時間差で多様性に対応する

投稿者: | 2020年12月2日

私は常々、学習者一人一人の学習スタイルへの配慮が必要であるということを言っています。


一人一人の学習スタイルへの配慮ということは、もう少し大きい言葉で言いますと、多様性への配慮ということになります。学習スタイルや、また学習スタイルだけではない個人の特性への配慮を教育現場でもしていくべきだと考えます。

しかし、このような言説「多様性への配慮」はおそらく政治的にも教育的にも社会的にも人間的にも正しいとは思いますが、

具体的に何するの?

という質問に答えなければ、ただのスローガンで終わってしまいます。しかし「具体的」というのはなかなか難しいことです。おかれた環境などはほんと皆さん違いますから。そこで、ここでは

「具体的に何をすべきか」を考えるための考え方

について考えます(複雑ですね)。

一人(一者)ができることは限られている

学習スタイルへの配慮、というと思いつくのは、「応用優先」の学習者には行動中心アプローチ的な授業をおこない、「原理優先」の学習者には文法積み上げ式の授業をおこなう、みたいなことだと思います(この話については↓の過去の記事を参照のこと)。

カルチャーマップから考える日本語教育 その3 説得

しかしね、実際問題、そんな対応ってできるでしょうか。限られた時間、限られたリソースの中で学習者の多様性に全部配慮するということはできません。あたりまえですけど。宿題の提示なんかも、学習者の好みに応じて多様な中から選択するということを可能にするというのもありだと思いますが、いつも多様性多様性ということばかり考えていると疲れてしまいますよね。

ですから、考えるべきことは

私(この機関)が対応しなければならない多様性ってなんなんだろうか?

ということです。

英会話レッスンの話

数年前のことですけど、スカイプ英語レッスンみたいなものを受けていたことがあります。

■オンライン英会話から考える会話授業での振る舞い方

その英会話の授業って、教材は豊富なんですけど、どの先生も授業の進め方がだいたい同じなんです。おそらく新人研修みたいなものでその方法を叩き込まれるんだと思いますが、そこには多様性のかけらもありません。

ただ、多様性のかけらがなくても、私はこれでいいと思うんですよね。というのは、世の中にたくさんの英会話教室があって、オンラインの英会話もたくさんあって、その中で選択ができるわけですから。もしそのスカイプ英会話教室のやり方が気に入らなければ他のところに移ればいいだけです。

つまり英会話レッスン、特にオンライン英会話レッスンにおいては、総体的に多様性が担保されているんです。ですからそれぞれの教室や会社は、他者との差別化をはかり、独自性をアピールして、社会における英会話レッスンの多様性の一翼を担う存在としてあればいいのです。

じゃあ、そのスカイプ英会話教室は多様性について考えなくて良いのか?というとそういうことはありません。学習の進め方については多様性を考える必要はなくても、その学習方法に賛同してやってくる学習者の多様性にはある程度配慮する必要はあるでしょう。

例えばこういうことです。私はそこでの1対1のレッスンを概ね好意的に受け止めていましたが、やはり好きな先生、あまり好きではない先生がいました。先生は選ぶことができます。先生の多くは20代の若い女性でした。それはそれでいいのかもしれませんが、教えるのが上手いとか下手とか言う前に、私の場合は、二十歳の女性とかが先生になると、どうしても気を使ってしまうんですよね。

私は性別はどちらでもいいんですが、30代とか40代の人に教えてもらいたいな、と思っていました。でも、あんまりいないんですよね。結局30代と思しき男性と、若いけど馬があう女性の先生に絞って受講をしていたのですが、ここは多様性に配慮すべきところかな、と思いました(まあ、一般には若い女性の先生が好まれるのかもしれませんが)。

時間差で対応する

つまり、いたずらに学習オプションを増やすことだけが多様性への対応ではないということです。だって個人や一機関ができることには限界がありますから。その限界の中で、自分たちの置かれている状況をしっかり把握し、どのような多様性への対応をおこなうのか、できるのかを考えることが必要でしょう。

話が大きくなりすぎてきたので、個人でどのように多様性を保つかを考えてみましょう。雲をつかむような話になってはいけないので、私の話をします。

今、カンボジアの日本語教育関係者を対象に研修会のようなものを開いています。詳しくは後日報告いたしますが、基本的な流れとしては以下です。

ビデオ視聴→課題提出→個人面談

これを4ターンおこなって研修会終了です。普通研修会やセミナーとなると、全体セッションがあるのが普通ですが、今回はそれを含みませんでした。もちろん参加者同士が交流することも可能なんですが、多くの場合「私⇔参加者」の関係が強化されることになると思います。参加者同士の関係はあまり強化されないと思います。

