レビュー『翻訳というおしごと』

投稿者: | 2020年12月4日

実川元子(2016)『翻訳というおしごと』アルク

私は日本語教師ですので翻訳はしませんし、できません。ただ職業柄、「翻訳」という作業と関係を持つことは多々あります。また、仕事としての「翻訳」とは今後とも縁がないとは思いますが、「翻訳」という知的活動自体には興味があります。↓のような記事を書いたこともあります。

日本語教師と翻訳

そもそもですね、「翻訳者」というのは外国語を扱う仕事としては非常にわかりやすい仕事ですよね。子供が「サッカー選手になりたい」「バスの運転手さんになりたい」と言うように、傍から見てわかりやすい外国語を使う仕事です。私も今まで日本語教育機関で働きながら、「日本語が上手になったら、将来的に翻訳の仕事をしたいです」というような若い人を数多く見てきました。

ほぼタイトルだけ見て購入し、読み始めました。タイトルから類推するに「翻訳とはこんなおしごとですよ。こんな魅力があるんですよ。若い皆さんぜひ翻訳者への道を歩んでください!」というような本を想像していたんですが、期待はいい意味で裏切られました。

かなりガッツリしています

「高校生のみなさん~」的な本じゃありません。ですので「将来は翻訳者に!」みたいな人は心して読んでください。少なくとも私が「翻訳者になりたい!」と思う若人だとしたら、一読後は「やめとこ…」となると思います。

翻訳者を取り巻く状況

「翻訳者というのはわかりやすい仕事だ」と言いましたが、それはイメージ的なことであって、その業界がわかりやすいということではないですよね。目から鱗の業界情報が満載です。以下、脈絡なしに私が「へえ」と思ったことを引用してみます。

まず翻訳には大きく分けて「実務翻訳」「映像翻訳」「出版翻訳」の3種類があるそうです。私たちは翻訳というと「小説の翻訳」みたいなものを想像しがちですが、

出版翻訳だけで生計を立てている翻訳者は、一〇年前にはそれでもトキ程度には散見されていたが、今ではニホンオオカミ並みだ。いるとは聞くが、名前は挙がらない。(Kindleの位置No.43-45)

↑だそうです。ニホンオオカミ並ってことはほぼ絶滅してるということですね。もっとも規模が大きいのは「実務翻訳」だそうです。専門性が求められるところですよね。医薬、特許、金融、IT、工業、ゲーム。もうそのカテゴリーを見ただけで「だれでもできる仕事ではない」というのがわかりますね。

しかし「機械翻訳の精度が上がれば翻訳という仕事はなくなるのではないか?」そう考える人いるでしょう。私はそう思いました。しかし↓

ヒト、モノ、カネ、情報が国境を越えて激しく動くこのグローバル化した世界で、言語というボーダーを超える必要性、つまり翻訳の必要性はますます高まるに違いない、(Kindleの位置No.49-50)

著者はまったく逆で、翻訳というのはこれからますます重要になってくると言っているんですね。確かにそのとおりです。

そしてやはりその技術の発達にともなって…

近年、機械翻訳でアウトプットされた文書を、わかりやすくすっきりした文章に編集して書き換える「ポストエディット」という仕事が翻訳関係の仕事の中に加わった。(Kindleの位置No.563-565)

という変化もできているそうです。そうですよね。機械の力を借りないわけにはいきませんよね。

最近では、劇場公開の映画においても吹替版が字幕版の興行収入を上回る傾向があり、劇場公開作品でも吹替が増えてきている。(Kindleの位置No.624-625)

↑これはびっくりしました。そう言えば最近アマゾンとかで洋画を選んでいて「吹替版」が結構多いなと思っていました。まあ吹替版にしても、字幕版にしてもどちらにしても翻訳者の力は必要ですね。

翻訳に求められる能力

これは当然ですけど、↓のようなことが言われています。

「ネイティブ並みに英語で会話ができても、翻訳ができるわけではない」(Kindleの位置No.1104-1105)

では、どんな力が必要かというと興味深い記述がありました。

翻訳力は、読解力と表現力を掛け合わせたものである、と私は考えている。外国語、日本語を問わず、文章で書かれていることはもちろん、書かれていないことも文章の間から読み取る読解力。それを別の言語で正しくわかりやすく伝えるための表現力。その両方をプラスするのではなく、掛け合わせたものが翻訳力となる。(Kindleの位置No.1253-1256)

これを読んで私がふと思い出したのは外国語教育における「対照研究」です。

例えば日本語の「飲む」に対応する英語は「Drink」だと思いますけど、その使い方や概念は100%重なるわけではありません。例えば日本語では「薬を飲む」と言いますけど、英語ではその時「Drink」という語を使いませんよね。対照研究はそういう両者の概念を比較対象して研究するジャンルですが、これを高いレベルで実行するためには両者の言語に高いレベルで通じていないといけません。言語的な理解もそうですし、外国語の論文などを読んで整理する力なども求められるでしょう。なので私は大学院の先生に

