外国語学習とピアノ練習~文型積み上げと行動中心アプローチ~

投稿者: | 2021年4月5日

最近ピアノの練習をしています。

子供達にせがまれて電子ピアノを買ったんですが、見ていたら面白そうなので私もちょっと触ってみたんですよ。そしたら意外に面白いし簡単だなと思い、毎日1時間ぐらい練習をするようになりました。

私は音楽やピアノに関しては、全くもって素人です。鍵盤を見てドレミファソラシドがどの位置にあるかがわかるそのぐらいのレベルです。子供の頃、姉がピアノをやっていたということもあって、実家にはピアノがありました。暇な時に私も触ってはいましたが、結局「猫ふんじゃった」を弾いて、いつも終わっていました。…と書けば私がどの程度の音楽的素養を持っているかはご理解いただけるのではないかと思います。

でも、今回は毎日嬉々としてピアノを弾いています。

そんな中、ふと、外国語の学習とピアノの練習は本質的に非常に似ていると思いました。そしてその両者を学習アプローチの面から考えてみました。そのことをつらつらと書いてきます。

概要の把握

ピアノを練習するといっても、月謝を払って誰かに習おうというわけではありません。基本独学でやっていくつもりでいます。するとピアノの練習も基本は冒険家メソッドになります。


私はクメール語の練習を始めるとき、まずは「概要の把握」から始めました。クメール語について書いてあるページを見てみて、文字がどんなものか、文法はどういうやつか、音声体系はどうなっているのか、などをざっくり把握してみました。

ピアノを始めるにあたっても同じです。「ピアノ」「初心者」みたいなワードで検索すると、出るわ出るわ YouTube の動画。手当たり次第に見てみて、ピアノの練習とはどういうことなのかを考えました。

そこで私なりにわかったことは、「ピアノを弾く」ということには二つの種類があるということです。

・曲を弾く
・弾き語る

で、どちらにも共通するのは、コードを覚えると良いらしいということでした。曲を弾くにしても、弾き語りをするにしても、手っ取り早く何かを弾くためにはコードを覚えると近道になるということですね。

目標の設定

外国語の学習では目標を設定し、そこから逆算して日々の学習プランを考えるというのが常套手段でしょう。私はクメール語の場合は、日常会話ができるようになるということに目標を設定しました。そしてその目標を達成するにはどのような練習をすればいいかを考えました。もちろん長い過程ですのでやり方は日々修正を加えますが、日常会話ができるようになるという目標は固定しています。

ピアノでも目標を設定しようと思いました。でもあんまりはっきりとした目標っていうのはないんですよね。漠然とピアノを弾いてみたい、弾けるようになりたいと思っただけなんです。もちろんその延長線上には、「ふとした瞬間にピアノを披露して周りの喝采を浴びる」とか、そういうものもあるとは思うんですが、それは結果であって目標ではありません。私の目標は多分、

ピアノを弾くという行為を楽しむ

ということだと思いました。

なかなか難しいんですけどこれは今の時点でもう達成されてるんですね。だって今楽しんでピアノの練習をしているわけですから。で、これを持続させるためには、

技術を上げながら曲のレパートリーを増やす

これが必要だと思いました。語学学習で言うと「単語や文法を覚える」というのが技術を上げることですよね。で、曲のレパートリーを増やすっていうのは、その場面場面に応じた「言語的な振る舞いの幅を広げる」ということです。そしてその先にあるのは、どんな場面でも対応ができるようになるということで、それはピアノで言うと「初見で曲を弾けるようになる」とか、「即興で演奏ができるようになる」ということになるのではないかと思います。

アプローチの方法

ここからがこの記事の本題になるかなと思います

対象物(言語/ピアノ)の概要をつかみ、目標を定めました。では日々の練習でどのような方法を取るかということです。

日本語教育の世界で最近よく議論されるのは「文型積み上げ式」か「行動中心アプローチ」か、ということですよね。今私がピアノでとっている練習はどちらに入るんだろうかと考えてみました。

基本的にはYouTubeが先生です。様々な人の動画を見ていますが、「1時間で弾ける!」とか「たった4つのコードで!」みたいなものが多いです。

私が最近練習したのはビートルズの名曲「Let it be」です。簡単に聞こうと思えばこの曲は「C,G,F,Am」という4つのコードだけで弾けるんですね。左手でこのコードを押さえて、右手でメロディーを弾くだけでそれなりに形になります。

