先日私のオンライン授業を見学していた先生に、
学生をしゃべらすのが上手ですね。
〇〇さん(学習者)がこんなにたくさん話すのは初めてみました。
と言われました。まあ見学の後の社交辞令ということもあるとは思います。
が、私は、というか日本語教師の多くは「いかにして他人の発話を促すか」を普通の人よりも考えているのは確かでしょう。
特に私はキャリアの最初の方は韓国の民間日本語学校(学院と言いますね)で「日本人会話」という科目を担当していました。そこで課せられたミッションは、
とにかく学習者に話してもらうこと。
貝のようになった若者の口を割らせるのが仕事の大半だと言ってもいいくらいです。とにかく大変でした。
まあそういうところで働いていない人でも
学習者の発話がないとはじまらない
ような授業や場面があるはずです。また特に個人レッスンやボランティアのところなんかでは「文法とかはいいからとにかく話したい」というニーズも少なくないと思います。
今日は「比較的に縛りなしで」に「学習者の発話を促すことが望まれる」場合の考え方について、私の経験をもとに少しだけお話ししたいと思います。
※基本的に経験の浅い人向けです。経験のある人にとっては当たり前の話ですので、ご了承ください。
どういう場面を想定しているか
まず、ここで想定しているのは比較的自由に話を行える(行う)という場面です。話をすると言っても「ある文型を使って」とか「モデル会話に準じて」みたいな場合は想定していません。そうなると、そういう授業は比較的限られているかもしれませんね。
ただ、そういうことを志向した授業はなくてもピンポイントでそういう場面はあるんじゃないでしょうか。自然な「情報差」「選択権」「反応」という3つの要素がある場合ですね。
私がやって「うまく話させますな~」という評価を受けた授業は「まるごと」の中級2の授業なんですが、そのうちの「扉、準備」という導入的部分です。
「教え方の手引き」を見ますと、この部分に関しては以下のような方針の記述があります。
つまり、ここで行うことは、
・これから扱うトピックに関する背景知識の活性化、動機付け
・関連語彙や表現の導入
ということです。これを実現するために教科書上(教科書外)にある写真や絵や、表現などを使って自由におしゃべりをする、という体裁をとりました。ちなみに私がやった授業は「歴史」に関するトピックでした。
では、以下、そういう「自由」がある会話場面で、もしくは完全な「フリートーク」的な場面で、私が何に気を付けているかを書いていきます。
学習者の発話を最優先する
私のやった授業の目的は「これから扱うトピックに関する背景知識の活性化、動機付け」なんですよね。だったらその目的を達成するためにはいろいろな方法があると思います。
極端な話をしたら「教師が知識を一方的に与える」ことでも「活性化、動機付け」が進むかもしれません。でも、授業である、ってことは相互交流(教師⇔学習者、学習者⇔学習者など)があるということですから、やりとりがないといけません。で、そんなことはみんな分かっていると思うんですが、意外に教師でもしゃべりたがる人が多いというのが私の印象です(授業見学しかり、自分が学習者になった時しかり)。たぶんね、
私はできるだけしゃべらない
という心構えくらいで十分だと思うんですよね。で、そういう心構えであっても立場上教師はしゃべることになります。だって進行するのは教師ですから。あと学習者は千差万別ですから会話や流れを整理する役割も求められます。あ、いい言葉がありますね、
ファシリテーター
という言葉。そうこの場面で求められるのは知識の伝達者じゃなくて、ファシリテーターってことですね。そのためには「私は話さない!」くらいの心構えで行きましょう。それでちょうどよくなります。話したくても我慢。トリビアとか言わなくていいっす(上級レベルになるとまた別かもしれませんが)。
よい質問をする
「私は話さない!」ですめばいいんですが、そんなに甘くはありません。それを少しでも実現するためにおこなうことは、「良い質問をする」ということです。良い質問とは何かと言うと、
答えやすい質問
です。学生が何かを質問して、それに対して先生が「良い質問ですね」っていうことがあるじゃないですか?先生がそう言うときは先生の中にうまい答えがある時なんですよね。自分がまったく答えられないことを聞かれて、「良い質問ですね」とは絶対言いません。
ですから伝統的に、
・昼ごはん何を食べましたか。
・週末何をしましたか。
みたいなことが聞かれるわけです。絶対にこたえられるから(これらの質問が適当かどうかはわかりませんが)。
だから、絶対やっちゃいけないのは答えにくい質問です。以前、何かの教科書に、
好きな色は何ですか?その理由は?