絶対やめとけ

と言われました(私は日本語文法が専門でした)。翻訳者もそれに近いんじゃないかな、と。もちろん何を専門にするかですけど、日本語⇔外国語、双方向の翻訳をするとなると両言語に通じる必要がありますよね。普通は一つの言語に通じるだけでも難しいと思います(日本語で文章をかくのも難しいですよね)。

翻訳者の働き方

おそらく翻訳一本でたべられている人は変態です(いい意味ですよ)。2つ以上の言語に高いレベルで通じるというのがどれだけ難しいことか。だからレベルの高い翻訳者であればあるほど、日々の努力を欠かさないそうです。本書で出てきた言葉が、

翻訳筋トレ
冷蔵庫勉強法

これ、内容を聞かなくても大体想像つくのではないでしょうか。私のレビューの目的はこの本を売るのが目的です(冗談ですよ)ので、気になる人はぜひ買って読んでみてください。いや、とにかくプロの翻訳者として高いレベルの仕事をしようと思ったら、そういう日頃の努力が必要になるということなんですね。

そうやって日々鍛錬をおこなう翻訳者のみなさんですが、どうやらフリーの人が多いみたいです(想像はつきますが)。ですから業務の内容もそうですけど、それ以上に働き方についての悩みなどもあるようです。

「翻訳者は個人事業主です。企業で働いていれば、本人が納得するかどうかは別にして上司から能力や働きぶりを査定されますが、個人だと自分で自分を査定しなければならない。もし自分で自分の査定基準が作れず、自分にできることが定義できないとたちまち不安になるでしょう。不安が高まれば、たとえ単価が低くても声をかけられた仕事は全部引き受けてしまい、質が低いものを納品して信用を落としたり、無理をして体を壊したり、と自分で自分の首を絞めてしまうようなことをしがちです」(Kindleの位置No.1383-1387)

そしてやはり↓のようなフリーならではの悩みがあります。

私にとって大きなストレスは、仕事で誰かとつながっている感覚が持てなかったことだった。(Kindleの位置No.1424-1425)

それでですね、やはり当然の流れとして協力体制を築こうという動きが出てくるんですね。

翻訳者同士が協力体制を築き、情報を共有することで、生産効率を上げ、仕事の質を上げ、仕事量を増やして、収入をアップすることが可能なのではないか。(Kindleの位置No.1439-1440)

協力体制と言うのは、別に組合みたいなハードなものではなくて、TwitterやFacebookのグループのようです。このへんは近年の日本語教師の集まりに近いものがあるな、と思いました。

翻訳者同士の連携に力を入れている翻訳者ほど、よい仕事をしている。(Kindleの位置No.1444-1445).

「翻訳者ネットワークの構築が、翻訳業界で生き残っていくための要だ」と言い切る。(Kindleの位置No.1526-1527)

日本語教師と翻訳者

私は以前名言を吐いたことがあります。

すべての日本語教師はフリーランスである

これの意図するところは、日本語教師には新卒でつとめた学校に定年まで勤め上げるような働き方の人はあまりいないし、他の職場に移ることを前提にしていないといけない。だから個人のブランド価値を高めていく努力が必要であるという意味です。もちろん中には本当にフリーランスで日本語教師をやっている人もいますが、大多数の人はどこかの学校や機関に勤めてお給金をもらっているでしょう。

でも、通訳者というのは本当にフリーランスなんですよね。だからこそ、日本語教師以上に個人ブランドを高めていかないといけません。

その個人ブランドや能力の高め方というのは同じなんですね。日本語教師も授業に入れば一人、翻訳者も一人、咳をしても一人なのは同じです。一人でやる仕事なんですけど、その前段階としては「他者との協力」があるんですね。協力とは「ノウハウや情報の共有」ということです。

おそらく、共有することが多い人は翻訳界でも日本語教育界でも、良い仕事をしている人でしょう。個人プレイの仕事ほど、他者との連携を意識しなければいけない(これも名言ですね)というのはなかなか興味深い事実ですよね。

ちなみに↑の名言は国士舘大学の学生を前で発したものです(若い人へのメッセージです)。

「つながり」と「ICT」~日本語教師のキャリア形成 in 国士舘大学~

まとめ

というわけで、「翻訳というおしごと」という本について見てきました。翻訳者という仕事の実態について非常によくわかる本です。興味のある方はぜひ読んでください。

翻訳ということについて以下の様な記述がありました。

翻訳とは、二言語で書かれた文の意味の中心を合わせ、原文を読んだ人と訳文を読んだ人が頭の中で同じ絵を描けるようにすることでしょう。(Kindleの位置No.1550-1552)

これは素敵な表現ですよね。翻訳はそうでなくてはならないし、そうあるべきです。母語や使用言語の違う「原文を読む人」と「訳文を読む人」が同じ絵を思い描くように努力をする、それは本当にやりがいのある仕事なんだろうなと思いました。

実川元子(2016)『翻訳というおしごと』アルク

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