※蛇足ですが、Fのコードはギターでは鬼門ですよね。でもピアノではわかりやすいコードの一つです。

目標は 「Let it be」を弾くこと。で、これを弾くためには4つのコードを覚える必要がある。完璧な行動中心アプローチですよね。

もしこれが「文型積み上げ式的」なアプローチだったら、目標は「4つのコードを覚えること」。でその練習をした後に、最後の応用練習として「この4つのコードを使ってLet it beが弾けます。練習してみましょう」という流れになるはずです。

学習者の立場からすると、やっていることは同じです。もちろんアプローチが真逆なんですけれども、そこに大きな違いを見出すのは先生だけかもしれません。

だって先生の立場で考えても、なぜ Let It Be を持ってきたかと言うと、それは簡単なコードで弾けるから(そして誰でも知っていて、いい曲だから)です。これは言語学習における行動中心アプローチも同じです。課題の遂行が目標とはいえ、学習は易しいものから徐々に難しいものに移っていくのが普通です(「まるごと」的なものを念頭においています)。だから行動中心アプローチだってある意味積み上げて行くんですね。

2つのアプローチの違い

そこまで考えてわかったんですけれども、だからこそ文型積み上げ型の授業は「うまくやるのが難しい」「習熟するのに時間がかかる」んじゃないかなということです。

もし経験のある教師でしたら、どちらのアプローチを使ってもLet it beが弾けるのは同じことですから、その学習の成果に変わりはありません。でももし経験の浅い先生だったらどうでしょう。もしかしたら、「はい四つのコードを押さえられるようになりましたね。はい、では次の課ではセブンスコードを勉強しましょう」となってしまうかもしれないということです。つまり、コードの習得だけに焦点を当ててしまう。

学習者の側の能力が高ければそのような「コードだけを教える授業」でも「今日習ったコードでLet it beが弾けるんだな」ということがわかるかもしれません。でもそうでなければ、私は「メジャーコード、マイナーコード、セブンスコードまで習ったんだ」という理解だけで満足してしまう学習者を生み出してしまうかもしれません。

つまり良くも悪くも、文法積み上げ式の授業では教師・学習者の能力が問われるということになるのではないでしょうか。

だからといって私は行動中心アプローチが素晴らしいと言っているわけではありません。だってもし先生が今日は Let It Be を練習してみましょうと言っても、「おれビートルズ好きじゃないんだよね」という人がいたら、その人は学習が進まないでしょう。これはあくまでも比喩です。つまり授業での目標とする行動がその学習者にとって意義のあるものでないと思ったら、学習が促進されないということです。

だからこそ、教科書にも「成人向け」とか「海外に住んでいる人向け」とか、「中高生向け」というようなものがあるわけですが、もし教科書やアプローチの汎用性を考えるとしたら、「文型を中心に進めよう」というのが一つの解決策として浮かび上がってくるのは至極当然だと思います。

ピアノの練習の場合はいいんですよ。だって、山ほど動画があるんですから。「 C,G,F,Amのコードだけで弾ける! 」というような動画はいくらでもあります。「おれビートルズ嫌いなんだよ」という人は「Stand by me」とか弾いてもいいんですよね(ジョン レノンがカバーしてますけど(笑))

スパイラル的に上昇していく

そういったわけで、私は課題遂行的なアプローチでピアノを練習しています。Let It Be が弾けるようになったら、次は他の曲をやってみます。そうすると次の曲にはLet It Beには入っていなかった新たなコードが出てきます。でもCとかGとか既習のコードも入っているので、一つか二つ、新たなコードを覚えるだけで違う曲が弾けるようになります。徐々に積み上げていくイメージですよね。結局、こういうアプローチでも積み上げていくのには変わりないんです。

ただですね、「弾けるようになったら」と言いましたが、どのレベルになったら「弾ける」と言えるんでしょうか。

コードを押さえるだけなら結構簡単です。でも一曲できるようになったら、もう少しかっこよく演奏してみたいと思うんです。具体的にはベース音を変えたり、動きを省力化するためにコードを転回させてみるとか、装飾音を入れてみるとかですね。そういうことを考えると4つのコードだけで演奏できる Let It Be でも、その奥行きは非常に深いということがわかります。

これ言語学習の過程と同じですよね。「自己紹介」的なトピックがあったとしても、その人の学習段階によって言えることは変わってきます。初心者の人は最低限のことを言えればいいし、1年ぐらい勉強している人は名前とか、趣味とかのほかに具体的なエピソードを交えて自身の人となりを伝えるとかですよね。それはまさにLet it beをどのくらいの深みで弾けるか、ということと同じですね。

