『日本語教育の新しい地図』①

投稿者: | 2021年12月2日

本日ご紹介するのは、青木直子, バーデルスキー・マシュー編集(2021)『日本語教育の新しい地図—専門知識を書き換える』ひつじ書房です。

電子版はありません。専門書ですので少し値段も高めになっていますね。購入するかどうかは別として、非常におもしろい内容でしたので、さらっとその内容をご紹介したいと思います。

基本的には論文集的な感じです。全14章の構成になっており、それぞれの章が一つの論文(と、それに対する解説があるものもある)です。

タイトルの「日本語教育の新しい地図」はその内容を過不足なく表しています。「地図」を見る時にまず必要なのは「現在地がどこか」ということですが、変わりつつある日本語教育や日本語教育研究の現在地をまず示してくれた上で、そして、これからどこへ向かうのかという方向性までもを示してくれます

それぞれの章(論文)は概論的なので、ガチの研究者の人にとっては当たり前のことかもしれませんが、全部で14章もありますし、その14の分野全てにガチの人はあまりいないと思います。そして私のようなガチどころか、研究者でもない人間にとっては「日本語教育がどのように展開されていくのか」という概略を知れるということで非常に良いと思いました。

というわけで、この本は

・日本語教育の現在地をキャッチアップしておきたい人
・これから研究を始めようと思っている人(大学院に入ろうとする人)
・既に研究をしているけど、隣接分野はどうなっているのか知っておきたい人

などが読むといいのではないかと思います。では、以下各章についてつらつらとダイジェスト的内容、覚書などを書いていきます(ほとんどは自分への備忘録です)。

一気に書こうと思ったんですけど、書き始めたら長くなりそうなので、シリーズとします

第1章 言語におけるマルチコンピテンスとトランスランゲージング本能

いきなりゴツイのがきましたね。マルチコンピテンス?なんじゃそれ?

こういう難しめの語が出た場合、最初に定義してくれたらいいんですけど、なかなか定義してくれないんですよね。「説明しよう、マルチコンピテンスとは…」みたいな部分はありません。「マルチコンピテンス的な視点で言うと…」「マルチコンピテンスを持ち合わせた言語ユーザーは…」みたいな記述があって、それを手掛かりに推測していくしかありません。まあ読み進めていくと大体わかるんですけどね。

でもはっきり定義を調べておきましょう。日本語で検索してもあまりよくわからないので、こういう時は本家に聞きましょう。大御所Wikipedia先生の登場です。

Multi-competence is a concept in second language acquisition formulated by Vivian Cook that refers to the knowledge of more than one language in one person’s mind.[1] From the multicompetence perspective, the different languages a person speaks are seen as one connected system, rather than each language being a separate system. People who speak a second language are seen as unique multilingual individuals, rather than people who have merely attached another language to their repertoire.

https://en.wikipedia.org/wiki/Multi-competence

そして次にご登場願うのは若手のDeepL先生です。

マルチコンピタンスとは、ビビアン・クックによって提唱された第二言語習得の概念であり、一人の人間が複数の言語を知っていることを指す。第二言語を話す人は、単に自分のレパートリーに他の言語を加えただけの人ではなく、ユニークなマルチリンガルとして見られます。

若手なだけあって、最後は丁寧語で締めてくれましたね(笑)なんと良い世の中になったものか。

つまり、マルチコンピテンスとは

・複数言語話者
・言語能力を超えた価値の認定

を指すのかなと思います。てか、これってどこかで聞いたことないですか。私がすぐに思ったのはCEFRを語るときによく出てくる「複言語主義」です。

複言語主義を説明するときによく引き合いに出されるの「多言語主義」ですよね。多言語主義は例えば日本語、英語、フランス語を話せる人がいて、その能力をそれぞれの能力として評価するみたいな感じですよね。日本語はN2、英語はTOEIC700点とか。複言語主義はそれぞれの言語能力を独立したものとみなすのではなくて、それぞれの言語能力が互いに影響を与え合い、その結果が一人の人間の「言語能力」として一つのものとして存在しているという立場なんですよね(ちょっと言葉が違うかも許して)。

「マルチコンピテンス」はその「複言語主義」と似たようなものかなと私は理解しました。まあ、前者は「能力」のことで、後者は「主義」ですから、そもそもジャンルが違うんですけど、核となる概念は似たようなものかなと思います(間違っていたらごめんね)。

【レビュー】『日本語教師のための CEFR』

さて、次にトランスランゲージング

ここでも両先生に再登場願いましょう。

Translanguaging can refer to a pedagogical process of utilizing more than one language within a classroom lesson or it can be used to describe the way bilinguals use their linguistic resources to make sense of and interact with the world around them

https://en.wikipedia.org/wiki/Translanguaging

トランスランゲージングとは、教室でのレッスンで2つ以上の言語を利用する教育的プロセスを指すこともあれば、バイリンガルが周囲の世界を理解し交流するために言語資源を利用する方法を指すこともある。

よくわかりませんが、とにかく複数言語話者がその複数の言語能力を駆使して何かタスクをこなしていくことやその活動自体を指すようですね。なんとなくマルチコンピテンスと被る部分があります。

かわる教育

で、用語が大体わかったところで、論文の内容に戻ります。実は私もあんまりよく理解していないんですけど、このような概念はこれまでのモノリンガリズム的な外国語教育とは違いますぞということなんじゃなないでしょうか。あとネイティブスピーカー神話とかね。

つまり、英語と日本語ができたとしてもそれが別々に存在して、はいこの人は英語はTOEIC何点ですよ、日本語はN2ですよ的な考えとは違うという。だってそれらは同一人物の中に別個に存在している能力ではないのですから(考え方次第ですが)。それぞれの能力はそもそも混ざり合って存在していて、その人の言語能力や言語による課題遂行能力を体現しているものなんですから。

で、もしそういうマルチなんちゃらを念頭において教育をおこなっていくとしたら、教育従事者はどう動いていくべきか?これまでの教育とはどう変わってくるのかそういう感じの論文なのかなと思います。

ある言語でインプットをして、それを別言語でアウトプットするとか、そういうダイナミックな活動とか?

また解説の論文には近年増えてきた「タスクベース」の日本語教育についても書かれています。Candoとかですよね。要は「何ができるか」ということで、それができるならOKですよみたいな。旧時代の教育では「受け身文が作れる」とかそういうことにこだわってきたわけですけど、マルチコンピテンスとか、トランスランゲージングを意識すると、授業なども変わってくるということであり、そういう方向にシフトしていくことになりそうだということでしょうか。

まとめ

というわけで、私の能力不足が露呈しましたが、これを読んで「全然意味わからん、もっと知りたい!」と思っていただければ幸いです。おそらくこの論文は新しい何かを主張するというよりは、こういう動きがあるんですよ、ってことの説明なのかなと思います。

この本14章あるんですけど、最初の①で一章分しか書けませんでした。全部書けるのかどうかの先行きも立っていません。が、乞うご期待!

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