私には二人の息子がいます。私の母語は日本語で妻の母語が韓国語ですので、バイリンガル教育には以前から強い関心がありました。
このブログでも何回かバイリンガル教育について言及した記事があります。
■バイリンガル教育における「氷山説」という言葉を聞いて思い出した話
■レビュー『バイリンガルの世界へようこそ』上
■レビュー『バイリンガルの世界へようこそ』下
■【レビュー】『バイリンガル教育の方法』
■間違いだらけのバイリンガル教育①
■間違いだらけのバイリンガル教育②
■レビュー『親と子をつなぐ継承語教育』
■日本語教師と子育て
少なくないプレッシャー
国際結婚家庭の子女や海外在住の家庭の子女のように、一見バイリンガル教育に向いている環境にいる人たちの界隈ではある種のプレッシャーが存在します。それは、
子供を均衡バイリンガルに育てなければならない
というプレッシャーです。
均衡バイリンガルとは2つの言語を同等に高いレベルで駆使できる能力を有する二言語話者のことです。私達が「バイリンガル」を漠然とイメージする時も、まず頭に思い浮かぶのがそういった均衡バイリンガルではないでしょうか。
でも、均衡バイリンガルに育てるのはなかなか難しいことだと思います。「均衡バイリンガルに育てなければ」というプレッシャーがあっても実際には均衡バイリンガルになれない人も多いし、早いうちから二言語での教育を断念することもあります。
時々、環境が整っていながらも、子供を均衡バイリンガルに育てられなかった人が、
私は失敗した。
というようなニュアンスで過去を後悔するのを聞いたのも一度や二度ではありません。また、ある程度均衡バイリンガルに育てることに成功した親御さんに話を聞くと、皆さんだいたい
均衡バイリンガルに育てたいんでしょ?
というような前提で話をしてくることもよくあります。
もちろん「均衡バイリンガルに育てたい」と親御さんが思うのであればそれは自由だと思いますが、プレッシャーにより「均衡バイリンガルに育たなければ、私の育児は失敗だ」のように考えるのは誰にとっても有益とは言えません。意識的にそのようなプレッシャーは外した方が賢明です。
アドバンテージ
私の息子も一時その傾向がありましたが、受容バイリンガルになるケースは少なくないのではないでしょうか。受容バイリンガルとは、簡単に言うと「聞いて理解できるが、喋れない」というものです。
うちの場合は私が日本語で息子たちに話しかけると、その返答が韓国語で返ってきました。
目標を高く掲げる家庭の場合は、「お父さんには日本語で話して」と辛抱強く話し続けたり、「お父さんは韓国語分からないよ」という態度を取り続けたりするみたいですが、それを一貫して実践するのもなかなか難しいものがあります。
子供が均衡バイリンガルに育つということは、親にとってひとつの夢ではありますが、何も私たちは子供を均衡バイリンガルに育てるために生きているわけではありません。「均衡バイリンガルに育てればそれで人生上がり!」というならいくらでも努力はしますが、言語面での「理想的な」発達は子育てにおいての一側面でしかありません。
ですから、そこで現実的に子供が受容バイリンガルになることを受け入れなければならないわけですが、それを肯定的に捉えるか否定的に捉えるか、そこはひとつの分かれ目だと思います。
もし子供が大きくなって「日常会話程度の聞き取り」しかできないとしても、本格的にその言語を学ぼうと腰を入れるのであれば、それはその子にとって大きなアドバンテージになります。大学に入って日本語を習い始めても、ゼロから学ぶ他の子供よりもはるかに大きなアドバンテージを持つことができます。
そういったことを「アドバンテージである」と見るか、「失敗である(環境がありながらもしっかりと習得できなかった)」と見るか、としたら「アドバンテージである」と見た方が絶対建設的ですよね。
実際私はそのような子どもたちを何人も見てきました。片親が日本人で、片親が外国人。家では日本語を全く使わなかったという家の子供でも、何かしら日本語についてのアドバンテージがあります。それで十分ではないでしょうか。
まとめ
見えないプレッシャーって結構あるんですよね。同じような家庭環境や家族構成なのに、あちらの家の子は二言語を流暢に扱っているとかいうのを見たり聞いたりすると、心中穏やかじゃないということもあります。
でも、両言語を高いレベルで操るバイリンガルになるのはすごく難しいことですし、せっかく子育てをするのであればあまりプレッシャーや負担を感じず楽しみたいものです。
私の場合も、「自分が日本語教師なのに息子たちが受容バイリンガル」というのはちょっと恥ずかしいな、という気持ちがありました。だって受容バイリンガルって発話面では言葉が出てこないのですから、見た目にはその言語能力が分かりづらいのです。
でも、環境が少し変われば急にペラペラ話すようになるかもしれません。特にうちの下の子なんかは、まったく日本語での発話がなかったんですが、日本語しか話さない子供と遊ぶようになってものの数週間で受容バイリンガルであったことを感じさせなくなりました。
とにかく受容バイリンガルであれ、どれだけ一つの言語レベルが低くあれ、今ある状態を肯定的に捉えて子供に接していくのが間違いない選択だと思いますが、いかがでしょうか。