多読と評価と自律性

投稿者: | 2021年3月15日

先日、NPO多言語多読の先生方にセミナーをやってもらいました。

NPO多言語多読

私は主催者だったので、ZOOMホストでした。全体に気を配ったり、ブレイクアウトを組んだり、写真を撮ったりしていたので、内容については集中して聞けませんでしが、参加者の方々は「多読」という学習方法についての理解が大変深まったのではないかと思います。私が言うことでもありませんが、大変実のあるセミナーになったと思います。

さて、じっくり内容を聞けなかった私ですが、一つだけ印象に強く残った箇所がありました。それは、

多読では評価はしない

ということです。ギャラリーからも評価に関する質問が出たんですが、講師の先生の口からも「多読は質的な評価とは相容れない」ということが何回か強調されました。もし仮にどうしても評価をしなければいけない場合は、出席回数や読んだ本のリストについて評価をする方法があるということでした。とにかく、例えば内容理解度をチェックするとか、どれだけのスピードで読めるようになったか、といったような評価はしないということですね。

多読は、言語学習の方法の一つですが、物語に没頭するとかそういう側面を大事にしているんですよね。どれだけ早く読めるかとかどれだけ漢字を読めるかというデジタルな評価と相容れないというのはよくわかります。

私はその潔さはとっても好きです。

評価と成績

思うんですけど、「評価をする」ということと「成績をつける」ということはまた別の問題ですよね。でも実際には「評価=成績」となっていることが多いのではないかと思います。多くの「どうやって評価するんですか」という質問を発する先生にとって困ることは、デジタルな基準を以て成績がつけられないということではないでしょうか。

例えば私が韓国の大学にいた頃、成績は相対評価でした。Aという成績をあげられるのは、全体の30%以内というように決まっていました。極端な話、テストで全員が100点を取っても、何らかの基準を提示して70%の人には B 以下の成績を上げないといけないということです。

それは成績であって評価ではないですよね

評価っていうのは「あなたは今の時点ではこれはよくできています、でもこのあたりはちょっと弱いですね」というのを知らしめて、今後の学習の糧にしてもらうものですよね。ABC という成績をつけることは、評価とは違うはずです。だから多読の先生が、「どうしても評価をしなければいけない場合は出席点とか…」などとおっしゃったことは、「どうしても学校のシステム上成績を付けなければならない場合の方法」です(ですよね?)。

え、じゃあ、成績ではなくて純粋な多読の評価ってどうすればいいの?と思った人いますか。そんなの簡単です。

読んでいる自分が一番よくわかっている

んですから。あるレベルの本を読んで、ムスカ大佐みたいに「読める、読めるぞ」と思えば次のレベルに行けばいいわけですし、読めなければ下のレベルにいけばいいわけです。自分がどのぐらい読めるかなんてその人が一番よくわかっているんですから、そこに他人が評価をする必要なんてないわけです。

そう考えると、私たちは成績を出すという大目標を達成する代償として、多くの犠牲を払ってきたのではないかと思うのです。私も色々な場所で授業案を発表したり、提案したりしましたが、「でもそれどうやって評価するんですか(成績をつけるんですか)」と言われたことは一度や二度ではありません。もし「公平な成績付与ができないから」という理由だけで、面白そうな教室活動や授業案をお蔵入りさせてきたとしたらそれは本末転倒でしょう。

そういった意味で、多読では評価をしないという強い姿勢にはグッとくるものがありました

多読と自律性

あと参加者からの反応であったものは「ノルマも課さない、成績もつけない。それで学習者が取り組んでくれるのだろうか」というものです。確かに、成績に関係ないとしたら意欲的に取り組まないという学習者がいても不思議ではありません。というかある種の教育機関では成績に関係ないと言った時点で興味を示さない人も少なくないと思います。

その辺は経験のある先生がうまいこと舵取りをしたらどうにかなるのかもしれません。でも今から多読を取り入れようとする人は誰でもはじめは素人です。

それを避けるために一番簡単なのは、「こういうこと(多読)をします」と宣言をして、「そういうこと(多読)をしたい」学習者だけを集めるという方法でしょう。だからこそ、サークル的なところで多読をやってるところが少なくないんだと思います。まあ成績付与と相容れないという部分もありますし。

でも、そういうサークル的な活動ができないところもあるでしょうし、やはり正課の授業に取り入れたいと思う人もいるでしょう。私はセミナーを聞きながら先日読んだ本のことを思い出していました。

