日本語スピーチコンテストの審査方法について考える1

投稿者: | 2020年11月10日

スピーチ大会・弁論大会というものがあります。世界中、日本中で開かれていると思いますが、今日はその審査の方法について考えていきたいと思います。長くなるのでシリーズとします。

最初に言っておきますが、この一連のシリーズを読んでも「これが日本語スピーチ大会における唯一、絶対の素晴らしい審査方法である」というのはありません。私の経験や本で得た知識から問題点などを列挙していき、より良い審査方法を考える上でのヒントにしていただきたいと思います。参考にした本は、佐伯胖(2018)『「きめ方」の論理 ──社会的決定理論への招待(Kindle版) 』筑摩書房です。

よくある採点方法

まず、どこから議論をはじめればいいかわからないので、「よくある」採点方法を検討することから始めましょう。

①得点合計方式
②順位得点付与方式

このカテゴリーは私が勝手に命名しました。

①の「得点合計方式」は審査員それぞれが、決められた方法によって参加者の点数を出します。その後ですべての審査員の点数を合計し、その合計点数を比べて順位を出すものです。

②の「順位得点付与方式」は審査員が参加者のランキング(順位)を決め、ランクに応じた点数を付与します。その後ですべての審査員のランク点数を合計し、その合計点数を比べて順位を出すものです。

これ以外にも方法はあると思いますが、私が今まで参加した大会では、細かい点で違いはあるものの、概ねどちらかの方法だったような気がします。

得点合計方式

まず、この方式について検討します。この方式の中でもいろんな方法があると思いますので、モデルケースを出します。

①審査員は5人
②審査項目は「音声(発音やアクセント・イントネーションなど)」「表現力(非言語的部分)」「独創性」「内容」の4項目を各5段階で評価(つまり20点満点で評価)。
③各審査員が出した点数を合計し(満点100点)、その点を比較し順位を決定する。

この方式の問題点を上げてみます。

●審査項目の細分化に意味があるか

まず、私が疑問を持つ部分はここです。例えば、極端な話をしますけど、仮に参加者が「私は日本語を勉強しています」という発話を制限時間内に何度も繰り返したとします。もしその発話が綺麗(つまりネイティブと同じよう)で、強弱をつけてうまく話したとすると、この人は「音声」「表現力」で5点満点を獲得することになります。ほかは0点ですけど。

まあ、それは現実問題としてあり得ないとは思います。しかし、例えば、どこかで聞いたような話に多少リメイクを加えて、なんども練習して流暢に話せるようになったとします。その場合、「どこかで聞いたことのあるような話」ですから「独創性」点数は0点になるかもしれませんが、その他の点数は満点を得る、ということが理屈としては可能になるのではないでしょうか。

私が言いたいのは、スピーチの審査項目を細分化することに意味はないのではないか?ということです。スピーチというものは全体として評価するものですから、一つ一つの側面を取り出して点数をとることに意義を感じません。

もちろん分析的に評価をして優劣を決めることは可能だと思いますが、それって多くの場合スピーチコンテストの趣旨に合わないような気がします。

もし音声面での優劣を決めたいのであれば、テキストの内容を同じにしてそれを比較すべきです。多少音声面で劣っても、伝えたいという意思が強い人のスピーチは伝わってくるものもありますし、そういう部分はなかなか点数に反映されません。

●審査員はシロートさんが多い

スピーチ大会には「お偉いさん」が呼ばれることが多いです。大使とか、スポンサーの社長とか、学校の校長とか、いわゆる顔役ですね。別に偉いかどうかはどうでもいいんですけど、この人たちは日本語教育のシロートさんです。

細かい審査基準を考えて渡しても、人によって理解の仕方は違いますし、なかなか難しいものだと思います。例えば以前参加した大会で、「アクセント」と「発音」と「イントネーション」を別々に点数をつけて評価するというシートを渡されたことがありますが、我々のようなプロでも一度スピーチを聞いただけでそれらを適切に評価するというのは非常に難しいものです。そもそもシロートさんだと「アクセント」と「イントネーション」の違いも知らない人だっているのではないでしょうか(それが悪いということではない)。

