日本語教師と子育て

投稿者: | 2020年9月15日

今日もご訪問くださりありがとうございます。

当ブログをよく訪問してくださる方はご存知かと思いますが、私の書くものに対しては、基本的には話半分で聞いてくださいますようお願い申し上げます。そして特に今日は話半分どころか話四分の一くらいの態度で読んでもらいますよう、お願い申し上げます。

本論に入る前に、前提について記しておきます。

2020年9月現在、11歳と7歳の男の子がいます。小5と小1で、日本人学校に通っています。妻は韓国語母語話者で、私は日本語母語話者です。

では、話はいろいろ飛ぶとは思いますが、日本語教師視点で子育てについてのいろいろを書いていきます。

神の職場

前の韓国の職場は9年間勤めたのですが、長男が1歳から10歳まで、次男が誕生から6歳までの間でした。一番手のかかる時期ですけど、その職場は週休3日で、授業は週に10時間しかなく、しかも授業があるときだけ出勤すればよし。また一年に2回、2ヶ月以上の休暇があります。

神の職場ですよね。

妻は9時5時の堅い仕事をしていましたので共働きですね。ですからこの9年間は妻よりも私の方が子供と関わる時間が多かったです。

日本語教師をやっていて良かったと思うことは、私の場合、仕事の内容よりも働き方に感じることが多いです。この職場もそうでした。普通30代の勤め人が昼の3時とかに退勤できないでしょう。それができていたのだから感謝せざるを得ません。

もちろんこれは「日本語教師だから」ではなく、「その職場だったから」ということが大きいと思いますが、どの職場であれ、一般的な会社員よりは自由になる時間は多いのではないかと思います。

日本語教師は全般的に「不安定」というイメージがあります。その「神の職場」も年ごとの契約でしたし、給料も他の同年代の人と比べても低かったとは思います(今も契約なのは変わりません) 。ですが、「不安定」というのは逆に言うと「流動性が高く、再就職がしやすい」ということでもありますからね。モノは考えようですね。少なくとも子育てという側面においてはその不安定さがあったからこそコアに関われたと思っています(正規雇用になるとやはり忙しい)。

人格形成とバイリンガル敎育

子供が生まれた時、子育ては私にとって初めての経験ですので、結構本を読みました。で、今振り返ってみますと、私が読んでいた本は大きく2つに分けられるような気がします。

・人格形成系
・バイリンガル敎育系

バイリンガル教育に関してはこのブログでもいくつか論考や本の紹介をしていますので関心のある方はそちらをどうぞ。


で、人格形成系の本もいろいろ読んだんですけど、その中でよく覚えていることがあります。誰の本か、どの本かは全然覚えていないんですけど、確かこんな感じでした。

子供の人格形成に大きく影響を与えるものには以下の3つがある

1)本人の生まれつきの性質や性格
2)生育環境
3)周囲の人の関わり方

1)の生まれつきの性質や性格は、どうにもし難い。また、2)の環境も変えようと思えば変えられるけど、「子育ては田舎でするほうが良い」とか「大きい家で育てたほうが良い」とか「小動物を飼った方が良い」とか言っても、そんなに簡単に変えられるものでもない。だから私達が一番やりやすいのは3)の「関わり方」を考えることなのである。

というような理屈で、親の子供に対する関わり方を説く本でした。その内容はすっかり忘れてしまいましたが、とにかくこの理屈については覚えていて、「良い関わりとはどういうものか」を考えていたような気がします。

生まれ持った性質や性格

さて、やはり言語の方に戻りましょう。「生まれ持った性質や性格はいかんともし難い」というのは本当にそう思います。特に2人の子供の言語に対する関わり方を見ているとそう思います。

我が家では流れ上、一人一言語というのをやっていまして、基本的に2人の親(私と妻)はそれぞれの母語で子供たちに話しかけます。それはずっと変わっていません。

長男は、文字に全く関心を示しませんでした。それは日本語も韓国語も同じで、小学3年生まで韓国のローカルの保育園や学校に通っていたんですけど、おそらくクラスで唯一小学校入学時にハングルの読み書きができない子供でした。もちろん平仮名もだめです。

保育園でも教えてくれてたみたいなんですけど、そもそも関心がないので全然覚えないんですね。そういう場合普通世間では「引っぱたいてでも教える」みたいなんですけど(比喩ですよ)、私はそういうのが好きじゃないので放っておきました。文字の読み書きを強制しなかったということです。入学後は多少苦労したものの、まあ普通の子供が読める程度に読めるようになりました。