この本です。細谷功(2020)『無理の構造』dZERO

この本を一言でいうと、「努力が報われず、抵抗が無駄に終わるのはなぜか。「世の中」と「頭の中」の関係を明らかにし、閉塞感や苛立ちの原因に迫る。」ということなんですが、よくわかんないですよね。

でも「授業の努力が報われず、準備が無駄に終わるのはなぜか。「私の頭の中」と「学習者の頭の中」の関係を明らかにし、閉塞感や苛立ちの原因に迫る」と置き換えると、私たちにも関係のあることを言っているのではないかと考えることができます。

さて、あまり時間もないので核心に行ってみましょう。この本の最後に「教育は無力なのか」という章があります。そこで、「気づき」について述べたところがあります。

「気づき」に関しては三通りの人がいます。
①気づいている人
②気づいていないことに気づいている人
③気づいていないことにすら気づいていない人
(Kindleの位置No.1192-1194)

この「気づき」は今日の文脈でいうと「多読の意味」とか「多読の効果」とかそういうことに気付いているかに置き換えるといいでしょう。教室の中には①~③のように雑多な学習者がいるはずです。

①~③のような学習者を全部同列に扱うと無理が生じます。「気づいている人」は嬉々として多読をおこなうでしょうし、③の人はやる気がまったくおきないでしょうね。それに応じて対応も変わらないといけない、と本書では述べています。つまり、

教育の方法も、「自由にさせる→やる気ある人に面倒見よくする→全員に強制ルール化(外部からの)する」と変化していきます。(Kindleの位置No.1229-1230)

①の人は放っておいても学習が進むでしょう。でも③の人には何らかの強制が必要ということです。もし①の人に縛りを与えると、やる気をなくすかもしれません。③の人に自由にやらせたら、何もしないかもしれません。クラスに①~③の人がいても一律的な対応は難しいと考えられます。

そしてこう続きます。

「やる気を出させる」「自発的に学ばせる」「重要性を理解させる」といった純粋に能動的な意識に関しての「気づき」は常に内発的なもので、外側からいくら大騒ぎしても決して扉を開けることはできないのです。それにもかかわらず、どれだけ多くの時間が「他人を変えよう」「気づかせよう」という労力に費やされているかは想像を絶します。これらすべて「無理」な取り組みなのです。(Kindleの位置No.1247-1251)

え、じゃあ③の人に自律性を持たせるとか、気づいてもらうというのは無理なことなの?最後はこうまとめています。

「だから教育は意味がない」のではなくて、だからこそ重要なのです。天照大神が岩戸を開ける気になったのも、外で楽しそうな踊りや歌が繰り広げられていたからです。外の人にできるのは、中の人に「外は楽しそうだからちょっと見てみよう」と思わせること。外側から岩戸に手をかけた瞬間から、それはすべて「無理」に変わるのです。(Kindleの位置No.1251-1254)

外から手をかけても③の人が①には変わらない。その人自身が①の状態になるように仕向けるのが教育、ということですね。

ですから、今回は多読というものを例にあげていますが、何をおこなうにしても「中から変えていけるような手助けをする」ということが必要になってくるということです。適切な方法で多読をおこなっていたら、最初はまったく興味がなかった人も好きになるかもしれません。それを「好きになれ~」「これは読解力の向上に役に立つんだよ~」と外から声かけしても意味がありません。

では、具体的にどうするか、というと、簡単に考えられるのは「とにかく時間内に1冊だけは読むこと」というルールを決めたりすることでしょうか。そのような弱い縛りであれば、自律性の高い学習者がやる気をなくすということにはならないでしょう。もし手取り足取り「これやって、あれやって」と指示を出すとやる気がなくなるかもしれませんけど。反対に自律性の低い学習者も「そのくらいならできるかも」と思うかもしれません。

まとめ

というわけで、多読セミナーを受講しつつ考えたことをいくつか書いてきました。

・評価と成績は違う
・多読では評価はできない
・相手の自律性に見合った対応をする

ということが論点かな、と思います。

それを突き詰めていくと、やはり教師は一斉授業というシステムを取ったとしても一人ひとりに対する対応を基本にしなければならないんじゃないなかな、と思いました。

ただ、30人のクラスで一人一人への対応というのは難しいですよね。現実問題として一人の教師が対応できる時間や労力は限られていますから。そういったことへの対応はオプションを増やす、というで対応していけばいいと思います。以前書いたと思うので、そちらをご参考ください。

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