ってあって、びっくりしました。色が好きなのに理由ってありますかね?勘のいい人は「好きなサッカーチームの色だから」とか「国旗にこの色が入っているから」みたいに答えられるかもしれませんが、私の答えは「なんとなく」以上のものではありません。
さて、まあそれは最低限のマナーですが、あとは
質問にステップを踏む
ことですよね。一番簡単なのは「はい/いいえクエスチョン」→「オープンクエスチョン」という流れですね。わかりやすく言うと、
1.今日昼ご飯を食べましたか。
2.何を食べましたか。
という流れですね。まあこの質問は単純ですから、いきなり2に行っても良いとは思うんですが、特にレベルが低くなるほどステップを踏んだ方が答えやすくなります。答えやすい質問はいい質問です。
で、あとはですね、
できるだけ「はい」が出そうな質問をする
ということです。人って「いいえ」より「はい」の方が言いやすいんですよね。
1.坂本龍馬って聞いたことありますか。
2.坂本龍馬について知っていることがありますか。
どちらも「はい」「いいえ」で答えられる質問ですけど、1の方がハードルは低いですよね。「聞いたことはある」だけの人は1には「はい」と答えられますが、2には「いいえ」となるかもしれません。もちろん「いいえ」が出たらだめってわけではないですが、「はい」「はい」で話を進めた方が普通はうまくいきます。
余談ですが、日本語では否定形で聞く方が丁寧って場合がありますが、それもこの話と無関係ではないかと思います。やはり相手が答えやすいように配慮をするというのは必要です。
とにかく、会話の基本は「質問」であり、良い質問が良い会話を引き出します。そのためには気持ちよく相手が答えられそうなことを聞く必要がありますね。
リアクションは大きく
これ、大事です。別に吉本新喜劇みたいにこけたりする必要はありませんが、学習者の話を聞いたときに「私はあなたの話をちゃんと聞いているよ」という合図はできるだけわかりやすく出した方がいいと思います。
・ちょっとびっくりするような話を聞いた時は「え?」と目を丸くする
・愛猫のかわいい話を聞いたときはにっこり笑顔をつくり、目じりを下げる
・話が複雑なときは顔をコクリコクリして、「わかっているよ」と同意をあらわす
ネイティブ同士で話すときよりも大げさにやった方がいいと思います。私も学習者経験があるからよくわかりますが、特に初級の学習者にとっては「通じているかどうか」が大事です。教師がわかりやすい反応を示してくれると安心します。オンライン授業はなおさらです。
またちょっと複雑な話になった場合、教師が学習者の話を要約して「~ということですね?」とまとめると、「ああ、ちゃんと通じていたんだ」という安心を学習者に与えることになります。今の私の先生はこれをよくやってくれるので、「そうそう、それ私が言いたかったことなんです?なんで私がうまく言えてないのにわかるんですか?」と良い気分になります。
無理に「学び」を与えようとしない
こういう授業では不安になることがあるんですよね。
楽しくおしゃべりはできたけど、あんまり何も教えられていない気がする…
というように。で、ここで陥りやすいのが無理やり学びに結びつけようとするという態度です(もちろん2番目の目標がある場合にはそれを達成できるように)。
自由に会話するときの目標は、「自由に会話できる」ということであって、あんまり関係ないことと結びつけるのは意味がないかなと思います。
例えば私の経験で言うと、そういう自由に話すという感じの英会話レッスンだったんですけど、途中で発音の指摘を受け、FだったかVだったかの発音をひたすら練習させられました。まあ、軽く触れるくらいだったらいいんですけど、あれ?と思った記憶があります。
「自由に会話をする」というのは例えばNationsが提唱する4要素だと、「意味に焦点をあてたアウトプット」か「流暢性を向上させる」ための活動ですので、やはり注目すべきは「意味」か「流暢性」です(自由会話では特に「意味」の方ですね)。もちろん伝わりにくい発音を矯正することもあってもいいとは思いますが、そこばかりに拘泥されるとやる気がなくなりますね。
■Nation氏が提唱する「言語学習に必要な4つの要素」とセミナー
アウトプットからの「気づき」を利用する
そういうわけで、自由会話で注目すべきは「意味」と「流暢性」と言いましたが、やはりもしフィードバックを与えるなら「意味」の部分でしょう。
学習者の発話意図はわかるんだけど、それが日本語として出てこないときがあります。例えばわかりやすい例で言うと、こないだの授業である学習者と以下のような会話をしました。
私「仕事が5時に終わって、6時の授業を受けるのは大変ですね」
A 「いえ、大丈夫です。今は work from home ですから」
この場合はもちろんその「ワークフロームホーム」を日本語にして、「ああ、自宅勤務ですね」とか「テレワークをしているんですね」と言ってあげたら、それは学びになりますよね。実際この時はオンライン授業でしたけど、学習者はメモってる様子でした。
