですね。教授陣は全員韓国人ですし、日本語専攻なら日本語ネイティブの強みがあるだろう、テキトーな屁理屈こね回していれば修士の学位くらいちょちょいのちょいに違いない。というね。

しかしそんな甘くないですね。もう大学院の先生とかになると、ネイティブとか非ネイティブとか関係ありません。普通に大学教授なんですね。「これは本腰入れないと大変なことになるぞ」と身を引き締め、学業に勤しんだのでした。

そして泣きながら論文を書き、何度も挫折を感じながらもpcに向かい、晴れて修士学位を手にしました。

その後運良く念願だった大学講師のポストを手に入れて、「あとはぬくぬく暮らそう」と思ったんですけど、人生そんなに甘くないですね。確かに待遇は全然いいんですけど、韓国の大学の講師はほとんど契約ですから、学校の事情とかでバシバシ切られてしまうんですね(中には正採用の教授もいます)。

それはかなわん、と思って「ぬくぬく生活」を続けるにはどうすればいいかと考えてたら、「そのうち大学講師のポストも博士学位が必要になるかも」みたいな話を多方面から聞くようになりました。それで、また近隣の大学の博士課程の門を叩いたんですね。

博士課程も大変でした。博論を書く条件として指導教授に課されたのは「査読論文5本」でした。詳細は割愛しますが、泣きながらそれをこなし、修士修了の7年後に博士学院を取得したのでした。

そういうモチベーションもある

というわけで、私の大学院へのモチベーションは「真実を追求する」ことでもなく、「学問を究める」ことでもなく、ただ単に「ぬくぬく生活」のためでした。

そういうことを言うと非難の矢面に立たされるとは思うのですが、そういう動機もありではないかと思います。動機はそこから発していますが、別に手を抜いてはいませんからね。手を抜けるもんなら抜きますが、韓国だろうが日本だろうが、手を抜いて論文なんて書けませんよね。もちろん一生懸命書いたもののレベルが低い、ということはあるでしょう。でもそれと手を抜いていることとはまた別のことです。

で、結果として、その過程について振り返りますと、

やっぱやっていて良かった

と思います。はっきり言いますと、論文を書いたり学位をとった経験は日本語教師としての能力にあまり影響を与えていないと思います。端的に言うと、学位と授業がうまいかどうかはまったく関係ないと思います。

仮にパラレルワールドで「大学院に行った自分の今」と「大学院に行かなかった自分の今」とで授業の遂行能力がどう違うか?を比べることができたとしても、その授業の質はほとんど同じなんじゃないかと思います。私の場合は日本語文法研究がメインだったということもありますしね。

しかし、パラレルワールドを比較した場合、大学院に行っていなかったら、

おそらく日本語教師はやめている

のではないかと思います。私は上で言いましたように、大学院に行くことによって大学講師の職を得ました。大学講師の職を得ずに学士学位だけで韓国の日本語教育界に残るということは選択肢としては事実上ないと思います(私の場合ですよ)。

かと言って日本に帰ってきてたとしても日本語教師は続けていないだろうなと思います。まず私のような経歴では日本語学校とかは積極的に採用してくれないし、当時は日本語学校で働くことをポジティブに語ってくれる人もいませんでしたからね。

つまり、今の私がいるのは大学院に行ったからなんです。

そうなると、「大学院に行って日本語教育業界に残った私(つまり今の私)」と「大学院に行かないで日本語教育業界から離れた私」とのパラレルワールドの比較をしたらどうなるのかということになりますが、まあそんなことを比較しても意味がないのでやめます。

研究もおもしろい面がある

というわけで、少しでも良い待遇を求めて大学院に通ったわけですが、大学院での勉強や研究が超つまらなかったというわけではありません。覚悟を決めるとなかなか勉強も楽しいものです。

私は上述しましたように、日本語文法の研究のマネごとをおこないました。ですから、日本語学の本や論考はそりゃ読み漁りました。山田とか、三上とか、金田一とか、工藤とか、高橋とか、寺村とか、仁田とか、渡辺とか、影山とか思いつくままに名前を上げましたが、この名字を見るだけでも当時の論文を読んだときの感動や感嘆が思い出されます。決して私の友だちの名前じゃないですよ。

日本語学の研究って、結局は「神が作った隠されたルールをいかに見つけるか」なんですよね。そしてレジェンドクラスの日本語学者はそのルールをほんと鮮やかに見つけて、私達に教えてくれるんです。それを読むのは本当に楽しく、刺激的なものでした。

博士課程の頃、日本へ帰省するたびに各地の大学の図書館にいって、論文をコピーして帰りました。ネットであたりをつけて半日がかりでコピーをするんですけど、一つの大学で20~50ほどの論文をコピーします。それを韓国に持って帰るんですけど、「どうやって持って帰るのが最も安全だろうか」ということを本気で考えていました。論文の束は命の次に大事なモノなのでした。

私の場合は「副詞」の中でも「程度副詞」ということにしばらくの間関わっていたんですが、毎日程度副詞のことばかり考えているものだから、日常生活で「程度」という文字が見えるたびにドキッとする時期がありました。

昔、トーマス・マンの作品に心酔していた北杜夫に関するエピソードにこんなのがあります。街中を歩いていた時にある看板が目に入りどっきりしたというんですね。その看板をよく見てみると、

トマトソース

と書いてあったとのことです。「トーマス・マン」と「トマトソース」。まあ似てるっちゃ似てますよね。私はこのエピソードほんとによく理解できます。程度副詞とかかずらわっていたときの私がそうでしたから。全然文脈関係なく、サブリミナル効果みたいな感じで「程度」にドキッととしていました。そしてその字面を見るたびに軽く興奮していました。変態ですよね。

ただ、書くのはあんまり好きじゃなかったですね。程度副詞に関する神が隠したルールを先人たちがどのように発見したか、を見るほうが好きでした。私はルールを発見できる気がしないと思っていましたからね。でも、結果的には小さなルールや、マニアックなルールは発見できたと思っています。

というわけで、大学院に入った理由は不純なもので、真実究明の学徒の皆さまにはお叱りをうけるかもしれませんが、勉強はそこそこ楽しかったし、高いレベルの知的活動をおこなえたことは財産になっていると思います。

まとめ

というわけで、「私と大学院」との関わりについて思い出せる範囲で書いてみました。日本の事情とはまた違うと思いますが、一つのケーススタディとして読んでもらえれば幸いです。

まず、私が大学院生生活をそこそこ謳歌できた理由の一つは、良い人たちと出会えたということが上げられます。おそらくそれが大学院生活の半分を占めるのではないでしょうか。

最も大切なのは指導教授ですね。私は幸運にも本当に素晴らしい先生方に指導を受けることができました。他の人から勉強より先生の機嫌取りのほうが大変だという話は腐るほどききました。私の場合はその辺のストレスはほとんどありませんでしたからね。ラッキーでした。むしろ大学の事務方との折衝に疲れることはよくありましたが。

あとはやはり、私の勤めていた大学の仕事がぬるかったことですね。論文作成に時間を割くことができました。しかしそもそも「勤めていたその大学」も大学院に通っていた(修士をとった)から勤めることができたのです。

というわけで、私の大学院に対する感想を一言で言いますと、

もう勘弁してほしい

といったところでしょうか。参考になれば幸いです。

※番外編はこちら↓



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