で、そのような人たちが評価するとどうなるか、といいますと一貫性を持った評価ができなくなるので、結局「内容と日本語のうまさ(漠然としたものですが)」を拠り所に評価をし、細かい配分はあまり考えず、自分が「良かった」と思う参加者の総合点が高くなるようにテキトーな点数配分をおこなうことになります。

それが悪いと言っているわけではありません。細かい審査基準を考えてもそうなってしまうのが普通である、ということを言っています。またプロでも内容を頭の中で噛み砕きつつ、点数配分をおこなうのは至難の技ですから、結局はシロートさんと同じような審査方法になってしまいます(ソースは私)。だったら、審査基準の細分化ってそもそもやめたほうがいいよね?と思うんですね。

●結局相対的な評価になる

この方式の悪くないところは、審査員の一人一人の評価がちゃんと結果に反映されやすい、というところでしょうか。ただ、重要なことは審査員が自分の中での一貫性を持つことですね。

M1グランプリとか、昔のものまね王座決定戦とかを見ていると、審査員が点数をつける場面がありますよね。「10点、9点、8点、9点…」と司会者がその点数を読み上げます。中にはやはり辛口の人がいて5点とかつけちゃったりするわけですけど、その5点もその人なりの一貫した基準に沿っておこなわれれば、一人点数が辛い人がいても別に公平性に問題は生じません。

それは審査員も気づきますので、全員のスピーチが終わってから、「この人とこの人だったら、こっちの方が上だよな」と点数の微調整をおこなったりします(ソースは私)。だから結局、点数を積み上げる形の評価でも、相対的なものになるんですよね。

●そこそこの人が勝つ

圧倒的な質の違いを見せるスピーチがあったとしたら、それはどのような方式で決めてもその人が優勝します。問題はそこそこ拮抗している時にどうなるか、ということです。そのあたりの科学的な検証が必要になります。つまり、この得点合計方式で決まる勝者はほんとうに勝者と言えるのか、ということですね。

例えば参加者Aと参加者Bが一位争いになりました。それぞれの審査員がつけた点数が以下のようになったとします 。どちらが勝者にふさわしいと思いますか。

参加者A 95、95、95、90、75
参加者B 90、90、90、90、95

上の点数を合計しますと、Aは450点、Bは455点でBが優勝ということになります。

しかし、審査員のうち3名は参加者Aの方が点数が上だとしています。一人の審査員が低く採点した影響が大きく出たということになります。つまり、この方法は、一人の意見が割と反映される方法であり、全員から平均的にそこそこの評価を得た人が勝つという方法であるということです。

一人の審査員の影響力をもう少し下げるためには、点数最上位の人と最下位の人の点数を除外するという方法もありますね。フィギュアスケートとかのアーティスティックスポーツでよくとられる方式です。それを導入するのもアリかと思います。もしそれで上の場合の計算すると、

参加者A 95、95、90
参加者B 90、90、90

となり、参加者Aの勝利になります。

つまり、同じ評価をしても方式を変えることで順位は入れ替わるので、「この大会では何を優先して評価をするのか」を根本からしっかり考えておかないといけないというわけです。

1のまとめ

というわけで、今回は「得点合計方式」について思いつくことを書きました。まとめますと、

・採点基準の細分化はなかなか難しいし、その意義に疑問符がつく
・実際の採点は相対的な評価になりやすい
・最高点と最低点を除く方法だと、一審査員の影響力を最小化できる

「一審査員の影響力を最小化できる」というのは、よくよく考えなければならないことです。例えば一人点数が辛い(甘い)審査員がいたら、どの参加者の採点もその審査員の点数は除外されてしまうからです。例えば、M1グランプリなんかでは、単純に審査員すべての合計点数で勝敗が決まりますよね。それは審査員に配慮した方法だとも言えます。

さて、得点を合計する方式でも「実際の採点は相対的な評価になりやすい」なら「そもそも最初から相対的な方法で勝敗を決めたら?」という考えがでてくることでしょう。

次の記事↓では「順位得点付与方式」について考えたいと思います。

日本語スピーチコンテストの審査方法について考える2

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