それは始める前からわかっていたので、「私⇔参加者」の関係強化と同時に、「参加者⇔参加者」の関係強化をどう組み込むか、をかなり考えました。でも結論として、私は今回は研修会の特性もあいまって「参加者⇔参加者」の関係強化を断念することにしました(PCで一人で作業することが多いという特性です)。

当初はそれが「良くないのではないか」と思ったんですが、やっているうちにこう思うようになったんですね。

時間差で多様性に配慮することもアリなのではないか?

つまりですね、一回の研修会だけを見るとそれは「私⇔参加者」ラインしか強化されないものですが、私はこの研修会だけをやるわけではありません。年間を通じて研修会をおこなっているので、この次もあるんですね。だったら、今回「参加者⇔参加者」ができなかったら次で実現すればいいのではないか?と思うんですね。

参加者の中には「いろいろな人とざっくばらんに話したい」という人もいるでしょうし、「知識やノウハウが得られればそれでいい、人との交流は二の次」と考える人もいるでしょう。その雑多な目標や目的、スタイルに一人で対応するのって無理があるんですよね。だったら、今回はこれ、次回はこれ、というように研修会のスタイルを変えてやっていけばよいのではないか?と思うようになりました。

そして全体として、年間を通じて「研修会を受けてよかった」というような評価を受けられればそれで良いのではないかと。無理に一回の試行の中で様々な要素を入れるより、そういった時間差対応で多様性への配慮をおこなうべきなのではないかと思いました。

学習スタイルへの配慮も

「作文の授業」とか目的ががっちりしている授業などは別かもしれませんが、結構「漠然と日本語を習う」という授業がありますよね。大学の教養科目とか、民間の語学スクールとか。そんなときは日本語学習に対する思惑の違う雑多な学習者が混在したりします。

そのときにどう学習スタイルに配慮するか、ということなんですが、第一に考えられるのは宿題や課題のオプションを増やす、とかいう方法ですよね。読み書きをやりたい学生には日記を書いてもらったり、話したい学生には音声を録音してもらったり、というのが容易に想像できるかもしれません。

ただ、それに対応する方は大変です。宿題のチェックなんかもみんなまとめてできる方が楽ですよね。だったら週毎にタイプの違う課題を出すとかですね。選択の余地はなくして。それが時間差の対応です。

一回の施行では多様性に配慮できないけど、コース全体を振り返ると雑多な目的や学習スタイルに配慮できるということになります。教員の作業量やその他諸々を天秤にかけた時、そういう策略を考えるのが実はもっとも現実的なんじゃないかなと思います。

ただ、例えば「まるごと」なんかはそもそもそういった多様な活動が含まれていますから、この教科書を使うということだけで多様性への配慮ができているとも言えます。そうですよね?「聞く」とか「読む」とかそういうバランスが考えられてつくられていますから。…と「まるごと」礼賛のようになってしまいましたが、色眼鏡なしで見てもいろいろと考えられて作られていることがわかりますね。

しかし最も大事なのはやはりそういう多様性があること、学習スタイルが違うことを意識することですよね。いくらそれへの配慮がある教科書を使っていても、教師にその視点が欠如していては絶対に多様性の配慮などはできません。

まとめ

というわけで、最後は「時間差の多様性への対応」というところに着地しました。なんか最初はもっと大きな話をするような気もしましたが、割と現実的なところに収まってよかったです。

ただね、私は昔、大学に勤めていた時もこういうことを考えたことがあるんです。で、その時引っかかったのが「契約が1年である」ということなんですよね。長い目で見て、多様性への配慮を考えたとしても、来年の今頃私はここにいないかもしれないと考えると、とにかく目の前の授業に集中するしかないんですよね。点数をとりにいくしかないんですね。

だから、教育に携わる人はある程度の期間の雇用が約束されないといけないんじゃないかな、と思いました。今から10年くらい前ですね。まあそういうことを言っても何も変わりませんから、もう今は考えません。

とにかく自分に残されている期間を1という基本単位として考え、その中での多様性への時間差対応を進めていきたいと思います。


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