一方次男は、同じような環境で育ったにも関わらず、勝手に文字を覚えました。いつの間にか読めるようになっていました。また日本語の文字に関しても、入学前にある程度読めるようになっていました。

でも、だからといって、次男の方が言語に関心があるのか、と言われるとそれは違うんです。長男は文字には興味がないんですが、お話とかストーリーには興味があるんですね。

子どもたちが小さい頃から絵本の読み聞かせや私の自作のテキトー物語を寝る前に聞かせていましたけど(もちろん私の口から出るのは日本語です)、長男は喜ぶ反面、次男は「やめてくれ」とまで言うんですね。長男は今小5ですけど、そういえば、昨日の夜も寝る前に私のテキトー話を聞きたいというので「たぬきときつねの化け合戦に巻き込まれた話」をしてやりました。小1の次男は聞く耳持たずです。

こういう性癖というか傾向は、言語学習スタイルにも関わってくると思います。長男が外国語を勉強する場合でも、やはり音重視になるでしょうね。

やはり「学習者の学習スタイルは尊重しなければならない」ということを思います。

生育環境

バイリンガル敎育について言いますと、環境の力は非常に大きいと思います。

うちの子たちはそれぞれ10歳、6歳まで韓国で育ちました。身近な日本語話者というのは私だけで、一年に1度か2度神戸の実家に帰省し、祖父母と話すくらいです。学校や保育園はもちろん韓国のローカルという環境です。

私は一貫して日本語で話していましたので、結果としてうちの子たちは典型的な受容的バイリンガルになりました。生活面での日本語の語彙や表現は私がコントロールしなくても理解できましたが、子供の口からでる産出はほぼ韓国語でした。

おもしろいのは、先ほど上の子は「ストーリー性のあるものが好き」と言いましたが、アニメなどで日本語と韓国語のチョイスが可能なものでも、いつも日本語を選んで見ていました。「ワンピース」とか韓国語版もあるんですけど、「韓国語より日本語の方がしっくり来る」のだそうです。

というわけで受容的バイリンガルだったわけですが、一年半前から住む国を変わり、子供たちを日本人学校に入れたんですね。どこの学校に行かせるか、かなり悩んだんですけど、今後も私の仕事を軸に住むところが決まりそうだということで、日本寄りにしておこうと思ったわけです。

転入から1年半たった今、5年生の長男は、やはり他の子に比べると総合的な日本語能力は劣ると思いますが、ついこの前まで受容的バイリンガルだったとは思えないくらいになっています。私は「韓国語の干渉」とかがよくわかるのでそれに気づきますが、そのあたりに通じていない人が聞いたら普通に日本語ネイティブだと思うと思います。漢字などの書き取りの間違い方は普通のネイティブとは違うような気もしますが。

次男は1年間は英語幼稚園に通って、その後日本人学校に入学して半年がたちました。次男も長男と同じ感じかな、と思います。担任の先生には「日本語ネイティブではないので、その辺配慮してもらえるとありがたい」と伝えたんですが、「そんな気配ない(ネイティブと変わらないということ)ですね」という反応でした。

韓国など、その国の言葉が強い場合、日本語環境を整えるというのはなかなか難しいことです。私は息子たちをバイリンガルに育てたいという気持ちは強くなかったのでそこまで環境の整備に努力をしてきませんでしたが、必死に環境を整えようとする人は少なくないです。補習校に通ったり、日本人の親を持つ子供同士遊ばせたり、日本の通信教育をやったり、読み聞かせ会をおこなったり、帰省の一月の間だけ日本の学校に通わせたり、それはそれは傍で見ていてもすごい努力だということがわかります。

でも、ちょっと国が変わって、通う学校が変わると一変するんですよね。やはり環境というのは変えにくい反面、影響力を大きく及ぼすのだな、ということがわかりました。

トレード・オフ

というわけで、ちょっと前まで受容的バイリンガルだった子供たちが普通に日本語を話していることからもわかるように環境、通う学校は子供たちの言語能力に大きく影響を及ぼすようです。

私は、ちょっとかっこつけますけど、そのあたりは予想どおりでした。言語的にはそのように発達するだろう、というのは、まあそういうので飯を食っているわけですから事前にわかっていました(唯一予想が外れたのが、長男の漢字の読み取り能力です。私が思うよりも遥かに上手に漢字を読むことができています。書くのはまだまだですが、読みはマイナス1学年程度の漢字をすらすら読めている気がします)。