以前、私はアウトプットに焦点を当てた授業というのをやりました。それは「アウトプットのレベルは自分で自由に調節できる」ため、学習者間に大きなレベル差があってもクラス活動が成立するんじゃないか、と考えたことが出発点となっています。

「アウトプットに焦点を当てたオンライン授業の実践報告」と「2021中東・北アフリカ日本語教育シンポジウム」

つまり、これはピアノの能力が違っても「今日の課題曲はLet it beです。難しいと思う人はベース音とコードだけを弾くのでもいいです。できる人は装飾音を入れたり、ソロまで弾いてください」という指示を出すということに対応しています。

で、何を言いたいかというと、言語学習でも同じトピックを定期的に繰り返すというのは必要だなということです。「まるごと」なんかはその典型ですけど、同じトピックだけど言い方を変えてみるとか、話す内容の方向をちょっとずらすとか、そういう工夫は必要だな、ということですね。一回Let it beができたからと言って「Let it beは既習ですよね」じゃなくて、もちろん全く同じコンテンツだと意味ないですけど、何度もスパイラル的にやって徐々に上昇していくイメージはいいですよね。

まとめ

というわけで、ほんとすんません、つらつらと書いてみました。

でもこれはあれですよね、皆様が私の言っていることに賛同するかどうかは別として、一つの学びの過程が他の学びのやり方に影響を与えるということ。物事は一つ一つ独立しているわけではない、そういうことがわかります。

外国語学習もピアノの練習もどういうアプローチをとろうとも、

知識や技術を積み上げる。
できることを増やす。

という二大目標は変わらないと思います。で、

「知識や技術の積み上げ」にフォーカスするのが文型積み上げ式
「できることを増やす」にフォーカスするのが行動中心アプローチ

ここまでは良し。問題はその後だと思うんですよ。アプローチはどっちでもいいんですけど、それぞれ問題点があるのでは?

①文型積み上げ式の場合は「知識や技術の積み上げ」が「できることの外縁を広げる」ことにつながるか?
②行動アプローチの場合は「できることを増やす」が「知識や技術の外縁を広げる」ことにつながるか?

①の場合は、例えば「N1持ってますけど、しゃべれましぇーん」みたいなこと、②の場合は「遭遇率の高い場面では対応できるけど、初めての場面では何もできない」とかでしょうか。ピアノでいえば前者は、「各コードの度数の離れ方は数字で表すことができる」けど実際にすぐにコードをおさえられない。後者は「知っている曲はすらすら弾けるけど、初見のコードはコード表を見ないとおさえられない」みたいな?

だから、短期的で明確な目標がある場合には行動中心アプローチがしっくりくるのかもしれません。例えば、旅行会話とか、技能実習生の会社での会話とか。ピアノだって「結婚式で特定の曲を弾きがたりをする」という明確な目標があれば、理屈は抜きにして指の形だけを練習していきますよね。

もし、学習時間に余裕があるのでしたら、

①「文型積み上げ式」の場合は常に「それを使ってできることの外縁を広げる」ことに気を配ること
②「行動中心アプローチ」は常に「その土台となる知識や技術の外縁を広げる」ことに配慮すること

が大事なんじゃないかなと思いました。理論をベースにする人は一方で実践に配慮する心を忘れない。実践をベースにする人は常に理論に配慮する心を忘れない。

本日の内容は以上になりますが、これを書き始める前から以下のSATOさんのブログ記事がずっと念頭にありました。

コブクロの「YELL」が弾きたくてギターのレッスン受講→これって行動中心アプローチ的?(さとたす)

SATOさんの場合は「YELL」が弾きたいという確固たる目標があって始めたので、まさに行動中心アプローチです。でも私の場合は「かんたんに弾ける曲はないか?」という観点から練習曲を探して練習しているのでそれは行動中心アプローチと言えるのだろうか?と頭をひねりました。

でも、あれですね、結局「行動中心アプローチ」的な教科書で学ぶ学習者は、先生が与えてくれた「Cando」を達成するような授業を受けているわけで、そういった意味では私のピアノと同じなんですね。ただ、私の場合はどの動画を師匠とするかは自分で決めています。ですので、全体の学習方法としては、

冒険家メソッドに基づき行動中心アプローチ的に練習している

と言えるのではないかと思います。

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