そんなわかりやすい場合じゃなくても、座りの良い日本語が学習者の口から出てこない場合は、「こういうふうにいったらいいと思います」と意味的な面でサポートをしたらいいと思います。
実際学習者の立場としては「これこれこういうことが言いたいが、それが日本語にできない」というのは「気づき」ですよね。アウトプットの機能の一つにはそういう「気づき」を本人が得るところにあるわけですから、それをすぐに学びに変えるのは簡単だし、意味のあることです。
教科書だけで勉強していると、自由な会話をした時に、意外と基礎的な単語を覚えていないということが発覚したりします。
バランスをとる
1対1の場合はいいんですけど、クラスでの場合はバランスをとる必要も出てきます。仮に5人しか学習者がいなくても、その5人は能力や性格がバラバラです。その5人全てに配慮する必要があります。
自由会話をする場合、それは発話量の差となって表れます。二人はよくしゃべる。二人はそこそこ。一人は全然しゃべらない。それが性格によるものなのか、能力によるものなのか、まずは把握をしなければなりません。
もしそれが能力によるもの―つまり全然しゃべらないのはしゃべれないから―であれば、易しい質問をその学習者にするようにする。同じ質問を複数の学習者にする場合にははじめに聞かないようにする、などでしょうか。
もしそれが性格によるものであるとすれば、ある程度放っておいても良いとおもいます。話したくない人もいますから。でも、そこで全く蚊帳の外にしてしまうのは問題です。結果的に発話量に違いはあったとしても、常にその人のことを気にかけているという態度はクラス全体に見せておく必要があります。
クラス全体、というのはですね、意外に学習者もクラスのバランスを見ているもんだからなんです。
教師はクラス全体をケアすべき、というのはおそらくどこへ行っても共通概念としてあることでしょう。だから学習者だってそう思っているわけです。自分がひいきされているからと言って、他人を邪険にする教師は好かれないのと同じです。
以前こういった授業評価をされたことがあります。
・私にとっては良い授業だったが、他の学生にとっては難しかったような気がする
うむ。この学習者は自分は満足しているのに他の人の視点からも授業評価を書いているんです。この視点が学習者にあることも忘れない方がいいですね。
学習者に関心を持つ
結局大事なのはこれですかね。それぞれがどういうことを話すか、話そうとしているかを関心をもって見守る、それしかありません。
そんなこと言っても学習者に関心ないし
という人もいるかもしれません。ですが、関心っていうのは持とうとしたら持てるものなんです!これは私の実体験ですから断言できます。
駆け出しのころ、授業がうまくいかなかったんですよ。でもいろいろなアドバイスを受けて「一人一人に関心を向けてみる」ことにしました。この人はどういう人なんだろう、どういう生活をしているんだろう、何でこの場所で日本語を勉強しているんだろう・・・そうやって関心を意図的に持とうとすることによって、相手の言葉に耳を傾けることが楽しくなってきました。もちろん授業もうまくいくようになりました。
きっと、それがコミュニケーションの基本なんですよね。
以前私が英語の授業を受けた時、先生が学習者(私)たちに
私はあなたたちには関心がありません。
私が関心があるのはあなたたちの英語だけです。
という話をするのを聞きました。うむ、割り切った態度ですね。
確かに私たちはその言語を学ぼうとして教室に集まっています。その先生が言っていることは正しい。英語力だけ伸ばしてくれればよい。でもね、それだと単なるテキストのやり取りなんですよね。テキストのやりとりでもいいんですけど、相手がどういう態度で私のテキストを聞いてくれるかによって、その出力も変わってきますからね。特に自由な会話だと、相手次第で話をしたくなる/ならないが変わってきます。いくら「練習」だとしても。
私もどちらかというとクールな教師(クール系日本語教師です)に分類されると思いますが、教室内では学習者に関心を持つようにしています。だから学期が終わったらすぐに学習者の名前を忘れてしまうのかもしれません。
まとめ
気づいたら長い文章になってしまいました。ここまで読んでくださった方ありがとうございます
まとめますと、うまく学習者の会話を引き出すためには、
・学習者の発話を最優先する
・良い質問をする
・リアクションは大きく
・無理に「学び」を与えようとしない
・アウトプットからの「気づき」を利用する
・バランスをとる
・学習者に関心を持つ
ということになります。
が、もちろんこれは何かに裏付けされたものでもなく、私の思いつくことをただ思いつくままに並べただけです。一般論的なこともありますし、他の人があまり言及しないこともあると思います。授業のやり方は人それぞれですから、上のことがまったく馴染まない人もいると思います。
とりあえず、私が「自由な会話」のある授業をする上で考えることを書いてみました。