目下の(私の)関心事項は、韓国語の能力をどう伸ばすかということです。上の子は10歳まで韓国語環境で学校に行っていましたから年齢相応に読み書きができますが、下の子は読み書きのみならず、語彙面でもちょっと韓国語があやしいです。韓国で学校に行っていませんので、学用品や学校用語、授業や友だちとの交流で使う用語などはすっぽり抜けてしまうだろうということが予想されます。それを補うために、韓国語の補習校みたいなところを訪れたり、家で練習したりするんですけど、大人しく勉強させるのはやはり難しいです。

そう考えると、やはり子供の言語の習得はトレードオフの関係だなと思うのです。

今まで低かった日本語能力が上がるのは良いことですが、そこが上がるということは韓国語能力が上がらないということでもあります。それをどうにかするためには環境をちょっとずつ変えるというのが良いだろうと思います。半年は日本の学校に通い、半年は韓国の学校に通うとか。が、そんなの現実的じゃないですよね。そう考えるにつけ上の方で紹介した育児書の、

環境は変えるのが難しい

みたいなところに行き当たるのですね。やはり「生まれ持った性質・性格」「生育環境」は自分の意思や考えだけで変えるのは難しいです。子供の言語の習得だけに命かけてるわけじゃないですから。

今後見極めたい部分

子どもたちの言語発達について、いくつか関心事があります。1つ目は、

兄弟間の言語がどのように変わるか

今は観察していますと韓国語で長男と次男は会話しています。ただし、これから日本人学校生活を続けていきますと日本語の方が優勢になるのは明らかです。それがどのように変わるか。

これ、難しいところです。というのはですね、私は上の方で「うちでは一人一言語をやっている」ということを書きましたが、別に「それを必ず守るようにしよう」とかそういうのはないんですね。習慣としてあくまで自然に日本語で話しています。

でもね、子供に話しかける時に韓国語がふと私の口から出るときもあるんですが、なんかすごく嫌な感じがするんです。妻に対しては韓国語で話していてもその直後に息子たちに日本語で話すと大きな違和感が出るのです。つまり誰に話すかによって言語が固定されているわけですよね?また、特に長男なんですが、私がふと韓国語で話しかけると、すごく嫌な顔をするんです。

もう長男、次男間では韓国語で話すのが普通になっているわけですが、日本語が強くなるにつれてその言語の使用が変わるでしょうか?私は「変わらない」に一票を投じます。やはり2人で日本語で話すと違和感が出てくると思います。

しかしそのためには知能の発達に見合うだけの語彙力や表現力を韓国語で身に付けないといけないわけですよね。そのあたりうまく習得が進むのかな~というのが気になります。メディアが発達していますし、韓国語のコンテンツも見ているようですから、もしかしたら兄弟間で話す程度の韓国語は自然に身についていったりするのかな?と思います。

2つ目は、

日本語がどのように韓国語に影響を与えるか。

今はまだ小学生ですけど、中学高校に上がるにつれて語彙力がついてきますよね。そこでつく語彙力には漢字語の占める割合が多いじゃないですか?日本語と韓国語は漢字語というのは大体共通していますから、漢字の読み方さえわかれば極めて簡単に日本語⇔韓国語の置き換えが可能なんですよね。

私は、日本語能力がついてきて、漢語の習得が進めば、それと同時に韓国語も自然習得される、と考えるのですがそのあたりはどうなるか、気になります。

まとめ

タイトルは「子育て」を掲げているんですが、結局話の中心はバイリンガル生活色々的な内容になってしまいました。

実は、子育てにおけるブリーフ、じゃなくてビリーフも少し書いてみたんですけど、それって自分が論じるべきことじゃないよな、ってことで全部消去しました(笑)

強引にまとめますと、バイリンガル敎育においてはやはり自分でコントロールしにくい部分、つまり「生まれ持ったもの」と「環境」が大きいわという感じですかね。

そして結局環境が変わっても時間というのは有限ですので、2言語の習得はトレードオフの関係にあるんじゃないか、ということですね。そのバランスのとり方がうまくできればバイリンガル敎育がうまくいくと言えるんでしょうね。

やはりイマージョン敎育でしたっけ?カナダとかでやってる英語とフランス語を意図的に使い分けて敎育するやつ。そういうのは環境をゴリ押しで変えるわけで、すごいなあと思いました。

やっぱり今日の話も話半分で聞いてもらえるといいですね。

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